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チェス界の思い出(感動の物語)

2014-02-08 15:04:47 | 趣味
チェス界の思い出(感動の物語)
私は約30年前の1980年代に、チェス界にいた。
当時の日本チェス協会の会長・松本康司氏は、囲碁も県代表クラスで強かった。
国際アービター(審判員)としても、活躍をしておられた。
残念ながら、2003年死去された。
後任の渡井美代子(昭和16年生まれ位)さんは、当時日本で初めてのWIM(女性のIM=8段)をとった。
私は、2段で囲碁に専念する為に、チェス界を去った。

しかし、この後渡井さんは実に驚顎の行動で、私を驚かした。

米国の世界チャンピオンに、ボビーフィッシャーと言う人が居る。
1972年の世界選手権で、世界チャンピオンになった。
それまで、ソ連の独占だったチャンピオンを、西側で初めて獲得した。
彼は「米国の英雄」として扱われた。
3年後の1975年運営をめぐり、連盟と対立し、防衛戦を放棄し、チャンピオンを剥奪された。
それ以来、すべての試合を拒否し、表舞台から離れ、隠遁生活をした。
天才であると同時に、変わり者であると語られる。

途中で一度、1992年にユーゴースラビアでスパスキーと再現試合を行い、300万ドルを得た。
当時の米国の経済制裁違反で彼は、訴追人になった。

後、各国を点々として、2000年、何と日本にいた!
それも、渡井さんの自宅で匿われていた。
2004年出国しようとして、東京入局管理局に収監された。
そこで、彼女は驚くべき一手、「結婚します」と届けを出した。
これが、唯一の救済策だった。
管理局は、他国に受け入れがあれば、解放するといった。
アイスランドが受け入れ表明し、彼はそこに移り、4年後に、65才で死亡した。

数億円の遺産は、一部争いがあったが、渡井さんのものになった!

このあたりで、羽生善治さんの名もでてくる。

詳しくは、ウイキペディア(ボビーフィッシャー)を参照して下さい。


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