さゆりのひとり言-多発性骨髄腫と共に-

多発性骨髄腫歴15年/'08年4月臍帯血移植/「病気は個性」時にコケながらも前向きに/はまっこ代表/看護師/NPO所属

病名告知

2005年05月05日 20時55分13秒 | MM闘病記
それは、あまりに無防備だった。

2004年1月16日10時半、内科診察室にて。
「最近、調子はどうですか?」
「や~、別に」
・・・
「言ってもいい?」
「え?」
「あ、はい・・・」
「ん~、多発性骨髄腫かもしれない」
「はあ・・・」
・・・!!?

年に2回の職員検診で「要再検」
再検査の後「要受診」
と指示が出され、仕事の合間に外来受診した時のことだった。

さかのぼること8年前、就職してすぐの職員検診でも「要受診」となり、血液科を受診していた。
当時は、データを見たところで何が悪いのか、さっぱり分からなかった。
看護師長が慌てて、血液科の部長の診察を受けられるように手配してくれたのだが、
結局、1年おきにちゃんと検査受けてね、というくらいで、何の危険性も話されないままだった。
よくは分からないが、大したことはなさそう、という印象を受け、以降一度はまじめに検査を受けたものの、だからといってどうって言うこともなく、
毎年、職員検診を受けるたびに異常値が多く出ていたのも、当たり前のようになってしまい、
「要受診」となっても受診しないままにしておくことも多くなった。

しかし今回、3月で退職予定だったこともあり、一度受診しておこうと思ったのだった。
仕事の合間での受診、当然白衣を着ていて、診察室の一歩前までは看護師でいる私。
だから、体調はどうかと聞かれたところで、
具合が悪くて来てるんじゃないのに・・・という思いが先になり、
きょとん、としていた。

私より、医師のほうが動揺していたように感じた。
同じことを何度も説明する。
血液疾患はほとんど看たことのない私は、
多発性骨髄腫、といわれても何ものか、皆目見当もつかなかった。
しかし、医師から症状などを聞かされ、
なるほど、そういえば最近、階段を上るのがつらかったことなどを思い出した。

ちなみに、この多発性骨髄腫という病気、骨髄中での形質細胞の腫瘍性増殖によって骨組織を融解・破壊するので骨痛や骨折を起こしたり、正常な造血機能が傷害されるためにあらわれる貧血による症状などを起こす。

さて、上るだけではない、降りるのさえつらかったのを思い出す。
病院では、緊急事態が発生した時、「コードブルー」といって手の空いている医師や看護師が一斉放送で呼び出される。
当時、看護教育部という部署で勤務していた私は、直接患者さんのお世話をする立場ではなかったので、何かあったときには真っ先に駆けつけることになっていた。
しかし、その、コードブルーがあって一斉に駆けつける際にも、
一緒に部屋を出た他の看護師についていけないことが多かった。
もともと体育会系の私が、駆けつける際に前の人を見失うくらいに追いつけないなんて・・・。
その時は、体力がなくなったなあ、30歳になるってこんなにつらいのかなあ、程度にしか感じていなかったが。

それだけではない。
トイレでいきんだくらいで胸骨と肋骨がはずれた!?こともあった。
それは半年くらい前のことだったが、
プチっていう音とともに、痛みを感じた。
整形外科に行ってみたが、たぶんはずれた!?のではないか、と。
レントゲンでも上手く写らないと思うし、シップ貼ってしばらく運動とかせず安静にしておくよう指示された。

数週間前に行ったスキーでは、転倒したわけでもないのに腰が痛くなって
帰りの車に座っているのもきついくらいだった。
以降、電車に座わる時も、立つ時も、手すりにつかまっていたほどだった。
でも、今まで腰痛なんて経験したことがなく、
たまたま職場の同僚が同時期に腰痛に苦しんでコルセットを巻いたりしていたので、
あ~私もついにきたのかな、くらいには思っていたが、まさか。

とにかく、じわじわと、
「え?私死んじゃうかもしれないの?」
って思い始めていた。

確定診断をつけるには骨髄穿刺を、という事でその日の午後に早速検査を受けた。
検査後1時間安静し、職場に戻る。
間もなく、医師から電話を受ける。
説明したいから、と。

やはり、間違いはないだろう、と。
早いうちに入院治療を始めましょう、はじめはVAD療法という化学療法を3クール行って、
自己移植を1回、その後同種移植が必要でしょう。
自己移植を2回という方法もあるが、これだと5年生存率は30%もない。
・・・
いろいろ話されても、受け止め切れない自分がいた。
さらに、医師からは今後、移植となると卵巣機能が低下し不妊になる可能性が高い、と話される。
結婚しているか?付き合っている人はいるか?
未受精卵はうちの病院では保存できない。
この近くだと、新宿の・・・

っていうか、そんなこと考えている場合ではなく、
卵がどうのって言っている余裕はあるんですか??
死んじゃうのかもしれないと思っている私に、不妊だの何だのといわれても
ピントもこなかった。
とにかく、治療してください、と。

職場側の配慮もあり、1時間の年休を切って、その日は帰宅することにした。
今は九州に住んでいる両親になんて話せばいいのだろう。
仕事はどうすればいいのだろう。
まだ、30年以上残っているマンションのローンはどうすればいいんだろう。

とにかくこの日を境に、私の人生は一転した。






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