小馬太郎兵衛@タコのイカ踊りぃっ!!

ブログの老後をユラユラ楽しむ悦楽ブログって言ったけどさ、もう一発くらい狙ってもいいのかな。やってもいいかな?

副都心線吹くと新鮮 しょの2

2008-06-25 01:28:09 | それゆけ乗り鉄トラベラーズ
さて、渋谷の改札を入ると、先発は各駅停車の西武線直通清瀬行き、次発に同じく西武線直通の急行飯能行きがある。

…まあ、渋谷で飯能の文字が見られるとはと、お約束の反応をしておこう。

渋谷は埼京線も通っているから、東上線方面の、例えば「川越市」という行き先を見ても、埼京線はばんばん川越まで入っていくから別段不思議な光景ではないのだが、さすがに渋谷で「飯能」の文字を見ると違和感が…(^^;)

改札を下ってホームに降りる。

まずはこれもお約束、4年後には取り払われる壁。



4年後には東急東横線がこのホームに降りてきて、副都心線と相互直通運転を行うことになっている。どうでもいいけれど、「そうごちょくつううんてん」と打つと、いの一番に「宗吾」という文字が出てくるのは、こりゃもう地域性ですな(笑)。
渋谷駅は2面4線で計画されているが、今のところは副都心線だけで使っているので、内側2線は使用されず、お互いのホームを仮設の通路を架けて、1面2線で利用している。
渋谷駅の明治神宮前寄りには、仮設通路から、これから渋谷を発車してトンネルの闇の中へ消えていく列車を見送れるスポットが誕生。先日放送のタモリ倶楽部では「スタンドバー」と称されていたところで、なるほど、この視点で列車を見られるスポットは、おそらく今までどこにも存在しなかったように思え、なかなか新鮮な光景。なるほど、こりゃ飲み鉄にはぴったりだね。



そうこうするうち、清瀬行きの各駅停車が8両で到着。
列車は、元々10両編成で作られたのに、副都心線開業で8連化された、東京メトロの最新鋭10000系。



この10000系、内装こそ木目調で貫通ドアは全面ガラス張りなど、現代の機能一点張りの通勤電車にあって、なかなか内装だけは頑張っているなあ…と思うのだが、いかんせんシートが切り立っていて、長時間座るとなると腰が痛くなる代物で、池袋や和光市くらいまでこれに揺られて行くのなら十分だが、まかり間違って、西武球場前へ直通する列車に万系が来られた日には、いくら直通で座れるとはいえ、こんな車両で所沢まで我慢するのはお 断 り だ 。
反対側には飯能行き急行になる、西武6000系が到着。
こいつなら所沢まで乗り通しても腰はそれほど痛くならなそうなんだが…。



そうこうしているうちに、先発の清瀬行き各駅停車が発車。
スタンドバーからは、トンネル内のポイントを身体をうねらせながら通過していく姿が一望できる。このシーンだけで(*´Д`)ハァハァ できるのも鉄ヲタのささやかな特権で、この姿を見たタモリが(*´Д`)ハァハァ しているのを見て、なぜあんなに(*´Д`)ハァハァ しているのか、皆目見当が付かなかったあなたは、多分正常な神経の持ち主です(笑)。



飯能行き急行に乗って、一気に池袋も飛び越えて、小竹向原へ向かう。
先発の清瀬行き各駅停車を、東新宿で追い抜くことになっている。

まあ…。
地下鉄の新線開業は、どこへ行ってもいつ乗ってもシュールなのには変わりがない。
そりゃあ、景色が分かる訳じゃないからねえ…。
どこまで乗っても外はトンネルの中、電車に乗っていてせめて分かるのはカーブと坂くらいのものだろう。
ただ、今回の副都心線の場合は、雑司が谷近辺の一部を除いて、ほぼ明治通りの直下を走っているから、ある程度のカーブでどこを走っているか、おおよその見当が付く。
北参道を過ぎて電車がグイと右にカーブすると、丁度高島屋タイムズスクエア辺りかな…と思ったところで新宿3丁目に滑り込んだりするところは、まんま地上の明治通りの形そのままだ。
西早稲田を通過すると、電車はぐんぐん勾配を下っていく。神田川の下をくぐるので、この近辺は1000分の40という急勾配が続くところで、乗っていてもアップダウンが体感できる場所である。

というわけで、一気に小竹向原まで。
小竹向原に到着する直前に、なぜか駅手前の信号で停車(機外停車という)。別にラッシュ時じゃあるまいし、前に電車がつかえていたわけでもないだろうに、昼間3時過ぎの時間の機外停車は正直訳が分からん。



一躍時の駅となった小竹向原。
ダイヤ混乱時は運転整理が大変なんだろうねえ…。

さて、小竹向原から一度副都心線方面へ取って返して、駅をいろいろと降りてみようか…というところで、もう一度一計を案じ、一日乗車券なのをこれ幸いと、有楽町線に乗り換えて、池袋の一駅先、東池袋まで出てみよう。
東池袋では都電荒川線に乗り換えられるので、都電の早稲田行きに乗って2つ目、鬼子母神前で降りれば、そこは副都心線雑司が谷駅前、都電にも乗れて一挙両得…というわけ。

小竹向原はもともと天井が低い上にホームドアが出来たから、どうにも構内が狭く感じられて仕方がないが、ワンマン化されていない有楽町線ホームにはホームドアがなく、そのせいか、幾分ホームが広く感じられる。



東池袋を目指したのには訳があり、もちろん都電に乗る乗換駅でもあると同時に、もう13年も前になる1995年3月に、しょっぱい汗を流して芝居を打った小屋がこの東池袋にあり、そのハコをもう一度見に行こうというわけ。
学生時代には学習院下電停そばに専門学校があった関係で、よく大塚駅前から学習院下まで都電に乗っていたから、この東池袋界隈もよく通ってはいたのだが、さすがにわざわざ降りる場所ではないだけに、通り過ぎるだけの場所だ。
13年という月日は非情なもので、おいらから、ハコの場所の記憶さえ失わさせようとしていた。
たしか大通りから道を一本入った高速のガード下だったよなあ…というおぼろげながらの記憶を頼りに歩くこと30秒、労せずしてハコ発見。そうそう。「アートスペース・サンライズホール」だった。そう、ここ、ここ。



1995年3月から4月といえば、阪神大震災の記憶が消えないうちに地下鉄サリン事件が起き、真っ先に容疑者としてあの団体が浮かび上がり、とにかく世相は騒然としていて、芝居どころではなかったような気さえするほどだったなあ。
っていうか、おいらをリアルでご存知の方は、もしかすると、おいらがまがりなりにも舞台役者をしていたことなど、想像すらつかない方もいらっしゃるかもしれない。
まあ、役者としての訓練を積めたことが、千葉マリンの外野席でいくらがなってもノドを潰さない腹式呼吸を手に入れることが出来た最大の恩恵…と言えてしまうところがなんとも…。とほほ。
その頃からのおいらの評価は、「お前は声『だけ』は羨ましいくらいいいんだよなあ…」だったから、役者そのものとしての評価など推して知るべし_| ̄|○

都電東池袋四丁目電停のトイメンに、今は役割を終えて閉鎖された、都営バスの操車場があった。
つい1週間前までバスの折り返し場としての役割を果たしていたが、副都心線開業による、池86系統の大幅減便により、操車場としての使命を終えた。



さて、都電に乗って2つめ、鬼子母神前に出てみることにしよう。
(以下、更に続くかもしれませんよ)。

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