小馬太郎兵衛@タコのイカ踊りぃっ!!

ブログの老後をユラユラ楽しむ悦楽ブログって言ったけどさ、もう一発くらい狙ってもいいのかな。やってもいいかな?

いざさらば さらば1000形

2010-06-24 02:44:53 | 鉄ネタなんてどうよ?
もはや風前の灯火で、ファイナルカウントダウンを静かに迎えていた京急1000形が、いよいよ今月28日をもって退役することが、京浜急行電鉄から発表されました。

50年間活躍した1000形が引退します - 京浜急行電鉄 報道発表資料

これによると、京急1000形は、今月26日に引退記念乗車券が発売され、27には金沢文庫→三浦海岸→京急久里浜の経路で、お別れ列車「ありがとう運転」として臨時列車の運転。翌28日まで営業車として運転するというもの。
臨時列車の運転ダイヤや乗車方法等の詳細は、上記リンクからご参照下さい。

とうとう1000形が引退ですか…。
20年くらい前だと、都営浅草線を越えて京成に顔を出す京急車と言えば、ほとんどが1000形で、その頃は首都圏にゴロゴロしていたJR103系や東武8000系と同じく、正直いつ見ても波瀾万丈どこにでもゴロゴロしているという印象が拭えなかった。
ところが、快特が120キロ運転をするようになり、京急羽田空港開業で、京成の乗り入れ車の主力が600形や1500形になっていくと同時にだんだん影が薄くなり始め、いつしか京成押上線でもその姿を見ることは少なくなった。
おいらが京成線で最後に京急1000形を見かけたのは、2008年3月下旬の昼下がり、青砥駅で京急久里浜行きとして待機している姿を目撃したのが最後だった。
この日は確か京急線内で車両故障があり、ただでさえ普段の快特運用にはもう1000形は入っていない時期だったので、間違いなくダイヤ乱れによる代走で、おそらくは京成線内に入線したのも、この日が最後だったろう。記録を綿密に調べた訳ではないから分からないし、その後も代走などで入線実績があるのかも知れないが。



ちなみに、その時ケータイで書いたエントリはこちら。

2008年3月21日付「真昼の珍客」

この京急1000形に関しては、おいらは直接的には関与していないのだけれど、ちょいとした思い出が。

専門学校生時代だった1995年頃は、学校がある高田馬場までは日暮里~山手線経由で通っていて、地元の駅を8時18分に出る急行上野行きが通学列車だった。その列車は準ラッシュ時間帯にもかかわらず、比較的後年まで8両化されず6両のまま残されていて、船橋以西にかかってもなかなか混雑が解消されない列車だった。その列車は船橋を出ると、「乗客専務」の名札を付けた車掌さんが、「ご面倒様で~す」と言いながら乗り越し精算の扱いを始める列車でもあり、おいらも車内でなんどか車内補充券を発行して貰ったことがある。
で。
この列車を地元の駅で待っていると、たまに、中学時代に好きだった元クラスメイトの女の子と鉢合わせすることがあったのだ。
その頃は中学を卒業して5年(ちなみに今はゲフンゲフン(´・ω・`) )、そこまで意識しながら会話をしたことはなかったが、今思えば、飲みの約束の一つや二つくらいしておけば良かったかなと悔やまれたりorz
その子は宝町まで通うので、乗り換えは高砂。この急行に乗っていくと、高砂で、始発の神奈川新町行きに連絡していたのだ。
当然、そこで待っていたのは京急1000形。
学校をサボってこいつに乗り換えて宝町まで駄弁って行く…なんちゅー大人な発想力は、ガキだったおいらの頭の中には、決して無かったんだろうなあ…。

いや、たったそれだけのことなんでやんすよ。
青白き20歳そこそこの若造の青すぎる思い出話でござんす。

あと、京急1000形といえば、1988年冬から数年間、京成に1編成がリースされた事があったのだけれど、あれはたまげたなあ…。
八千代台の塾に通う時、上り電車から降りたおいら。
対向の下り電車は、夕方の通勤特急がやって来たのだけれど、それが色が京急と全く同じ1000形だったのだから、たまげたなんてもんじゃない。今でこそ京急の電車は、快速で当たり前のように高砂以東まで乗り入れてくるのだが、当時は京急1000形は小岩(だっけ?)までしか乗り入れてこないはずで、東中山はおろか、津田沼を越えて八千代台まで、しかも通勤特急として乗り入れて来たのだから、事情を知らなければそりゃあびっくらこくのも道理というもの。
今でこそ、こうした情報は、やろうと思えばケータイ一つで簡単に調べて手にすることができるが、当時はそんな情報を手に入れる環境下ではない。あまりに唐突でびっくらこいたので、種村直樹先生に質問のお手紙を書いたついでに、京急1000形目撃の事の次第を書き綴り、どういう事でしょうか…なんて書き足したら、いつもの達筆で、「僕がそんな事情を知る訳がないじゃないか」くらいの勢いで返信を頂いた記憶がある(^^;)
京成が8連が足りず(おそらくは3200形や3300形の車両更新工事の絡みがあったのではないかと)、京急の旧年式の1000形を急遽リースして8連に仕立てた…という事情を知るのは、当然のことながら、初めて京急1000形を八千代台で見てから数十日経った、鉄道雑誌の発売日まで待たなければならなかった。

そんな1000形も、もう引退ですか…。
せめて静かに送り出してやりたいところですな…。

今週末は、京急が阿鼻叫喚の地獄絵図になりそうですな…。
せめて、電車は止めるなよ…。
止められると思うけど。絶対。

ちなみに、タイトルの元ネタは、小中学校の卒業式でお馴染み「巣立ちの歌」。
皆さんも、こんな鉄ネタにおつきあい頂いたのですから、最後はこちらの歌でお楽しみ下さい。

いざ行かん、京浜間電撃のスプリント決戦。

YouTube - 巣立ちの歌

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2 コメント

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竹ノ塚の大先生は・・・ (たべ)
2010-06-24 16:30:20
※僕の3つのブログをまとめたサイトを晒します。

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別に質問した貴君が悪いわけではないですが、自ら「僕はメカに弱い」と公言していらっしゃるので、京急1000形が云々の質問は、無理だと思います・・・(苦笑)

でも、今考えると、読者からの質問を無視せずに、一つ一つ、ご丁寧にお返事を書いていらっしゃったなぁ・・・と思います・・・。
返信する
一応… (小馬太郎兵衛)
2010-06-25 11:23:11
他の質問が主で、あくまで京急1000形のことはついでで聞いたのですが、そりゃあ竹ノ塚の大先生だって「知る由もなし」ですな。
一応、そういう反応が返ってくると分かっていて書きました(^^;)
若い頃は怖いモノ無しでなんでもできちゃいますからねえ…。
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