「けやぐの道草横丁」

身のまわりの自然と工芸、街あるきと川柳や歌への視点
「けやぐ」とは、友だち、仲間、親友といった意味あいの津軽ことばです

#44.ちょっと一服(3)「 豆漬け 」 と 「 飢餓海峡 」 

2014年08月11日 | ちょっと一服
▲ 片口に盛り込んだ「枝豆のお漬物」


  ダイズ/大豆/Glycine max/Soybean/マメ科/一年草/の未成熟な種子を硬めに茹でて塩漬けにした「豆漬け/まめづけ」は、津軽の特色ある食品であると同時に、代表的な「ソウル・フード」です。
  「豆漬け」は厳しい冬を乗り越えるための重要な「越冬食」であり、不作のための「保存食」でした。

  現在の津軽では「毛豆/けまめ」という莢/さや/に剛毛のある寒冷地に適応したタイプの枝豆が、粒も大きく味も濃厚でコクがあるということで、地域おこしの一翼を担っているそうです。
  ダイズの原種とされるツルマメ/ノマメ/Glycine max subsp/マメ科/一年草/は、各地に自生していて、古代から食糧にされていたとあり、これを試験的に栽培して採った枝豆で作った豆腐を食した方が「濃厚で美味」と報告されているので、DNA的に深い関連があるのかも知れません。

  アイヌ文化の調査資料に、「大洪水のあった次の年は、川洲畑/コポンチカル/は草も生えないし畝を切ってすぐに種を蒔くと秋になればどっさり穀物が実る」/「萱野茂のアイヌ語辞典」1996/と紹介されていて、エジプト・ナイル川の肥沃な氾濫原と同じ農耕の知恵を伺うことができます。

  津軽では相当な量の枝豆をいく樽も漬け込む作業が秋の風物誌でした。
  冬に向けて漬物石に水が上がってきたら、水を替え塩を加えることを繰り返していくと、独特の臭い/北海道南地方では「ドブ臭い」というようです/が抜け発酵が進み熟成していきます。
  この臭さがまたなんともいえず、津軽の厳しい風土・郷愁を感じさせます。
  寒のころバリバリに凍った樽から食べる分を取り出して「塩抜き」する間も待ち遠しい津軽の味です。
  亡父は「豆漬け」が大好きで、それこそ馬のようにほお張り、豆の莢を山のように皿に積みあげてビールをあおっていたことが思い出されます。



▲ 「豆漬け」/資料画像/

  かくいう蝉坊も「豆漬け」を津軽のソウル・フードの筆頭に挙げたいくらいのフリークなのですが、東京ぐらしを始めて以来、トンと「豆漬け」の味と臭いとは縁遠くなり、確か10年ほど前仕事で訪れた際、青森駅に近い魚菜市場の道端に店開きした頬かむりのおばあさんが、商っていた自家製の「豆漬け」を一度だけ購入して帰ったことがありました。
  出会いに高鳴る鼓動を抑えて2袋といったら1袋おまけに追加してくれました。
  帰京の電車に跳び乗る前のホーム上、レジ袋を二重にして「豆漬け」を包み、防臭を図ったことを覚えています。


  以来、本物の「豆漬け」には出会っていなかったのですが、2年ほど前偶然にいつものスーパーLで出会ったのが、トップ画像の「枝豆のお漬物」 ▲ 。
  これ幸いと試してみると、津軽の伝統的な「古漬け」の枝豆とは違い、色も発酵味も歯ざわりも上品でさわやかで、素材に粒ぞろいの台湾産の枝豆を使用した、「浅漬け」としての新商品で、ひと粒で大ファンになってしまいました。
  製造者を見るとなんと東京・板橋区志村を本社とする「西海食品」という会社。
  いくつもの工場を埼玉の各所に展開する地場産業でした。
  ほかに類似の商品を見たことがなく、地元でオリジナリティのある新商品の企画開発をされている企業に出会ったのも珍しいので、街あるきの目的地として、拙宅のある加賀町から志村一丁目まで早速徒歩で訪ね歩いてみたものでした。
  それは、地元産業への応援と表敬を兼ねての街あるきでもありました。



▲ 西海食品の看板/04.22.2012

  自然林の斜面がある「志村城山公園」やボート遊びができる池のある「見次公園」など、いわゆる「板橋崖線軸地区」に連なり、区の「景観形成重点地区」に指定されている坂の街の、自然豊かな界隈でした。
 
  身のまわり・くらしのまわりを実際に歩いて確認することは、生活を実感するうえでとても大切なことだと思います。
  平凡な生活にもそれなりの世界観を広げることができ、日々の何気なくささやかな消費生活も確信を持って送ることができます。



▲『 枝豆のお漬物 』
生産者/西海食品株式会社・本社/東京都板橋区志村
原材料/えだまめ(台湾産)・
漬け原材料(食塩、還元水飴、蛋白加水分解物)・
ソルビトール・調味料(アミノ酸等)・酸味料・その他
発売開始/2009(平成21)年
内容量/250g


   

▲ 『 枝豆のお漬物 』のパッケージの新/左/と旧/右/
お気に入りの食品パッケージは洗ってファイルしておきます。

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  全国的に珍しいといわれる「豆漬け」は、津軽海峡を挟んで道南と青森/旧松前藩と津軽藩・斗南藩/に「分布」する味ですが、枝豆を原料の一部として古くから作られている食品がほかにもありました。
  「豆すっとぎ」は岩手県中北部/旧南部藩/の、「ずんだもち」は岩手県南部・宮城県/旧伊達藩/の伝統的ないわば和菓子の原点です。
  Mrs.蝉さんの生地である三陸への里帰りにあたり、地元のKz子姉ちゃんに「豆すっとぎ」の所在確認をお願いしたところ、知り合いの和菓子屋さんに、秋に収穫される新枝豆で作るものなので今はできない、と断られたとのこと。
  今回はあきらめざるを得ません。
  と、帰路のJR盛岡駅でお土産屋を覗いていると、いずれも「冷凍物」として大量に販売されていました。
  しかも「豆すっとぎ」のつくり手は、地元・宮古市のおそらく農家の方と思われたので「なるほどね~」です。
  本来の季節を無視して懐かしがる客の要望に対応して機を逃がさない商魂、これが現代日本文明とでもということなのでしょうか。
  暑い中無駄足を運んでくださったKz子姉ちゃんに感謝です。



 

▲ばあちゃんの手作り『 豆すっとぎ 』
- 甘さ控えめ、素朴な味わい -
生産者/佐々木悦子・岩手県宮古市腹帯
原材料/青大豆・米粉(自家産)・砂糖
内容量/180g
 




▲松栄堂の『 ずんだもち 』
製造者/(株)松栄堂・岩手県一関市山目
原材料/枝豆・餅米(国産)・砂糖・砂糖結合水飴・麦芽糖・
醤油・大豆・オリーブ油・食塩・その他
内容量/4個

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  さて、この5月だったと思いますが、NHK・BSで日本映画「飢餓海峡」を観ました。
  実際にあったふたつの事件、いずれも「洞爺丸台風」により同じ1954(昭和29)年9月26日に発生した「岩内大火」と「洞爺丸遭難事件」を元に水上勉が創作した原作は、いわばふるさとを舞台にした物語だったので、以前から親近感はあったのですが、およそ3時間を通しで観たことがありませんでした。

  北海道・岩内町で発生した「岩内大火」は、焼失戸数3,298戸、焼失面積32万坪、罹災者16,622人、死者35人/焼死33人・溺死2人/、負傷者551人、行方不明3人という地震以外での火事では戦後3番目の大火。
  同じく北海道・函館港外で発生した「青函連絡船・洞爺丸遭難事件」は死者・行方不明者あわせて1,155人の、日本海難史上最大の大惨事。
  ちなみに「タイタニック号遭難事件/1912年4月14日」の犠牲者は1,513人でした。
  昭和20年代はまだまだ敗戦の暗い傷を引きずり、人間らしい生き方をしたい、這いずり上がりたいという人間の欲望が交錯していた時代。
  そういった時代の背景として、このふたつの大事件は、ある意味で創作の絶好の素材であったろうことは想像に難くありません。
  受け手の読者も実際にあったリアル・テイストの娯楽作品を、喝采で迎えたのではないかと想像します。

  その映画のなかで、左幸子/ひだりさちこ/扮する地元・大湊/むつ市/の娼婦・杉戸八重/すぎとやえ/は、下北ヒバの原始林を伐採して運び出す森林軌道に同乗した、三國連太郎/みくにれんたろう/扮する犬飼多吉/いぬかいたきち/、実は後の資産家・樽見京一郎/たるみきょういちろう/と一夜を共にし大金を受け取る。
  その大金こそ、岩幌町の質屋強盗殺人事件で強奪し、証拠隠滅のため点けた火が「岩幌町大火」の原因となり、「青函連絡船・層雲丸遭難事件」に乗じて共犯のふたりを殺害した犯人、犬飼多吉が持っていたものでした…。
  以下は本編をご覧いただくこととして、釜伏山のふもとにある待合茶屋「花や」の二階の個室に案内した杉戸八重は、犬飼多吉に風呂に入るようすすめ、あがったころに部屋へ立ち戻ります。▼
  そのとき、八重が持参したうつわの食品を観て、蝉坊は愕然として寝ていた身を起こしました!




  そして、八重は丸いちゃぶ台に犬飼を向かわせ、「これ、くわねが?/=喰わないか?」と、その食品をすすめるのです。▲
  一見「枝豆」に見える、その食品こそ「豆漬け」だと蝉坊は観ました!
  そしてふたりはその食品を口にします。
  そのうつわは片手に余るほどの中型の鉢。
  ふちの「つぼまった形」でツートンカラーに釉薬が「掛け分け」られ、明るい色の側にはおそらく手描きの「イッチン/絞り出し」の線紋様が施され、その線の内側のスペースに彩色が付けられています。
  これは、物語設定の1947(昭和22)年終戦直後当時のうつわとしては、とてもモダンな意匠といわなければなりませんし、時代考証としてはありえないといっていい。
  家庭の食卓の団らんの中心にあって食事を楽しませる、いわゆる民主主義の時代のデザインの「漬け物鉢」。
  おそらく「経済の高度成長期」、この映画撮影時/1964(昭和39)年/の東京オリンピックころ、景気が右肩上がりとなって余裕の出始めた時代のモダンデザインといっていいと思います。

  このうつわと食品が映像に登場するに至ったいきさつに関する蝉坊の具体的な推理は次のとおりです。
  …下北半島・大湊でのロケ中、東映の大撮影スタッフ隊が夜毎行きつけにしていた居酒屋か旅館では、つまみとして何はなくともとりあえず、客が座ると突き出しとして「豆漬け」を出していた。
  それは東京ではお目にかかったことがない、なんともいえない初めての味で、ビールも酒もウィスキーもすすむことすすむこと。
  スタッフ間で映画芸術論を戦わすには持って来いの酒肴。
  それが当時の青森・下北を象徴するかのようなイメージの民俗的食品であったため、原作にはないが、下北半島原住民としての杉戸八重を描くには持って来いの小道具だったので、敢えて八重にそのうつわごと持たせたのではないか…。
  つまり、全国区の食品である「枝豆の塩茹で」であるならば、「枝豆でも、くわねが?」というのが当然のところを、「これ豆漬けっていうの、くわねが?」というべきなのだが、大多数の国民が知らない食品の名称を出すと説明が要ることになるし、そんな時間的余裕もない、話の本筋にも関わりはない。
  しかも完成した作品は183分という長編で、初上映に際しては167分に短縮され、これが内田吐夢監督の東映退社の原因になったというエピソードが残るくらい。
  したがって、八重の台詞は結果として「これ、」という代名詞になったものと想います。

  内田吐夢監督は、「豆漬け」の存在に下北=斗南藩を見、「飢餓」ということの本質を見たのではないか。
  つまり、「飢餓海峡」という映画作品の登場人物以外の象徴として敢えて「豆漬け」を登場させたのではないかと思います。



● 飢餓海峡  -DVD -

監督/ 内 田 吐 夢   脚本/ 鈴 木 尚 之
原作/ 水 上   勉   製作/ 大 川   博
出演者/ 三 國 連太郎 / 左   幸 子
伴   淳三郎 / 高 倉   健
音楽/ 冨 田   勲   撮影/ 仲 沢 半次郎
編集/ 長 沢 嘉 樹   製作会社/ 東 映 東 京
配給/ 東 映   公開/ 1965(昭40)年1月15日
上映時間/ 183分   製作国/ 日 本



▲ 水上勉著「飢餓海峡」新潮文庫/1969.8 版



▲ 片口朱/浄法寺塗/じょうほうじぬり/岩手
伝統工芸士/岩舘 隆/塗り部門
径;176mm/高;123mm/高台径;103mm/高台高;28mm/
重;382g

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  ダイズをはじめ穀物の植物性食物考古学の最近の進展には、目を見張るものがあるようです。
  ヒトの営みの形跡を追究するためには、欠くことのできない手法となることを期待しています。
  また、大平山元遺跡/おおだいやまもといせき/青森・外ヶ浜町/出土の土器をはじめ、うつわとしての土器の成立についても、動植物の発酵食品加工のためではなかったかと、想うことしきりです。
  良し悪しは別として、一般に伝統的なくらしぶりが圧倒的に失われつつある昨今こそ、既成概念に拘束されない自由な考古学、歴史学の進展が図られる絶好の機会ではないかとも思います。
  さて、冷蔵庫の「枝豆のお漬物」と缶ビールで一杯といきましょうか。


豆漬けの臭いに見える天地人  蝉坊



《 関連ブログ 》
● けやぐ柳会「月刊けやぐ」電子版
会員の投句作品と互選句の掲示板。
http://blog.goo.ne.jp/keyagu0123
● ただの蚤助「けやぐの広場」
川柳と音楽、映画フリークの独り言。
http://blog.goo.ne.jp/keyagu575




2 コメント

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漬け豆 (ショージ)
2014-08-13 18:05:30
ショージです。
思いだした ゛Mkm の父さん豆漬け好きデナぁー゛て
母親が よくしゃべっていた。
その母親はもう豆を漬けなくなった。 へば
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タコ次郎会 (蝉坊)
2014-08-13 19:45:54
初めてのコメントありがとうございます。
父の生前のエピソードをお持ちの方がいてとても嬉しいです。
もしかすると私たちの「タコ次郎会」のシンボルは、「リンゴと豆漬け」がピッタリなのかも知れませんね。
ぜひまたコメントお寄せください。
お待ちしています。
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