吉原健二 マルチエンジンを持つ。文系、理系を問わず、全分野の情報を、人生論や生活信条まで含めて、披露します。

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習慣の違い

2014-03-26 04:00:39 | ビルさんとの思い出
ビルさんとの思い出を書きます。

車で、ラスベガスから、イエローストーン国立公園に向かった。

ホテルの前に車を止め、ビルさんを先頭に京子さん、妻と下りた。
私が最後に助手席から、ロックをして下りた。

ビルさんが、「健二さ~ん!」と大声を上げた!

何事か判らずに、きょとんとしていたら、「鍵が閉じ込められた!」と言う。

「アメリカの車は、例え助手席でもどこかでロックすると、
全てのドアがロックされる!」のですって!

高級車のリンカーンも同じだった。

直ぐに電話して、約30分で係員が駆けつけ、開けてくれた。

旅は、色んな経験をするものだ。

ビルさんとはチェスが取り持った仲!

2014-03-20 05:34:04 | ビルさんとの思い出
ビルさん、京子さんとの接点について

 1987年、近くに住む弟が、米国のH社に出張になった。

英語の出来ない弟は、相手側の通訳として現れた京子さんに、色々お世話になった。

或る日、「日本食が食べたい!」というと、京子さんは、弟を家に招待した。
お部屋案内で、チェスのセットを見つけ、兄もチェスをやると言った。

ビル(正式名はウイリアムで、英語圏ではビルという)さんは、早速ハガキに白黒、2試合分の1手を記入し、通信チェスをやると、預かって来た。
何しろ、一往復に、2週間かかるので、半年経っても勝負は終わらなかった。

その内に、我々が近く、韓国旅行に行くと言うと、あそこは治安が悪いから、こちらに来ないかと、誘いを受けた。
12月のクリスマスの頃が、一番良いよと言われ、顔写真を頼りに二人で行く事になった。

ロサンゼルスに車で迎えに来てもらって、無事に面会できた。
それが初めてのホームステイだった。

彼らも、私たちと同じく子供がなく、二人とも、極端に身内が少ない人たちで、たちまち、四人は親戚が如く親しくなった。

 何しろ、四人中、三人が同い年で、ビルさんのみ、9つ上だった。
ビルさんは、かつて、米国海軍の曹長で、朝鮮戦争にも参加し、山口の米軍基地で、英会話の教師をしていた。

その時に生徒の京子さんと知り合い、結婚し、退職後、カールスバッド市(ロスとサンディエゴの間で、サンディエゴ寄り)の現住所に引っ越した。

京子さんは、女優さんのような美人だ!


 我々は、1988年のクリスマスに、2週間の予定で、初めてその家にホームステイをした。