FUNAGENノート

私の考えたことや、読書から学んだことを伝えます。
私の脳は書いたり読んだりすることで研ぎ澄まされると思っています。

「戦中・戦後世代から現代を見つめる」出版の意味

2018-08-16 18:41:12 | コラム
「戦中・戦後世代から現代を見つめる」出版の意味
 今年も、8月15日を迎え終戦後73年たちました。私は、戦中、戦後の敗戦国としての貧乏暮らし、そして、経済成長を果たした後の好景気、東西冷戦の終焉、バブルの崩壊による不景気、新自由主義の到来などの中を生きてきたものとして、現代の様相を見ていると、いろいろと気になることが目にとまります。危機意識も持っています。
 それで、私は「戦中・戦後世代から現代を見つめる」(風詠社)として世に出しました。この本は、決して戦時中の戦争体験記ではありません。現代の危なかしい日本の姿がとても気になり、そのことについて、警笛をならすつもりで書いた本です。そして、今もこうやってブログを発信しています。
 例えば、今年のこの異常気象(世界中で異常気象)は、たまたまではないことは、みんな知っているはずなのですが、その重大性に出来るだけ触れることなく、今を楽しく過ごそうと、そしてあいかわらず人類は成長を続ける、人間の欲望は際限なく続くように考えてしまっています。この人間の限りなく続く欲望は、結局は地球を壊し、人間の終焉を迎えることになると思います。
 一方、反知性主義がはびこり、モラルの低下を招いています。モラルは二の次で、おカネが入ればようという風潮が蔓延しています。また、差別や格差は当然と主張し、努力すれば報われると思っている人が多くなっています。また、その場過ごしのごまかしも横行しています。凶悪な犯罪も多発しています。
 人手不足も深刻で、それでいて無職の人も結構います。中には8050問題(80歳の親と同居する無職の子ども)と言われているように、親の年金めあてに同居している人も結構います。「ひきこもり」も結構いると聞く。非正規雇用と正規雇用の格差拡大も問題です。
 ごまかしや先に述べた多くの課題に目をつぶり、消費をあおり、目先の景気に一喜一憂する姿は、まるで、地球の資源はいくらでもあると思っているようです。地球の資源を食いつぶさないで、どうやって私たち人間が生き延びことができるのかが課題なのでしょう。消費だけが人生ではありません。おカネをかけなくても、楽しい生活はいくらでもあります。
 まあ、今まで取り上げてきた問題を、列挙してみたわけですが、本当に日本は危機的です。未来像が見えてこないのです。
 というわけで、私の本をぜひ読んでいただきたい。有り難く私の本を読んでいただいた方には、知人にも薦めていただきたいと思います。
 「戦中・戦後世代から現代を見つめる」(船場幸二著・風詠社)税込みで1、512円です。アマゾンや楽天、紀伊國屋ネットなどで扱っています。アマゾンですと、船場幸二で検索しますと、私の本の写真が出てきます。ネット販売苦手の方は、息子さんや娘さんにお願いしてみてください。よろしくお願いします。



労働の意味の再考とジェンダー問題の解決

2018-08-14 13:10:47 | コラム
労働の意味の再考とジェンダー問題の解決
 東京医科大学の入試における男女差別は、いろいろな問題を提起しいているように思う。
最近、医師の過重労働が問題になっている。医師ばかりでなく、教師の過重労働も課題になっている。企業の中にも、結構激務のところはあるだろうし、過労死も起きている。そんな中で、女性が激務に耐えられなくなるのは、家庭での子育て、その他家事全般を全て背負っているという、従来からの日本の風習から、完全に抜けられないことが影響しているとように思われる。
 それでも、現代の若者たちは、幾分夫婦共同で子育、家事全般を行うよう努力していると思う。そういう光景は良く目にする。ただ、そこに制約が立ちはだかる。それが先に述べた風習である。
 夫にしても、多くの仕事を強いられる中、子育てや家事は共同と言っても、なかなかうまく行かないであろう。だから、ついつい女性の方が、会社の仕事を軽くさせてもらうことになり、職場での女性の役割が限られてしまう。あげくは非正規雇用とか、パートということになる。それが現実かもしれない。
 もちろん、おる程度裕福だと、専業主婦という生き方もある。しかし、これにに飽き足らず、仕事を選択する女性も増えているようだ。そうなると、思う存分仕事をしたい。男と対等に仕事をしたいと思うだろう。そうすると、結婚の機会は限られたものとなるだろう。
 だから、この東京医大の男女差別問題も、ただ単なる男女差別(東京医科大の差別試験は、当然否定しなければならないのだが・・・)ではなく、我が国に残っている風潮、仕事は男、家庭は女というジェンダー問題を解決することなしに、真の解決はないだろう。
 確かに、女性の活躍する場は、増えてきているが、活躍しているのは、ジェンダー問題(子育てや家事における性差)に影響をあまり受けない方々なのだろう。当然、いや、私は無理して努力してやっているという方々もいるだろうことは認める。
 外国メディアは、日本人の猛烈な仕事ぶり(これが、過重労働となっている)を皮肉を交えて報道している。フランスでは夕食時の一家団欒は普通だと。今回の東京医大の入試差別にふれて、フランスの女性医師は、全体の45%だという報道もある。
 ところで、私が学生のころ(昭和31年~34年)を思い出してみると、私の所属していた教育心理学教室で、約30人中女性は2人だった。私の時代は、女性が大学へいくなど、まだまだ、一般化されていず、女性は結婚して家庭をもち、子どもを育てることだという風潮だったのだろう。もちろん、兄弟も多いし、経済的問題もあったであろう。
 現在は北海道教育大学(私の母校)の進入生の男女比は、男49%、女51%だそうだ(2017年入試)。ずいぶん変わったものだ。しかし実際には大学における比率が示すほど、男女平等は定着しているわけではないことは、先に述べてきたところである。ジェンダー問題はいまだ解決していないということだ。
 職場の仕事というものを、家庭での共同作業と同じように、共同作業によって成立することを、認めなくてはならない。しかも、職業としての仕事は、もうれつという意味での共同作業であってはならないであろう。もしそうなれば、家事はだれがするのか、子育てはだれがするのか、ということになるからである。
 アーレントが言うように、労働した後の達成感、充実感も(スポーツを終えた時のような快感のように)あることが理想なのだろうが、それとは別に自分のプライヴァシーな空間も確保されなければならないだろう。そういう自分の空間が確保されていて初めて、仕事の達成感は得られるものだ。リズムに快感を覚えるように、私たちの空間には「めりはり」が必要なのだ。ところが、オカネのための労働と、消費社会への飽くことなき往復(近代の科学技術の発展と消費社会の形成によって、歯止めを失った「過程」生を帯びることの問題・アーレントの言)が、限りない労働超過となっている。それに少子高齢化による人手不足が拍車をかける。
 いずれにしても、「もうれつ」という姿勢はNGでなければならないだろう。そして、男も女も同格に勤め先の仕事も家庭の仕事も携わるということでなければ、真の男女平等とはならず、今私たちの言っている平等は、形だけのものになるだろう。
 一番の理想は、結婚し家庭を持ち、子育てに励むことだとしても、そうもいかないのが現実だ。第一にお金がかかり、おいそれと結婚できない若者が結構多い。それと、先から述べている仕事が忙しすぎて、心にゆとりをもてず、家庭どころではない若者も結構多い。先行き不安な人生もそれに拍車をかけている。そんな中で、はじめから独身を決め込む若者も増えている。
 このような問題をどうするのか。そのためにどのような手立てが必要なのだろうか。第一は、仕事の量より質への変換(ただ長時間働けば良いという問題でなく、量より質が大事ということ・つまり、労働と自己のプライヴァシー空間の確保)、労働における男女差の是正など、これらは企業や関係機関(政府機関や地方自治体、各種団体)の意識改革が問題になってこよう。家庭における仕事(子育て、家事全般、親の介護など)の夫婦共同参画、これは本人同士の意識改革が必要。子育て支援のためのケア、親の高齢化にともなう介護関係のケア、授業料の無料化、医療機関の拡充などは、政府・地方自治体の取り組むべき課題なのであろう。決して、観光を宣伝したり、テーマパークを作ったりして、観光客を呼び込むことではない。観光客などは、気まぐれなもの、すぐ飽きて他の地に心がうつる。
 理想像をイメージ的に言えば、一家団欒、朝食や夕飯を一緒にとり、そこで会話が弾み、なやみ事や、今していること(ライフワークなど)、考えていることを交流し、それが、さらなる飛躍につがる。そういう家庭の実現こそが求めれよう。家庭の構成員全が、なんらかのライフワークを持つ(同じライフワークでも、もちろん違っていてもよい。)ことも必要なのだろう。
 地方自治体も、仕事と家庭とライフワークの一体化を目指す工夫が求められていると思う。若者が集まる魅力的なまちづくりをめざすことが、過疎からの脱出のきっかけとなるだろう。農業、漁業、林業などの第一次産業、あるいは地域の地場産業などへ若者を取り込むための方策、地の利を生かした再生化エネルギーの開発と事業展開、魅力ある文化・芸術・スポーツの普及などが求められよう。そこへ若者や高齢者の集う共同体を作れば、街は活気づくことだろう。
 そういう地道な政策が、結果的に人口減少に歯止めをかけることになるのではないか。そして、今回取り上げた男女間格差(ジェンダー)の是正、真の意味の男女平等を勝ち取ることができるのではなかろうか。
 注・ハンナ・アーレント(ドイツ出身の哲学者・思想家)。ここでの彼女の言は、「〈政治〉の危機とアーレント・佐藤和夫著・大月書店)より引用


私も本を出しました。是非皆様に紹介していただければと思います。今迎えようとしています「終戦の日」を機会に、もう一度「過去と未来をつなぐ架け橋」について考えていただきたいと思います。アマゾンや楽天、紀伊國屋ネットなどで扱っています。書店でも在庫がなければ注文可能です。

「戦中・戦後世代から現代を見つめる」(船場幸二著・風詠社・1400円+税)です。

差別問題を考える

2018-08-09 14:26:42 | コラム
差別問題を考える
 私たちの世界は、いたるところで、差別の渦の中にいる。今話題になっている出来事でも、東京医大の男女差別入試、ボクシングの判定騒動、議員たちのさまざまな差別発言などなど、SNSでの差別発言なども多発している。人種差別発言もよく聞く。
 私たちの現前の存在には、差異はつきものである。なぜなら、差異が無ければ、何も見えないからだ。自然を探索しても、そこに差異があるから、物語が生まれる。詩が生まれる。音楽が生まれる。絵画やフォトが生まれる。男女の愛も生まれる。動植物は私たちと相棒になる。地球も森林もこの差異の調和、共生でうまくいっていた。森林には大木もあれば中木や低木、地面には多様な草花が生い茂り、虫や鳥たちはそこを飛び交って生活している。それで互いにうまく生きている。地球だって、この差異の共生で成り立っていた。その調和が崩れ、この異常気象となって現れている。
 問題なのは、その差異を自分たちに対立するものだと考えてしまうと、その差異を裏切り、敵対する対象とみてしまうことになる。そこから暴力的言動(差別、セクハラ、パワハラ、DV、虐待など)が生まれてしまう。
 哲学者ジル・ドルーズは、次のように入っている。
《差異が対立を前提とするというわけでだはなく、かえって、対立こそが差異を前提とするのだ。しかも対立は、差異を解消するどころか、つまり差異を根拠に導くどころか、差異を裏切り、歪曲してしまうのである。》「差異と反復(ジル・ドルーズ著・財津理訳・河出文庫)
 私たちが、戦時中に体験したファシズム・ナチズムの時代、すべからく差異を否定し、殺害し、同一的なものに有無を言わせずに従わされた。今、私の危惧しているのは、こういう思想の根底にあるマグマが時々顔を出し始めてきていることだ。その一つが杉田水脈議員の「LGBT生産性ない」発言になっている。反対運動も起きている。彼女の発言は、あの相模原のやまゆり園殺傷事件の容疑者の思想と通じるところがある。
 この議員は、なんと50歳の自民党女性議員だそうだ。ちょうど日本の高度経済成長時代に産まれたことになる。だから、ファシズムの怖さなど知る由もない。多分、彼女は青年期新自由主義という世界にどっぷり使っていたのであろう。知らないということは恐ろしいことだ。
 しかも、戦後72年たっている。もう戦争体験者(ファシズムやナチズム体験者)は、世界中を見渡しても、ほとんどいない。いても私のように当時小学校3年生ぐらいだったものがかろうじて生きている状態だ。ましてそのころ成人だった方々は、ほとんどいない。そして今の政治家諸氏も、まったくその体験のない人々だ。
 そのうち、あの忌まわしい戦争も、せいぜい、戦国時代の戦いのように歴史の片隅に追いやられることだろう。本当はそうさせてはいけないのだが。もっと、歴史に目をむけることが必要な時代だと思う。
 それにしても、もうそろそろ私たちはお金儲けだけを考えるのではな、自然を仲間だと思っていたわりあい、人々や動植物を我ら地球の仲間と思って接することが必要だろう。経済人である前に人間であることが求められている。最大利潤の追求ではなく、適正利潤の追求を心がけるべきであろう。ブランド、ブランドと追いかけるのではなく、お金をあまりかけない世界はいくらでもある。楽しい世界はいくらでもある。
 私がいつも気になるのは、原発反対運動も、軍事基地反対運動も、利害がその賛否に影響していることだ。世界中で起きている移民排斥運動もそうだ。しかし、もっと広い考えを持って、これからの未来に生きる子どもたちのためにどうあるべきかを考える必要があるだろう。目先のことにとらわれていると、どんどん地球は破壊し、人類は対立の渦となるだろう。 ところで、先の議員への抗議の行動も盛んなようだが、私はアメリカのあの銃の乱射事件に遭遇した高校生の運動はすばらしいと思う。彼らは、選挙で銃規制に反対する候補者には投票しないよう全国を回っているという。私たちが、現実的に怒りを表すには、この高校生たちのように、選挙で落選させること、願わくば、この議員を懲りずに公認する政党にNOを突きつけることだろう。もちろん、問題発言をした議員たちにもNOを突きつけることだ。


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「地球と人間」のケアに基づいた国づくり(読書ノート)

2018-08-06 18:01:27 | コラム
「地球と人間」のケアに基づいた国づくり(読書ノート)
 今回も、「NOではないートランプショックに対処する方法」(ナオミ・クライン著・幾島幸子+荒井雅子訳・岩波新書)を取り上げる。
 今、新自由主義時代に育った人々は、現在の世相が、今まで経験したことのない様相になっているということを、あまり実感として理解していない。彼らは、どうやって人類は近代民主主義を手入れたのか、そのためにどれだけの血が流されたのかさえ知らない。彼らは歴史に学ぶことをしない。
 今、私たちの前に立ちはだかっているのが「新自由主義」という怪物であるが、この怪物が、地球の破壊に拍車をかけ、我々の心をゆがめ、格差の課題をもたらしているのだ。
 新自由主義が政策に反映させたのが、アメリカのレーガン大統領やイギリスのサッチャー首相だった。その背景には、財政赤字の累積、官僚主義の非効率化などが上げられる。そして、日本では中曽根首相だった。そして、小泉政権の時最高潮に達した。つまり、平たく言えば、小さな政府、公的機関の民営化を対策として打ち出した。結果的に日本独特の終身雇用制の崩壊、非正規雇用者の増大を生み出した。徹底した競争を生み出し、格差社会をうみだした。
 その影響が今でも続き多くの問題を醸し出しているのだ。この異常気象、凶悪な犯罪、組織的犯罪など、官民を問わず行われている。そして、格差は拡大し、差別的言動も多発している。
 しかし、そここらどう抜け出すか、いろいろな手立ては、対症療法的に提示されるが、そのあとがないのだ。現代社会を変革することが急務なのに、それよりも、気候変動対策の緊急性に対処することができないでいる。それどころか、将来の災害を逆手にとって、一儲けしようと、ますます動き出す輩もいる。
《カトリーナがくり返し起きる世界、人類にとって最も破滅的な悪夢をなぞる世界にほかならない。ユートピアを描くSFもサブカルチャーとしては人気があるものの、現在主流のディストピア(ユートピアの逆)小説や映画は、ひたすらグリーンゾーンとレッドゾーンに分断された未来を描きつづけている。けれども、そうしたディストピア作品の意義は、さながらカーナビのように私たちが否応なく向かっていく先を示すことではない。そうではなく、私たちに警告を発し、目を覚まさせることにこそ意義があるーーこの危うい道の行き着く先にあるものをこの目で見て、進路を変える決断ができるようにすることだ。》
 なお、ここで言う「カトリーナ」というのは、2005年8月末にアメリカ東南部をおそった大型のハリケーンで、甚大な被害を与えた。ニューオリオンズ市の壊滅的被害は、メディアで世界中に広がった。
 そうだと思う。この進路を変える決断が求められているわけだ。たしかに私たちは、いたるところで、この新自由主義のもたらしいたことについて、NOをつきてきた。しかし、その結末はどうだっただろうか。たいていの場合それらは、途中で挫折しまった。
《近年始まった新しい運動では、ヨーロッパの「広場運動」からオキュパイ・ウォールストリート(ウォール街を占拠せよ)、さらにはエジプトの革命に至るまで、人々は明確な「ノー」を突きつけたーー銀行家の強欲に「ノー」、緊縮政策に「ノー」、そしてエジプトでは独裁に「ノー」をーーが、その「ノー」の先にある世界についての明確で魅力的なビジョンが欠けていたことは否めない。》
 そうだ、明確なビジョンがなかったからだ。日本でも、一時自民党が下野し、民主党が政権を握った時代を思い出す。彼らは「コンクリートから人へ」というスローガンのもと、いろいろと挑戦しようとしたが、結局挫折した。その挫折のしっぺ返しは、強烈だった。そして、今安倍政権が長々と続いている。
《白人至上主義と女性蔑視が歯止めなくはびこり、地球の生態系が崩壊の瀬戸際にあり、公的領域の最後の名残りが資本によって呑み込まれようとしている今、ただ越えてはならない線を引いて、「ノーモア」と言う以上のことが必要なのは明らかだ。そう、それをすることが必要であり、そして同時に今とは違う未来に向けての、情熱をかき立てるような確かな道筋を描くことが必要なのだ。その未来とは、単にトランプが出てくる前に私たちがいた世界ーーつまり、私たちにトランプをもたらした世界ーーではありえない。それは、私たちがまだ行ったことのない。どこかでなければならない。》
 そう、安倍政権以前の世界ではなく、私たちの経験したことのない世界、新しい道の世界への挑戦でなければならない。
《世界中の中道政党が支持するエスタブリッシュメント・オプション(現在そのままの体制による改革)である。これは、保育園を多少なりとも増やし、組織のトップにおける女性や有色人種の割合を増やし、おそらくはソーラーパネルも少しは増やすことを約束する。だがこのオプションには、十年一日のごとき緊縮財政のロジックも市場への妄信もついてくるし、歯止めのない消費と幸福が相も変わらずイコールで結ばれ、ぽっくりと口を開けた傷口にただ絆創膏を貼るだけの対症療法しか期待できない。》
 こんなことでは、現在の政権に太刀打ちすることはできない。ところで、右派の台頭は目に余るものがある。よく見て欲しい、現在の政権与党のなかに、極端な差別を表明してはばからない議員のいかに多いことか。その中にはますますネオファシズム的な風潮も見え隠れしている。それが現政権を支えている。出しては引っ込める失言の数々、引っ込めるぐらいなら、はじめから言わなければよいのだが、ホンネがついつい飛び出すのであろう。そして、世論にたたかれて、タテマエに戻る。その繰り返しの多いこと。
 彼らのホンネは、世の中は実力の世界である。功をなすか、なさないかは自己責任だ。格差が出るのは当たり前である。女性は本来、子どもを産むことが仕事である。まさに、「産めよ育てよ国宝」の発想である。人口が増えないのは、女性が子ども産まないからだと思っている。彼らには、多様な生き方があること。多様な境遇にある人々がいることを理解していない。そして、場合によっては、ある境遇にある人間を排除にかかる。また、子どもを産もうとおもっても、経済的に不可能な場合もあることを全く理解していない。また、核家族化と家庭崩壊にみられるように、国家と個人の間にあった共同体が破壊されていることも理解していない。無理もない、彼らはみな富裕層の出で、お坊ちゃま、お嬢ちゃまが多いから、貧乏人の痛みなどわからないのだ。
 必要なことは、まず土壌をどう整えるかということだ。それも促成栽培ではない、本物の土壌作りである。地球に優しい土壌作りである。
《私たちが直面している危機のきわめて多くは、根底にある同じ病理ーー人問と地球を使い捨てできるものとして扱う、支配に基づく論理ーーの症状にほかならない。この会合が開かれたのは、こうした分断、タコツボ化した思考が根強く続いているために、進歩派は事実上あらゆる前線で後退し、今という歴史的瞬問に根本的な変革が必要であることは誰もがわかっているにもかかわらず、断片的な闘いを余儀なくされているという現状認識からだった。この分断とタコツボ化-自分たちが対峙しているシステムそのものを名指しで問題にすることに及び腰な姿勢ーーによって、私たちはもてる能力をフルに発揮できず、長続きする解決など決して手に入らないという諦めに追いやられているのである。》
 前文に出てくる会合とは、次のような会合であり、そこで提案されたのが「リーブ・マニュフェスト」であり、以下の通りである。
 カナダにおいて、労働団体や労働組合の指導者、大規模環境団体の代表、先住民運動やフェニズム運動のシンボル的リーダー、そして移住民の権利、オープンテクノロジー、食の正義、住宅問題、宗教などさまざまな分野の主要な理論家やオーガナイザーたちが集まって、次のような宣言をしたいう。その宣言内容を、少し抜粋する形で紹介する。

《『リーブ・マニュフェストーー「地球と人間」のケアに基づいた国を作るために』
 このマニュフェストの出発点は、カナダが近年の記憶のなかでも深刻な危機に直面しているという前提にある。
 今後何十年も採取し搾取を増大させるような新規インフラ建設プロジェクトを擁護する口実は、もはや存在しない。自宅の庭に欲しくないものは、誰の家の庭にもあるべきでない。
 エネルギー民主主義の時代が到来している。私たちは、単にエネルギー源を変えることでなく、可能なかぎりにおいて、コミュニティがこの新たなエネルギーシステムを管理すべきである。
 クリーンエネルギー・プロジェクトを推進する先住民には、公的支援が真っ先に与えられるべきである。また現在、環境を汚染する産業活動による重大な健康影響と闘っているコミュニティにも、真っ先に支援が与えられるべきである。
 エネルギー効率の良い住宅を建設し、既存住宅をまんべんなく改修するプロジェクトを実施し、最も低所得者のコミュニティや地区が確実にその恩恵に真っ先にあずかり、長期的な貧困を軽減する雇用機会と職業訓練を得られるようにすること。
 高炭素の仕事に就いている労働者を対象にした研修などのリソースを提供し、彼らがクリーンエネルギー経済に全面的に参加できるようにすること。
 再生可能なエネルギーによって走る高速鉄道と適正価格の公共交通によって、この国のすべてのコミュニティーを結ぶこと。
 老朽化する公共インフラに投資し、今後ますます頻発する異常気象現象に耐えられるようにすること。
 地元経済を再建し、企業活動を規制し、環境に害を及ぼす採取。搾取プロジェクトを阻止しようとする私たちの取り組みを妨げるあらゆる貿易協定に終止符を打つことを、私たちは求める。
 ケア(介護、保育、擁護施設などの)、アート、公益メデェアなど、現行経済のなかのすべてに低炭素の部門を拡張することを意味する。大半が女性によって担われているこれらの仕事はすべて、人間的で回復力に富んだコミュニュティを築くうえで接着剤の役割を果たす。回避することのできない厳しい未来を前に、可能なかぎり強弁なコミュニティーを作る必要がある。
「緊縮政策」はこれまで一貫して、教育や医療などの低炭素部門を攻撃し、公共交通をサービス削減に追い込み、見境のないエネルギー民営化を推進してきた。これはまったく時代遅れの化石化した思考形態であり、今や地球上の生命に対する脅威にほかならないと、私たちは宣言する。
 この壮大な変革に必要な資金を調達することは可能だーーただ、それを確保する適切な政策が必要なだけである。たとえば、化石燃料への補助金撤廃、金融取引税の導入、資源採掘ロイヤリティ(この場合は使用量でよいのではないか)の引き上げ、法人税および富裕層増税、累進的炭素税の導入、軍事費削減などである。これらはすべて、「汚染者負担」というシンプルな原則に基づくものであり、大きな効果が期待できる。
 ひとつ明らかなのは、私有財産が未曽有の規模に膨れ上がった時代に公的資金が不足しているなどというのは、捏造された危機にほかならないということだ。そのねらいは、私たちの夢がまだ芽生えないうちに消し去ることにある。
 それらの夢は、このマニフェストをはるかに超えている。私たちは政治家をめざすすべての人々に、この機会をとらえ、変革がもはや先送りできない急務だという認識に立つよう訴える。》
 これはカナダを舞台にした提言であるが、私たち日本にもあてはまる部分が結構多いのではないだろうか。こういう提言を参考にして、日本版の『リーブ・マニュフェストーー「地球と人間」のケアに基づいた国を作るために』をつくることが、求められているのだろう。


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地球温暖化・格差社会に立ち向かうために(読書ノート)

2018-08-02 18:48:25 | コラム
地球温暖化・格差社会に立ち向かうために(読書ノート)
 今回は、「NOでは足りないートランプ・ショックに対処する方法」(ナオミ・クライン著・幾島幸子+荒井雅子訳・岩波書店)を取り上げる。《》はクラインの言である。なお、ナオミ・クライン氏は1970年カナダ生まれのジャーナリスト、作家、活動家である。 
 私たちは、今異常気象に見舞われている。集中豪雨、とめどもまく続く高気温、今まで予想もしなかった台風の進路、こんなに地球温暖化による影響を受けたのは初めてである。もちろん、局所的に今までもあったのだが、今年こそ地球温暖化を実感したことはない。しかも、この異常気象は世界中に広がっている。
《北極の海氷融解、氷床の崩壊、海水温の上昇、海面上昇、サンゴの白化など、ほとんどすべてが気候変動モデルの予測を上回るスピードで進行している。世界各国の有権者が次の選挙で投票するときには、海氷の融解はさらに進み、沿岸陸地がさらに失われ、さらに多くの種が絶滅しているだろう。》さらに、それに加えるとすれば、今私たちが直面している気温の上昇や集中豪雨があろう。
 私の「戦中・戦後世代から現代を見つめる」の「11偶然と必然、必然と偶然」の中で、『現代数学にもカタストロフ理論というのはあるのだが、ここでは、その理論を展開するのではなく、現代社会に今起こっていること、あるいは起こるかもしれない「破局」「終局」「災害」あるいは経済における「バブル崩壊やリーマンショックなどの急激なショック」や、「感染症の拡大」などが急激に起こることを「カタストロフ」と解釈しておきたいと思う。
 地球環境問題や人口問題や技術的発展のあり方など、現在の文明世界が多くの致命的な危険を抱えている。その警告にもかかわらず、「破局」に向かって進んでいる。それが、すべて後追いになって右往左往しているのが現在である』。
《『アプライドーエナジー』誌に発表されたオックスフォード大学の研究によると、人類が2015年末のパリ協定で設定された温度目標を五分五分の確率で達成するには、2018年以降、新しく建設される発電所すべてのC02排出量をゼロにしなければならないという。これはトランプ政権の2年目にあたる。ほとんどの人にとってー私も含めてーこれはなかなか理解しがたいことだ。というのも私たちは、物事は最終的には前進するという物語に慣れてしまっているからだ。》
《世界の多くの国々が鳴り物入りでパリ協定に合意し、少なくとも口先では野心的な気温上昇抑制目標の達成が必要であることを認めた。そのことは気候変動阻止運動に、定められた目標と合致する政策を強く求めていく大きな力を与えた。そして私たちは各国政府に対してパリでの約束を守るように働きかけ、ある程度の前進を手にしていたのだ。ところが今、トランプはーーこう言うーーそれだけのカネを全部地中に眠らせておくというのか、と。いったい気は確かか?》
《筋金入りの保守派が気候変動を否定するのは、気候変動対策によって脅威にさらされる莫大な富を守ろうとするだけではない。彼らは、それよりももっと大切なものー新自由主義というイデオロギー・プロジェクトーを守ろうとしているのだ。すなわち、市場は常に正しく、規制は常に間違いで、民間は善であり公共は悪、公共サービスを支える税金は最悪だとする考え方である。》
 その新自由主義は、私たちに何をもたらしているのか。私の本「戦中・戦後世代から現代を見つめる」の中の「24新自由主義がもたらしたもの」の中で、次のように述べた。
『規制緩和、貿易や資本移動の自由化などという政策によって、格差の固定化が進んでいる。国家間の格差、大企業と中小企業の格差、グローバル企業と地域企業の格差、大都市と地方の格差、国民の間の格差などは、どんどん進行している。』
『新自由主義思想は、拝金主義を生むことになりる。お金をもうけることが中心となり、文化や伝統、哲学、倫理などはどこかへ飛んでいってしまいる。私が再三言っている反知性主義がはびこることとなる。
 そんな中で企業のごまかしが横行している。ブラック企業も増えている。学術の世界、(新たにここに加えておこう。スポーツの世界)でもごまかしや犯罪まがいの行動が横行している。
 政治家は平気で理論や物語をつくりあげ、コマーシャルのように言い立てる。その中に哲学を感じない。うすっぺらな美辞麗句が並んでいるだけだ。あるいは、どこかの国で今起こっているような過激な発言をする者もでてくる。国民はその言葉に引かれて、全体主義へと向かうことになりかねない。それが、今言われている右傾化につながっている。それは世界中にひろがっている。グローバリズムのなせる技である。
 それと、個々人がばらばらになっていて、自分のことしか考えないという状況になっている。その中で、「格差は当然」という考えや、「格差のあることに実感」をもてない層が増えている。』
《共同的な組織の衰退と、現代文化における企業ブランドの拡大という二つの潮流は、数十年間にわたって相反するシーソーのような関係にあった。人々に欠くことのできない帰属意識をもたらした、これらの組織や慣習の影響力が減少するにしたがって、商業ブランドの力が増大したのである。
 私は常に、この両者の補完関係に慰めを見出してきた。現代のブランド化社会が、自分より大きなものの一部になりたいという人々の満たされない欲求につけ込むことはできても、その欲求を持続的な形では満たすことはできないのだ。ある商品-新しいスニーカーでも、最新モデルのアイフォーンでもーを買うことで、ある特定の集団の一員になったり、何か壮大な計画や革命に参加したつもりになれば、ほんの一瞬はいい気分になれる。だが、中身を取り出してパッケージを捨てるか捨てないうちにその満足感は消え、すぐにまた空洞を埋める方法を探さなければならなくなる。これはまさに際限のない消費と、ソーシャルメディアを介した終わりのない自己商品化の完璧な公式であり、他方、そうした大量消費に耐えることのできない地球にとっては、破滅を意味する。》
 そんな中にあって、私たちにはさっぱり改革のあるべき姿が見えてこない。クラインの言う次の言葉は、日本の場合もあてはまる重要な指摘である。
《人はみな、それぞれ違うやり方で恐怖や不確かさと向かい合う。多くの保守派は、変化し不安定さを増している世界に対する不安に、時計を巻き戻すことで対処しようとしている。右派が得意なのは後ろ向きになることだとすれば、左派は内向きになって互いに非難の応酬を延々と続けることを得意とするのだ。》
 トランプ政権がなぜ生まれたのだろうか。トランプは次のようなことを演説して当選した。《われこそは困窮する労働者の味方だ。製造業の仕事を取り戻してやろう。自由貿易協定は破棄しよう。失った権力を取り戻してやろう。もう一度本物の男にしてやろう。いちいちつまらないことを聞かずに、自由に女の”プッシー”(女性器を意味する俗語)をつかめるようにしてやろう、などなどと。そう、そしてトランプが支持者にした約束のなかで、最も説得力があった部分はこれだーーヒスパニック系や黒人との競争をなくしてやろう。前者は強制送還または入国禁止にするし、後者はもし権利を主張して闘おうとすれば収監するからと。言い換えれば、白人男性の地位を再び地位を再び最上位の安心できる地位に戻してやろうというのである。》
 これに対して、クリントンは、ジェンダーやセクシャリティ、人種的アイデンティティを重視した。たしかにオバマ政権では、女性や黒人がいろいろな要職についたし、形の上では平等の概念が定着したように見えた。しかし、それは形だけのものだった。日本の現政権も、女性の登用を進めているが、政権与党の議員の中には差別発言をする者も結構いる。また、企業の採用面接で女性に対する差別的な発言があったり、東京医科大学のように入試での男女差別を行っているところもある。
《アフリカ系アメリカ人の大統領一家が誕生し、司法長官に二人の黒人が指名され、ハリウッドが黒人の監督や俳優を正当に評価するようになった。同性愛者であるとカミングアウトした人物がニュースキャスターや「フォーチュン500」の企業のトップとなり、トランスジェンダーの人物を中心とした人気テレビドラマが放映され、女性取締役の数も全体的に増加した。しかもこれらはほんの一例にすぎない。こうしたダイバーシティやインクルーション(多様性の受容、包括)の進展は重要だ。それによって人々の生活が変わり、それまでになかった視点をもたらす。オバマが世界最大の権力をもつ職にあった時期に成長した世代が存在することの重要性は、測り知れない。しかし、こうしたトップダウンの変化がいくら起きても、システムの問題に取り組むボトムアップの政策-ーたとえば学校教育の立て直しや住宅の整備などーーが伴わなければ、真の平等は達成されない。いや、近づくことさえ無理だろう。》事実、オバマ政権の時も、人種差別、セクハラが横行していた。
 それにもう一つ言えることとして、《自分が受ける(と期待される)恩恵のためには異なるカテゴリーの人々を犠牲にしてもかまわないと思っていないかぎり、トランプに票を投じることなどできるはずがない。はっきり言えば、トランプへの投票が積極的な憎悪を反映するものではないにしても、その背後には、よく言っても厄介な無関心が存在するということだ。》
 その無関心は、日本でも充満している。この無関心が「21世紀型ファシズム」の到来を生む土壌になっている。
 そして、何よりも重要なことは、アメリカの民主党も《同性婚や中絶、トランスジェンダーのトイレ問題にはイエスと言う一方で、住宅を得る権利や家族を養える賃金を得る権利(クリントンは最低賃金を一五ドルにする要求に反対した)、国民皆保険など、富裕者から貧困者への本格的な富の再分配を必要とし、新自由主義のルールブックに反するようなことについては、無視を決め込んでいるのだ。》
 そして、それは日本の野党にも言えるだろう。彼らは、この新自由主義にまっこうから対決しているだろいうか。おなじ新自由主義という次元の中で考えてはいないだろうか。新自由主義という世界に住んで、ある程度の生活を楽しんでいる方々に気兼ねしていないだろうか。しかし、そうやっている間に地球は大きく壊れていく。人々の格差は限りなく広がる。負の財が増え続き、それが弱者に降りかかる。西日本豪雨災害で、多くの方々が被災にあっている。今も、大変な目にあっている。
《経済格差と民主主義の危機に確実な答えを提示することができるのは、大胆で真の再分配を目指す進歩派のアジェンダしかない。同時にそれは、人々の怒りを本来向けるべき先ーー公の財産を高く売り払ったり、土壌や空気や水を汚染したり、金融業界を規制緩和したりすることで膨大な利益を得た者ーーに向けることができるのだ。
 次回、選挙でどこかの政党や候補者を支援するよう頼まれたときには、このことを思い起こす必要がある。この不安定な時代においては、体制派の政治家は往々にして、やるべき仕事をきちんと遂行できない。他方、最初は過激で、やや危険を伴うとさえ思える選択であっても、変動の絶えないこの時代には、より現実的な選択である可能性が大いにある。
 さらに地球温暖化の観点に立てば、物理的世界における過激な変化を回避するためには、根本的な政治的・経済的変革以外に道はないことを肝に銘じなければならない。》
 そして、それは日本にとっても大きな課題としてのしかかる。


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