
ワコとはペルーの先住民文化における土偶を指し、なかでもワコ・レトラトとは北部海岸域で栄えたモチェ人たちが残した人面土偶のことで、上の表紙にあるようなタイプである。スペイン語の retrato はポートレートのことなので、人面土偶であると同時に南米の「文化」としてヨーロッパに連れていかれたある人間の肖像という意味にもとれる題である。
作者のガブリエラ・ビーネルは1975年チクラヨ生まれのライター。という職業名は redactora がしっくりくるが、百パーセントのフィクション専門小説家というよりは新聞やオンラインジャーナル等のルポが主たる活躍の場で、ときどきそれらの文章を集めて単行本化したり、ときどき本書のようなノンフィクションを書いてそれを小説として売る場合があったりと、純粋な文学とそうでない領域にまたがっているけれどどちらかと言えば後者が中心です、というのは日本ではしばしばライターと十把一絡げにされている人たちに該当するのではなかろうか。ラテンアメリカではペルーのビーネルに、アルゼンチンのレイラ・ゲリエーロが比較的よく知られていて単行本も多い多作なライターである。
Wiener という名は見ればわかるがスペイン系ではない。
ウィーンに生まれてフランスに帰化したユダヤ人の高祖父シャルル・ビーネルが19世紀に残したペルー探訪記、この本の刊行に当たって開かれたイベントにリマ在住の子孫、つまりビーネル一族が集まったところから、おそらくこの本の構想は始まっている。一言では定義しがたいし、本人は「およそ考え得る限り最も恥ずかしいライティングのスタイル」と言っているが、仕方がないので用いると、本書は作者が自らのルーツであるユダヤ人と彼がヨーロッパに「サンプル」として連れ去ったひとりの先住民の子どもの運命をたどりつつ、それに関連させて、スペインに生きる南米人である自らの風変わりな性生活や、謎多き父親をはじめとした両親との関係についても綴っていくというオートフィクションである。
というより、ほとんど事実でしょう。
こんなの書いて大丈夫か、と思わせるほど。
そこがかえって新鮮ともいえましょうか。
自分についてはいいけれど自分と関係を持った相手の性癖まで書いたら、日本なら訴訟覚悟だと思います。
ビーネルはポリアモリスタを公言している。
同郷の旦那がいてその間に子どももいるが、スペイン人女性の愛人もいて、この3人(と子ども)でなんと同居していて、ベッドは3人寝られるようになっているんだけど、関係が悪化するとそれぞれの寝場所もあるという、まあ日本の狭い家では無理な関係です。
ビーネルさんはバイセクシュアルであり、ポリガミーを容認する立場であり、二人の同居者に限らずよそでも自由に関係を持つフリーセックスの実践者でもある。こちらのほうでの本も書いていて、未読だが面白そうなので取り寄せ中。問題はそうした関係が本書でもつまびらかにされていること。痛々しいほどに。
しかし上述したようにそれはサイドメニューで、本筋は自らの血に流れている(かもしれない、だったことが結末でわかる)19世紀ヨーロッパの差別主義者のユダヤ人の南米放浪をめぐる話が少しずつ明らかにされてゆく。高祖父か誰かわからないこの人物の足跡を追っていくうちに、彼女は亡くなった父、ちなみにこのラウル・ビーネルさんはペルーでは娘よりも有名な共産党の闘士だった、彼に愛人がいたということを知り、自らの性生活に重ね合わせて葛藤しもする。
面白いのはやはり、19世紀におそらくフランスの博覧会で陳列されたのであろう先住民の少年と彼の眼差しに、作者自身が次第に同化していくこと。ジャーナリストという知的職業についていながら、メスティソの風貌をしてペルー訛りのスペイン語を話すだけで、スペインで「どこのおうちの掃除をしているの?」と悪気なく訊かれる体験を何度も繰り返してきた作者はインディオの少年に自分の姿を重ね合わせてゆく。ワコ、土偶、見られて理解されて消費されて捨てられる存在とは、少年でもあり彼女でもあるのだ。
私が詳しく知りたいなと思ったのは、主として第三世界出身の女性たちが集まってフリーセックスの実践について語り合う「脱植民地主義セミナー」のこと。妻や女という形で一方的に領有されることをよしとせず、能動的に寝たい相手と寝る、を実践する女たちの集う会、怖いもの見たさで行ってみたいような気も。今なお生きているヨーロッパの植民地主義に対してセックスという実践の現場でしたたかに抵抗している人がいる、というのは、オジサンが書いた本ではなかなかわかんないですよね。バルガス・リョサなんていまやスペインの名誉国民ですし。
マルタ・サンス、クリスティーナ・リベラ・ガルサ、賛辞を送っている人々の名前を見るにつけなるほどね、という読後感。ラディカルで、バリエンテ(勇気がある)で、ウモリスティコ(ユーモアたっぷり)で。ペルー語満載なので私は読みやすかったし、にやにやしながらページをめくっていたけれど、最後にセミナーで彼女が読んだ詩を見る限り、そういう南米の言葉遣いをするのもひとつの意思表示なんですね。
ポリアモールの実践もけっこう大変だ。
ビーネルさんには旦那との間の子のみならず、旦那と彼女の愛人のあいだの子どももいる。
ただしそれについても最後にちゃんと書いてあって、そこを読んで私は、そうだよね、子どもを持つってやはりそういうことだよね、と奇妙に納得してしまいました。目が点になるほどの奇妙なプライベートライフを送る人に常識を教えてもらう。それが小説の力なのでしょうか。
Gabriela Wiener, Huaco retrato. 2021, Rondom House, pp.170.