Crónica de los mudos

現代スペイン語圏文学の最新情報
スペイン・米国・ラテンアメリカ
小説からグラフィックノベルまで

グアダラハラ国際ブックフェア(3)

2019-12-20 | 出版社
スダメリカーナ、プラサ・アンド・ハネス、アルファグアラ、アギラール、ルメン、グリハルボ、タウルス、ベルガラ、スペイン語圏の名だたる出版社を傘下に収めるアメリカのペンギン・ランダムハウスはまさしく現代の書籍世界に一大帝国を築いている。スペイン語圏に留まるプラネタとは異なり、米国をはじめとする英語世界をも支配しているPRH、そのブースは実に多国籍だ。いわゆる世界文学、そして世界的なベストセラーのなかにスペイン語文学がどういう風に位置づけられているのかを知るには絶好のブース。
なかには堆い山がいくつか点在する。なかでもいちばん目立つところにそびえるのがハリポタ山。わずか20年あまりのあいだに世界中で読まれる准古典作品となったこのシリーズはもちろんスペイン語圏でも大人気。私がふだん相手にしている大学生も、二人に一人は読んでいるのではなかろうか。文学というものを大学のような公共空間で語ることが難しくなったいまでも、ハリポタに言及したとたん学生たちの表情が変わる。若者を書物の世界に引き寄せたという意味で、やはりこのシリーズには感謝してもしきれない。
続けて目を引くのは「もっとも検索されている本」の山。出版側や書店側が売りたいものを並べる棚は昔からあったが、今は検索数の多さが販売時の大きなポイントになってくる。売る側の立場からすれば、いかにして検索したくなる本をつくるかが重要、ということになるだろう。こうして本を定期的に買う層の潜在的欲望に迎合する書籍が各国で増加してゆくことになる。スペイン語圏でも自己啓発本は毎年山のように出ているし、日本の書店から不思議と消えることのない醜悪な隣国ヘイト本もそれなりに分厚い購入層があるということだろう(想像するだけでうんざりですが)。
スペイン語作家の山ではマリオ・バルガス=リョサ。フェアにも来場、スペイン語文学の生ける伝説が書く本は実はベストセラーでもある。バルガス=リョサはさほど前衛的で難解な作風ではなく、少し頑張れば誰でも読める。ボルヘスがこのような山になることはないだろうが、バルガス=リョサならハリポタ山の横でそびえる資格をもつのかもしれない。手前に積み重ねられているのはノア=ハラリの著作。世界的に影響力のある発言者の著書を、スペイン語圏ドメスティックで発言力のある文学者の山に並べる。この世界戦略というか、書物の世界の見取り図がPRHならでは。
バルガス=リョサの隣に山を作るのは、本人曰くラテンアメリカ文学を代表する偉大な作家であるこの人。ハリポタ、バルガス=リョサ、コエーリョ。不思議なラインアップだが、共通点は、いずれの作家も日本語で読める、すなわちいずれも世界文学の四番打者級の作家であるという点。作品の質は問わない。誰も読みはしないジョイスやプルーストではなく、数百万のツイッターフォロワーがいる自分こそが世界文学なのだとコエーリョが豪語するのも、無理はないこと。いっぽうバルガス=リョサがいくらコエーリョのような文学を「ごみ文学」と罵りさげすんだところで、PRHの市場感覚では「ごみだろうが宝石だろうが売れればいい」ということになる。
スペイン人作家で山になっているのはこのアルトゥーロ・ペレス・レベルテ。やはり日本語でも読めますね。プラネタの看板作家アルムデーナ・グランデスがスペイン語圏ドメスティックにとどまるのに対し、英語や日本語になって世界で売れるペレス=レベルテこそが現代スペイン文学唯一の世界文学化した作家だという実態に「なんだかな~」という言いようのない不満感が湧いてくる。ペレス=レベルテの良い読者ではないのでなんとも言いようがないのだけれど、ラファエル・チルベスなど世界化しそうにはないが非常に優れた作家を愛好してきた身としては「なぜこの山が?」と脱力してしまうのですね。
コエーリョはブラジル人なので厳密な意味でスペイン語の世界の人ではないが、スペインとラテンアメリカというくくりでPRHが看板にしているのはこの三人。この三人がハリポタ以外にたとえばこういう山と隣接している。
ジョージ・R・R・マーティンとSFの山。スペイン語へのSFの翻訳はエルサルバドルの製造業よりも遅れていて、いまだにアシモフが今年の新刊書のように山積みにされている。ほんと、見るたびに、腰砕けそうになりますね。テッド・チャンら中国系の作家たちの本がかろうじて翻訳され始めているが、イーガンやミエヴィルなどは誰も知らない。日本人に生まれて、早川書房のある国に生まれて、つくづくよかったなあ、と思います。
スティーブン・キング山。こういうメジャー級を中心にした世界文学最前線のなかにアルファグアラのような出版社が位置している。少し疲れてきたのでアルファグアラの今年の本でも見ようと思ってラテンアメリカ文学のコーナーを目指してみたのだが、歩けども歩けどもそのような棚がない。チリの書店などにある「現代イスパノアメリカ」という札が見つからない。ここにあるのは「世界文学とそれ以外」なのである。たとえばロベルト・ボラーニョはアルファグアラが元のアナグラマからすべての権利を買い取り、いわゆる完全移籍が成立した。お洒落なアナグラマの初版は文庫だけに縮小され、ボラーニョの作品はアルファグアラからどんどん新装版が出ている。が、その本はどこにも見当たらない。ボラーニョには全世界にコアなファンがいるが、それはペレス=レベルテの読者と質が違う。ボラーニョは長期的に世界文学化するとは思うが、おそらくコエーリョはボラーニョ文学を自分と同列にはみなさないだろう。ボラーニョはPRHのパスナッソス山に居場所をもたない。現に、このブース内でボラーニョの本を見つけることはできなかった(どこかにあったのだとは思うど)。
PRHのブースにある看板は傘下の出版社の名前。ボラーニョはおそらくリテラトゥーラ・ランダムハウスというレーベルの棚にあるのだろう。上には売れ筋文学の表紙がディスプレイされている。ウンベルト・エーコ、ルシア・ベルリンらとならんで、メキシコの売れ筋ソフィア・セゴビアの『みつばちのささやき』が。この小説はとても売れているので、私の大阪の本棚にもいちおう置いてある。その横のフェルナンダ・メルチョール『ハリケーンシーズン』も。現代メキシコ文学を語るうえで欠かせないメルチョールの代表作は来春に読む予定だが、おそらくセゴビアは読まないだろう。なぜかは説明しにくいが、この種の本が私の積読リストに入ることは今後もないと思う。おそらく仕事としては難解なメルチョールより適度に泣かせそうなセゴビアの小説のほうが手堅いと思う。が、そういう風な読み方、お付き合いのし方はあまりにもつまらない。私はバイヤーとして「そこそこ売れそうな商品」を求めているのではない。では何を求めているのだろうか。自分では説明しにくいのだが、その答えは少なくともPRHのブースにはないだろう。
というわけで明日はいよいよメキシコを代表するインデペンデント系のセクスト・ピソのブースへ行ってみることに。
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