Crónica de los mudos

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グアダラハラ国際ブックフェア(5)

2019-12-22 | 出版社
スペイン人が多かったホテルの朝食、7時過ぎにはパンが売り切れてしまい、豆と肉系しかなくなる。朝から肉というのも悪くはない。私は日本でも朝に炭水化物を食べなくなって久しいので、これくらいのほうがかえって楽。
私は文学書のところばかり回っていたわけだが、会場内のかなりを占めていたのが子ども向けの本。絵本、児童書、教科書、教育関係の専門書、大学など各種教育機関の出店など。自然と先生と思しき人たちの姿も目立つ。それと、こわくてあまり足を踏み入れなかったが、宗教書関係のエリアも広かった。スペイン語圏はカトリックの牙城、くわえて中米にはプロテスタント系や新興宗教の進出もめざましい。あれらも立派な出版文化でしょうから。

ボローニャ絵本原画展で知られるスペインのSMももとは教育系の書物を専門にしていたのだとか。絵本と児童書は、つくりてと翻訳家などの受けてが顔を突き合わせ、時間をかけて新しいビジネスを立ち上げてゆく。ここに実際に来て話をすることがとても大切なのだそう。色味についてもネット上で見るのと実際に見て触れるのとでは大違いなのだそうだ。文学作品は紙で読もうとアイパッドで読もうとまったく変わらない。絵本はそういうわけにはいかない。
同じく絵本の老舗エデルビーベスは19世紀末にカタルーニャで創立された。やはりこういう企業のブースはお洒落で、なかで過ごしているだけで幸福な気持ちになれる。いてはる人種の雰囲気も文学書ブースのそれとは微妙に違う。もふもふのウサちゃんをまじめに語れる人たちの世界である。
いまやハポンが最先端なのは料理とこれだけになってしまったコミックのブース。いてはる人種の香りは世界共通でした。メキシコもチリも女子が漫画のコスプレを街中で平気でしているのに驚く。ただ、翻訳本のなかみはまだまだお粗末で、この分野については翻訳ではなく自力でコミックを描くスペイン人やメキシコ人が大勢現れ、地元の子どもたちがゴクウやセーラールナよりそっちを愛し始めたときにはじめて立派な文化産業となるだろう。
地元ハリスコ州の古書店が軒を連ねるエリア。わりとよかったです。若いころはリマやブエノスアイレスのこういう場所で本の価値を学んだ。大学よりも文学史よりも何倍も多くを教わった。店構えにも、本にも、店主たちにも、奇々怪々な客たちにも。こういう空間もなくなってほしくはない。
メキシコの老舗ポルーア。権威主義とはこういうふうにして形にするのかを教えてくれる構造のブース。警官みたいに台に乗った警備員が入り口に立っていて、入れるもんなら入ってみろ、という感じ? 子どもたちであふれかえった最後の日は、ここも所狭しと床に陣取ったガキどもがポテチを食いまくってましたけれど。

メキシコといえばガンディー書店。コヨアカンの店を訪れたのはもう何年前になるだろう。ちなみに、急増ブースとはいえ、ここの選書はあまりにお粗末でした。平積み書棚のところどころにお守りみたいにガルシア=マルケスを置くのはいくらなんでも勘弁してもらいたい。
知らなかったのがコロフォンという第三の出版グループの存在。各種の校訂版全集で知られるガラクシア・グーテンブルク、私も好きなアカンティラード、新興のパヒナス・デ・エスプーマ、翻訳も含めた詩で知られるシルエラなどが集まっている。もともと自らも編集出版事業を起こしていたペンギンランダムハウスやプラネタとは異なり、メキシコを拠点とする配給会社というか、本の流通に特化した企業が、ヨーロッパに拠点を持ついくつかのインデペンデント系と契約を結んでいるということのようだ。今年東京でご一緒する機会のあったホルヘ・カリオン『アマゾンに抗って』を大々的に宣伝していた。
ついでにその本のプレゼンにも参加してきた。左にいるのはメキシコの小説家アントニオ・オルトゥーニョ。なにかと閉鎖的なスぺイン人作家のなかにあって彼だけは例外だとべた褒めでした。私はカリオンのことをSF作家としてひそかに尊敬していたのだが、この夜の話によると、子どもが生まれてからは実験的作風には興味がなくなり、むしろこの目で見たことを地道に書いていきたい気持ちになったのだ、ということ。別にSFでもいいのに。
ある日のディナー。ホテルのステーキ。トルティーヤが必ず添えられている。ビールはネグラ・モデロ。テカテのアンバルというエールのようなタイプがうまくて、今回の旅では(夜だけですが)ビールをよく飲んだ気がする。1年分くらいか。

会場内にはビールのブースも。いい国です。

会期の終盤にはマリアッチが登場。もっとも優れた展示をしたブースを祝福してまわる。お祭り気分がいやがうえにも。あくまでビジネスなんですが。
メキシコのインデペンデント、アルマディーアのブース。ここでは前々から欲しかったベロニカ・ゲルベル・ビセッチ『ひっこし』を購入、運よく彼女の最新作も購入することができた。『引っ越し』は表現手段を紙から別の場所へ移した異形の作家たちを描く異色のエッセイ、最新作『ラ・コンパニーア』は廃墟の写真と既存文学テクストのコラージュのみで構成されたアヴァンギャルドな本のよう。近いうちに紹介します。
ある夜のイベント。左からフリアン・ヘルベルト(メキシコ)、ハビエル・セルカス(スペイン)、レイラ・ゲリエーロ(アルゼンチン)、フェルナンダ・アンプエロ(エクアドル)、そして司会のホルヘ・ボルピ(メキシコ)。テーマは「フィクションとノンフィクション」、なかなか面白いパネルだった。ヘルベルトは白血病で亡くなった元娼婦の母をめぐる一種のオートフィクション『墓の歌』を書いている。セルカスには82年のクーデターを描いた『瞬間の解剖学』、実在した収容所体験詐称者をモデルにした『なりすまし』といった一種の実録物がある。ゲリエーロはジャーナリストあがりのノンフィクションライター。近ごろ頭角を現してきたアンプエロだけが新人格にあたるが、彼女ももともとジャーナリストでシリア内戦のかなりディープなところに潜り込んでいくつも修羅場を見てきたらしい。逆にそのことを書くのではなく、いまはエクアドルのローカルな場所にシリアと同じ状況を見ているのだという。それにしても、ボルピって、ほんとに秀才君ですね。書いたものから想像していた通りの、日本でいう、いわゆる東大君。そういう頭のいい人間を嫌みなくさらりと演じきれるのが真の知性なのでしょう。ちなみに私は来年にかけてゲリエーロをここで紹介していきます。今年出たアルゲリッチの伝記がものすごくよいらしく、来春に読む予定。読む予定の本、多すぎますな~。
これは最後の日にホテルの近所を散策して見つけたシーフードレストランのランチ。肉っけ以外の食べ物が懐かしくてつい。以上、グアダラハラ国際ブックフェアの報告でした。
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