FUNAGENノート

私の考えたことや、読書から学んだことを伝えます。
私の脳は書いたり読んだりすることで研ぎ澄まされると思っています。

「決められる政治」とは言うけれど

2016-06-29 19:09:21 | コラム
「決められる政治」とは言うけれど
 前回、EU離脱派のデマゴギーの話を取り上げたが、今の参議院選挙をみても、候補者はコマーシャルのようなことを述べて宣伝に余念がない。まるで、デマゴギーの様相である。これだと聞いているだけではどこの政党の候補者かわからない。保育士や介護士の待遇改善、待機児童ゼロを目指すとか、無年金者の救済とか、よく言うものだ。前の衆議院選挙や3年前の参議院選挙でも似たようなことを言っていたが、終わってみれば何も改善されなかった。
 「決められない政治」から「決められる政治」へと言って、実現した現政権、やりたい放題に自分勝手の政策をやっていたと最近思うようになった。これでは「決められない政治」の方が、チェック機能が効いてよいのではないかと思う。与党も野党も、調子のよいことばかり言っているが、チェック機能だけは望むことができるからだ。
 だいたい、今までいつも言われていた格差問題、非正規雇用者増大の問題、待機児童問題、介護の問題、いっこうに改善されなかった(民主党政権の時も現与党政権も)のに、選挙になると突然訴えるようになり、いったいどうなっているのかと思ってしまう。辞任した舛添前知事も、選挙の時は待機児童ゼロにすると、選挙カーから演説していたが、結局東京五輪のことが優先されて、五輪のためだと自分勝手に決め込んで外遊し、自腹を切らず海外旅行をしたと言われてもしかたがない行為だった。
 それから、財政についてもどう工面するのかがぜんぜん見えてこない。突然唐突に、消費税10%の実施時期を引き延ばして選挙に望む。しかも、どの政党も財政問題にはいっさいふれない。
 若い人たちは、このような状況を理解していて、将来の不安解消のために消費を控えて貯蓄にまわすとか、案外増税に賛成している人が多いという。この不安を取り除かないで、消費を増やそうとがんばってもそれは不可能であろう。しかも、景気はあまり良いとは言えない中で、消費が増えることなどありえない。
 だからこそ、ケアの問題(不安解消のため課題)を政府に要求する野党勢力の議席を増やすことによって、勝手気ままな政治をやめさることが必要だと思う。それでなくても、憲法改正や成長戦略(小手先の)にばかり目が行き、福祉や格差是正を後回しにするところがある政権だから。
 私は、護憲はともかく、福祉の充実や格差是正に取り組む(ケアに取り組む)ことが、不安の解消になり、消費の拡大をもたらすのではないかと思っている。成長、成長と言うけれど、世界中が低成長時代なのにどうやって成長できるのか、これからは低成長時代にふさわしい政策に舵をきることが求められているように思う。(このことについては、ノートのどこかでふれている。)

情報の信憑性が問われている

2016-06-27 19:18:27 | コラム
情報の信憑性が問われている。
 英国のEU離脱で、離脱派はあやまった情報を流したようだ。今日の毎日新聞夕刊の報道によると、離脱派の流した公約の「うそ」が続々と出てきたという。EUに支払う拠出金を、週三億五千万ポンドに達するといい、それを「国民医療サービス」の財源にしようと、キャンペーンしていたのだが、それが「うそ」だったという。離脱派を引っ張ってきた「英国独立党」の党首が「うそ」を認めたそうである。実際の拠出金は週一億数千万ポンドだそうだ。これは一例で、「うそ」(移民をゼロにするのもトーンダウンなど・・)はまだまだあるらしい。こうなってくると、「うそ」でもそれを国民に訴えて、勝てばこちらのものといことが認めれることになる。今になって、離脱に賛成した人が、だまされたといって怒っているそうだ。
 つまり、うそで景気のよい話をどんどん流し、それが炎上現象をおこしたのであろう。だから情報というのは、それを鵜呑みにするのではなく、しっかりとした理論に裏打ちされたものを見て、その是非を判断しなければならないということだ。
 ネットやTVなどで流される情報というのは、短い文章でキャッチフレーズ的になることが多い。とくにネットの情報は気をつけなければならない。しかし現在の状況はどうかと言えば、再三言っているようにネット情報に右往左往している。
 健康や医療の話題など、いろいろな情報が飛び交い、何が真実かがわからなくなっていて、どなたか著名人が言ったということで、それが流行るとなってしまっている。またどこそこの店の料理がうまいとか、あそこのケーキがうまいとかがネットに流れると、そこの店の前に長蛇の列となっている。特に、日本特有の「同調強圧とそれに抵抗する弱さ」が、こういう現象に拍車をかけている。
 情報は自分自身の足を使って存在に出会い、頭を使って立ち向かうことだ。何だかわからないが、みんなが言っているのだからというのが一番悪い。ここで言っている存在とは、自然や社会、あるいは文化や芸術である。存在との交流を通して、自分が納得した上で行動することである。
 世界中が新自由主義の波に飲まれて、判断や行動がただ単なるムードによって決定してしまう傾向がみられる。EU離脱問題、米国のトランプ現象などをみても、どうも危なかしい現状である。日本も例外ではない。
 最近のTVの情報も、落ち着きのないお粗末で幼稚な内容が目立つ。それもそのはず、新自由主義の中で育った反知性主義者集団が、報道に携わっているだろうから。
 反知性主義が跋扈している現状を打破していかないと、どうにもならない。最近特に落ち着かない世相の影響もあるのだが、とにかくミスが多すぎる。これも反知性主義の副産物であろう。じっくり考えて行動することが今こそ求めれている。 
 

アベノミクスの奇妙なトリック

2016-06-25 18:34:36 | コラム
アベノミクスの奇妙なトリック
 経済の好循環 デフレ脱却によって企業の利益を拡大させ、それを賃金へと波及させ、消費を拡大につなげることによって税収も増え、それを福祉にまわすことが、現政権の唱える「アベノミクス」である。そんなにうまく行くものだろうか。
 今朝の毎日新聞の見出しに「アベノミクス効果に疑問」というのがあった。報じているのは、候補者についてだが、自民党の候補者でも地方への効果を認めているのは55%だという。
 しかし、地方への効果の問題だけでなく、全国的に効果などは幻想にしかうつらない。第一経済が停滞しているのに、どうして雇用が増加しているのか。経済の好循環もさして感じられないのに、大企業の収益がなぜ急に回復したのか。不思議な世の中である。円安、株高で、雇用率の改善、企業の利益増大、賃上げ効果などピーアールに懸命である。果たしてそうなのか、考えてみる。

小手先の金融操作では、どうにもならない
 英国のEU離脱に見られるように、世界情勢は混迷を深めている。しかも世界経済は需要低迷に陥っている。そんな中で、アベノミクスの掲げる目標の形骸化が始まっている。円安、株高ムードは終演を迎えようとしている。
 それなのに、世界情勢や経済の大局を見ないで、物価上昇率を2%にすることに目標を掲げている。物価上昇はまっとうな経済活動の結果として生まれるのが本筋なのではないか。
 原油価格の低下、新興国経済を中心とする需要減少が、世界的な成長率の減速傾向を生み始めている。リーマンショックもあって、経営赤字や対外債務の多い新興国からの資本の流出が加速した。ブラジルやインドネシアなどである。また、原油下落に悩むロシアや、過剰生産が顕著となっていった中国にも波及してしまった。新興国の成長率の失速、日本や欧州の経済低迷、米国経済の成長率もにぶり、世界経済は需要低迷に陥っているのだ。 
 だから、日銀が強引なまでに大量の国債を買い入れてマネタリー・ベースを増やしても、インフレ率が上昇するわけがない。金融政策だけに依存した政策などまっとうな政策ではない。そういう小手先の為替や株の操作で、たまたま円安・高株価になったからといっても、それは一過性のものでしかない。現在世界を揺るがしている英国のEU離脱で、どうなったかおわかりであろう。 そこで、日本の現状を見てみよう。

庶民の暮らしへの視点が欠落している。
 非正規雇用者数はおよそ2000万人で、比率にして38%ぐらになると言われている。
 低賃金労働者と言われる年間所得が200万円に満たない層が24%ぐらいいるともいわれている。  
 全労働者の一人当たりの平均賃金は約280万円から約230万円へとなり、暮らしがますます厳しくなっている。企業の休廃業・解散件数も増加している。
 年金受給者の暮らしも厳しくなっている。生活保護費の支給額の削減もおこなわれている。今必要なことは、経済成長だけに目を向けるのではなく、人々の暮らしの改善をどう進めるかであろう。政治家は選挙になると、暮らしの問題を取り上げるが、選挙が終わると忘れてしまう人種のようだ。こんな状況だから、アベノミクス効果は幻想にすぎない。

雇用が増大しているのは非正規雇用者
 雇用増大のことだが、増加したのは非正規労働者だということだ。中でも医療・福祉関係の増加が目立つという。しかも賃金は圧倒的に低くい。
 就業時間の短縮も雇用形態に影響を与えている。労働時間の長い男性正規雇用者は減少し、増加したのは、現役世代の女性と老人であるという統計もある。
 それに統計上のマジックもある。若者の人口が減少する中、求人倍率で見るとある程度の効果はあるように見えるが、だいたいパイが少ないわけだから、雇用率も以前よりは多くなる。しかし人数でみると少ないはずだ。これから、ますますそうなっていくだろう。

大企業の業績増大はなぜ。
 物価の上昇に賃金上昇が追いついていない。あるいは経済全体のパイが増加していないにもかかわらず、大企業の利益が急増している。株価の値上がりもそれに拍車をかけているように思う。
 円安のもとで、輸出企業は高利益を上げたが、下請けの中小企業は原材料の値上げを製品の価格に転嫁できず、労働者にしわ寄せがいく。結果的に中小企業と労働者から大企業へと所得が移転することとなる。
 
 だから、私はアベノミクスを信じることはできない。
 最後に言いたいことは、たまたまの円安・株高の実現で喜んでいたが、世界が不安定で、成長率低下の時代となっていることに気づいていない。日本も抱えている成長率低下という状況の中で、日本はどう生きるかを考える時が来ているように思われる。ただ、経済の成長や、消費の拡大だけを求める時代ではないのではないか。そういう問題意識が失われてしまっているように思われてならない。
 余談だが、英国のEU離脱が決まったとたん、与党側はあまりアベノミクスのことを言わないで、自公の安定多数を言い出した。かつての「決まらない政治」を国民に想起させようとしてのことだろう。しかしあまり政権が安定すると、やりたい放題の政権となり、それが日本の危ない道へと進む結果になる。与党が安定することを願う必要なんかない。私たちの願いは、暮らしがよりよくなることだ。そのためのチェック機能は是非とも必要なのだ。

改訂・炎上現象がもたらすもの

2016-06-24 22:15:52 | コラム
改訂・炎上現象がもたらすもの
 ネット社会となって、炎上現象が急増している。何かネットで情報が発せられると、それがまたくまに炎上して大問題となる。大火事になることもあるが、あるいは小火程度のものも加えると、それはちまたにはいくらでもある。それが名誉毀損になったり、いじめになったり、営業妨害になったりはよくあることだ。
 ネットで得る情報というのは、文章が短く、論理や文脈などはよく見えない。だから、「気ままで勝手な意見」がなんの根拠も示さずに広がっていく。それを読んだ者にとっては、そのものの存在自体に目を向けることはまずない。そこにあるのはなんとなくのムードだけだ。
 それがネットの世界だけでなく、いろいろなところに波及してきている。アメリカにおける「トランプ現象」はなぜ起きているのだろうか。
 彼はそうとう過激な発言をしているのだが、あの支持率を見ると、ネット社会の炎上現象のような状況だ。つまり、共和党という伝統のある政党が液状化現象を起こして、トランプにのっとられてしまった。アメリカ社会は、想像以上に壊れている。格差の拡大、人種差別の拡大など分断社会になっている。あのような発言が支持を受ける社会はすごく問題である。報復の連鎖を助長するだけである。
 ヨーロッパに目を向けても、規制政党が苦戦をひいられている。右翼ポピュリスト政党(国によって政党名はちがうのだろうが・・・。)がある程度の支持を受けてきているからだ。
 彼らは、自国籍のヘスニックマイノリティ(言語・文化などを異にする少数民族)をも含めて、排斥しようとしている。財政的制約や自分たちの福祉充実のために、移民は出ていけと言わんばかりである。稀少となった就業機会や社会保障給付には限りがあるとして、われわれ国民の取り分を増やすことを要求している。この主張が炎上現象の火元であるように思われる。これは、移民を排斥しようと訴えているトランプの西欧版である。西欧の国々も液状化現象は深刻なのだ。
 EU自体もその影響をもろに受け危機に直面している。ギリシャの財政危機やシリアから逃れてくる人々の受け入れで混乱している。とうとうイギリスはEU離脱になった。そこには右翼ポピュリストの存在が見え隠れする。このような状況の中で、テロは多発しているのだ。まさに内戦の状況にあるといっていい。この原稿を書いている最中に、アメリカで悲惨なテロが発生した。まことに残虐な事件でる。そして、その後に英国の離脱反対の女性下院議員が射殺されるいう事件が起きた。犯人は右翼だという。報復の連鎖は後を絶たない。この悪循環の報復の連鎖を断ち切り、共存・共生の世界をめざすのが、人類に課せられた課題であろう。
 こういう世界の動きの中で、日本はどうであろうか。日本の場合は、移民が存在するといった状況ではないが、ヘイトスピーチの問題がある。それでも、ヘイトスピーチ対策法ができたことは、一歩前進である。だが、ネット上や日常の会話で、人種差別や他国の国民をさげすんだ言動が時々みられる。また、ネットによる右翼の宣伝活動も活発だ。国民の中に、潜在的に差別や格差の容認があったり、そのことに気づかない、あるいは気づこうとしない人間が増えているように思われる。
 こんな事が毎日新聞(18日朝刊)に報道されていた。見出しは、「帰化悔しくて泣いた人と、自民議員が発言」となっていた。自民党の菅原一秀議員・前副財務相がSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)で流された差別発言ともとれる発言を取り上げたという記事だ。その対象は、明らかに差別を受けた野党の有力議員を意識しての発言だった。恐ろしいのはこのようなネットによる流言飛語が飛び交い、国民を惑わし、それが炎上することだ。この発言した議員も心の中に差別意識をもっているのであろう。本当に日本の政治家は劣化の一途をたどっている。
 ところで、先にアメリカや西欧での規制政党が苦戦をひいられていることを述べたが、日本ではどうであろうか。
 ここで、既成政党の一つ自民党が今どうなっているかを見てみようと思う。かつては、いくつもの固まりで構成されていたのが、いつのまにか液状化現象に陥っているように思われる。どういうことかと言えば派閥は名ばかりになって、すっかり官邸指導になってしまっているということだ。今の自民党は大政翼賛会のようである。今回の消費税の延期問題などは、まさに官邸指導で党における論議などあってないものになっていた。
 そうなった理由は、小選挙区主体の選挙制度により政党組織は地域や業界に利益をつなげる後援会から、党執行部の持つ公認権を介した集権的な組織へと変貌したことにある。下手に造反したら、公認は取り下げられるか、刺客をたてられることになるからである。個人対執行部(総裁)という間に、クッションとなる組織がなく、この政党も世界や日本社会と同じく新自由主義の波にさらわれてしまったようである。おまけに、そこには日本特有の同調強圧とそれに抵抗する弱さもかいま見られ、日本が全体主義に走りやすい体質をもっていることを意味する。私は危機感をもっている。
 もう一つ、選挙の世界でも炎上現象が起きているということにふれてみることにする。選挙の争点はといえば、一言「アベノミクス」に賛成か反対かということだけで、選挙を戦うという戦術はまさにネット社会そのものの姿であり、そこで彼らが願っているのは炎上現象で票をかせぐことだ。かつて郵政民営化にNOかYESかだけで戦ったように・・・。野党はそれに乗らないつもりで、安保法制の是非や改憲の是非だけを国民に訴えてだけだとすると、これも炎上をねらってのこととなる。
 今の政党は、きちんとした理論の上の政策提案などせず、キャッチフレーズをコマーシャルのように叫んでいるだけである。しかも目玉を一つに絞り、後はつけたしたように、国民のためにつくします、福祉の充実、待機児童ゼロをめざすなどといっている。
 また、支持政党なしの浮動票は、勝手気ままな気まぐれ大衆となり、炎上現象に拍車をかけことになる。その意味ではアメリカや西欧で起きている現象と似通っているとも考えられる。それだけ新自由主義、グローバリズムが、世界に充満しているということだ。
 私たちはもっと知性的にならねばならない。キャッチフレーズにだまされてはいけない。アベノミクスについても、その根拠をきちんとした論理を文脈の中で判断する必要があるのだ。第一世界の情勢、例えば今回のイギリスのEU離脱のようなことが起こると、すぐそれが影響して、円高や株安となる。だから、もっと吟味しなければならない。そう簡単にいかないのが経済である。アベノミクスはバラ色ではない。この問題については、またの機会にまとめてみようと思っている。
 それから安保法制についても、なぜ今安保法制なのかを論理的に考えなければならない。世界に広がる民族主義やナショナリズムの影響を受けて出てきているのである。ただ戦争反対だから反対だけではどうしようもない。
  

存在を見つめ直そう!(報復の連鎖を断ち切るために)

2016-06-19 10:08:34 | コラム
存在を見つめ直そう!(報復の連鎖を断ち切るために!)
存在との交流
 自然を探索する、知り合いと対話する、絵画を観衆する、音楽を聴く、世の中をみつめる、あるいは故人と魂を通じて通い合うなどの行為の中で、私達はお互いに言葉に命を吹き込み、それがコトバとなって現れる。(コトバとは、個性的な本質を表す言葉をさし、一般概念としての言葉と区別して使うこととする。)
 その場合、その間に素敵な空間があり、そこから吹いてくる風、暖かい空気、つめたい空気、すっきりとした青空、小鳥の鳴き声、虫の声、人々の笑い声、耳に、体に、頭に、すてきな色づけをする。そんなことを連想する。
 たとえば「花」という記号は、そこに「存在する花」との間にあって、交流を深めるなかで、意義を持つ。
 記号としての、言葉としての花は、頭では知っていても、そこに存在する美しい花(コトバとしての花)を見つめない、無視する中で関係はたたれる。そこに咲いている花には目も触れない。そして、おまけに踏んづけて歩く。そういう人がいかに多いことか。
 この存在する「美しい花」を「すばらしき仲間」「すばらしき人間」「偉大なる地球の仲間たち」「故人となった家族、友人」などにに置き換えてみるとよい。

存在が「のっぺれぼう」に見えている世界
 ところが、その交流ができなくなってきている。今世界はグローバル化し、新自由主義や反知性主義がはびこり、個々人がばらばらになり、しかもネットの網が一面に張り巡されている。そこは、根のないカビ、細菌、ウイルスたちの遊泳の場となり、増幅を繰り返し、根も葉もない怪物となって私たちの前に現れる。それらの存在を確かめることなくたれ流す人間が増えてる。時には炎上して大火事になってしまうこともある。
 しかも、肝心の存在は遠い近いの区別もなく、陰と陽の区別のない、「のっぺらぼうの世界」となっているように見えてしまっている。存在は私たちの前にいつも現れているが、それらが見えなくなっているのに、自分では見えているという錯覚に陥っている。だから、当然見えているのに見えていない。見えていないものも見えてくるはずもない。しかし、よく見ると存在はたしかにある。そして、その存在は違いはあるが同じでもある。差異と共通の世界の中で、私たちは共存や共生をめざす。。
金子みすずに次のような詩がある。よく、合唱曲でうたわれる詩だ。先日(6月18日)も神代女声コーラスの演奏会で歌っていた。

 「わたしと小鳥とすずと」
 
 わたしが両手をひろげても、
 お空はちっともとべないが、
 とべる小鳥はわたしのように、
 地面をはやくははしれない。

 わたしがからだをゆすっても、
 きれいな音はでないけど、
 あの鳴るすずはわたしのように、
 たくさんうたは知らないよ。

 すずと、小鳥と、それからわたし、
 みんなちがって、みんないい。

 存在の「のっぺらぼう化」によって、自分の文化や言語の自己関係が閉塞し、他者の文化や言語を敵にまわすこととなっているのである。そして、愛すべき存在に背を向ける。それが、報復の連鎖を生むこととなり、多くの事件を引き起こす。

「真の存在」に目を向けよう
 それを回避するためには、自己表現は「真の存在」との心の通い合いによって表現されるものだということを認めなければならない。そこで大切なことは、表現するのではなく、表現されるのだという気持ちが大切だ。つまり、そこにある存在が私に表現させてくれているのだ。
 だから、私が私がと表現するものではない。ましてネットなどで知ったことを、存在に出会ってもいないのに、あたかも自分の表現のように言いふらすことではない。
 画家はすばらしい絵を描く。しかも、その絵を通して自分を表現している。主張しているのは絵である。そこで出会った対象物(自然、人、動物、植物など)は他者として存在し、作者と共同で絵を創りあげたのである。しかも、その主張は、その作品に招かれた鑑賞者(私)を介してコトバとなり共有される。それが、表現させてくれるという意味である。
 それは、何も芸術分野だけではない、政治も経済や社会生活、人間関係もである。なにごとも、自己は他者を介して捉えられているということを今一度、自分自身で確かめてみる必要がある。
 そういう心を持った時に、今も世界のどこかで繰り広げられている戦争や、暴力行為の連鎖を断ち切ることができるのであろう。
 私が私がといい、本物の存在から目を遠ざけるという行動が働けば、そこに空間ができず、対話や情報交流の場がなくなり、独りよがりの知ったかぶりと優越感の自分勝手な展望が、他者に覆いかぶさる。それが存在への差別や憎しみを生むこととなる。
 自分勝手に世のためだと思いこんで存在(世界)を見て、行動することは、他者に対する侵害のなにものでもない。自己表現は存在(他者)との心の通い合いによって表現されるものだということを認めなければならない。
 そのことによってこそ、暴力(報復)の連鎖がなくなるであろう。連鎖を断ち切るだけではない。そこには共存、共生の世界がまっているであろう。
 このことは、今世界で起きている報復の連鎖の問題だけではなく、われわれの日常の生活にもあてはまることなのだ。気をつけて見つめてほしい。児童虐待、DV、ストーカー、いじめ、家庭内殺人事件、差別発言などなど、世はまさに内戦なのだ。私も含めてお互いにもう一度考えてみようではないか。「のっぺれぼうな存在」でなく、「真の存在」との出会いを求めようではないか。