ケッタでグルグル

久々にケッタ(自転車)を購入。
これを機にブラブラ回ってみよっと。

安桜山城

2008-02-26 | 城跡

安桜山城(関城)は関市にある城跡です。  
関市の中心部である(であった?)本町通りの北側にある安桜山に城跡があります。

登山口にあった看板を要約すると…
享禄元年(1528)に永井藤佐衛門長弘が築城し、その後城主は永井隼人佐道利に移りました。永井隼人は斎藤道三の義弟にあたり、中濃から東濃可児郡までの勢力をもち信頼された武将として織田信長との合戦には総大将格で出陣していました。
信長の侵略に備え堂洞城、加治田城と共に同盟を結びましたが、永禄八年(1565)の織田勢の大軍に加治田城は織田軍に降伏。堂洞城は孤立し落城。永井隼人は神出鬼没の迎撃戦で奮戦するもついに安桜山城は陥落しました。
安桜山遊歩道案内

永井隼人佐道利…「永井」とありますが他の文献では「長井」とされているところが多いです。「国盗り物語」で斎藤道三が名乗っていた長井新九郎規秀が印象に残ります。隼人佐道利はその義弟、もしくは息子とされている所もありますが、どうなんでしょう。。織田軍に徹底抗戦した武勇に優れた将ではあったようです。


  

旧市役所があった「わかくさトンネル」の脇に登山道入口の階段(左写真)があります。安桜山はたくさんの遊歩道が整備されていますが、ここが大手道といわれているので今回のスタートはここにしました。階段の上には「安桜山公園」があります。以前は草ボーボーの空地でしたが、今は地元の青年会議所によってたくさんの若い桜が植えられて整備されています。数年後には素晴しい桜の公園になることでしょう。

そこから更に階段で上へいくと御嶽神社があり、拝殿の左脇にポツンと苔むした道標があります。「左 道祖神 月の峯」 「右 本社 朝日山」と見えます。想像ですが、朝日山とは安桜山から朝日が見られる所から、月の峯は昔は月見の名所だったからなのでしょうか。わからなくとも想像するのが面白いです。

 

本筋からちょっと寄り道してサイレン塔を見てきました。昭和13年に建てられ戦時中には空襲警報も流していたそうです。現在はサイレンは流されてはいませんが、NPOぶうめらんの方々によってイルミネーションが装飾され夜にはキレイな電飾が見られるそうです。昼にみると電飾がまるで鉄条網のようで無骨ながら存在感のある戦争を潜り抜けてきた昭和初期の凄み(?)が感じられます。



  

大手道はしっかり整備されており、途中の道標もしっかりと迷うことなく、疲れることなくピークにある東屋に到着。ここは平坦になっており城下町絵図をみるにここが二の丸だったのかもしれません。

 

 

山頂すぐ下に南が一望できる場所があります。
(左写真)中央の山が梅龍寺山。 / (右写真)左の山が一ツ山砦。中央の小山が十六所山砦です。
東を流れる吉田川、西を流れる関川が内堀の役目。それらが流れ込む南の津保川が外堀の役目を果たしていました。
安桜山城下町絵図(関市教育委員会)

江戸期の関には城は無く、刃物(刀剣)をはじめ職人の町として栄えました。眼下に広がる現在の本町付近に町は集中していたようで、吉田観音あたりになると周りは田畑であったといわれています。いかに現在は多くの家が建ち密集してるのかが上から見るとよくわかります。

 

     

山頂です。標高152m。登頂しました。安桜山城の本丸跡でもあります。御岳神社が祀られています。

 

 

山頂から西(関善光寺方向)へ行くと途中西のピークあたりから西北方面(左写真)の能郷白山(でいいのかな?)と北東方面(右写真)の御岳山が凄くきれいに見られました。関市内の絶景ポイントではないでしょうか。空気が澄んで山に雪がかぶり絶好条件でしたが、カメラマンの腕が無いのが悔やまれてなりません。。西方面の伊吹山も素晴しかったです。

 

善光寺に至る手前にはお不動さんに率いられるようにお地蔵さんがズラーッと並んでいました。皆こちらをずっと見てる感じなので前を通るのが少し気恥ずかしい気がしたりして…。

ここから西へ下ると卍型戒壇巡りで有名な関善光寺(宗休寺)へ続きます。→【関善光寺へ】


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