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川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

『誰が小沢一郎を殺すのか?』

2011-03-06 06:17:23 | 政治・社会

3月6日(日)

 今日は川口市民会館の「小さな音楽会」<弦楽合奏の楽しみ>にいきます。東京芸大の弦楽科3年生が主体の演奏会です。明子さん(81年3月・池商卒)の娘さんが出演します。明子さんと昼食を共にするのも楽しみです。

オランダ人のジャーナリスト・ウォルフレンという人が『誰が小沢一郎を殺すのか?』(角川書店)という本を出版したといいます。講演をネットで一度だけ聴いたことがある人ですが今の政治の流れを理解する上で傾聴に値する論説だったと思います。

 本屋の宣伝HPを紹介します。小沢一郎さんに対する「人物破壊」キャンペーンは世界的に類を見ないという著者の指摘に僕も同意します。なぜかくも執拗に、徹底的に小沢一郎を抹殺しようとするのか。この動きを傍観し、黙っていてはいけないと思ってきました。時局ものの本を読むことは滅多にないことですが読んでみようと思います。

(以下は角川書店のHPから)

永田町取材30年以上のオランダ人ジャーナリストが、「小沢一郎」問題の背後に浮かび上がる「非公式権力」と、その支配の構図を徹底解明。検察とマスコミによる「異分子」の抹殺、民主主義を揺るがす「日本型スキャンダル」の罪、そして小沢一郎問題と戦後日米関係を結びつける「密約」の正体とは――。日本の未来を問い直す刺激的論考、騒乱の渦中に緊急出版!

「小沢一郎」問題の本質を照らすキーワード、"Character Assassination 人物破壊"とは?! 標的を実際に暗殺(Assassination)する代わりに、対象の世間的な評判や人物像(Character)に致命的な打撃を与えて表舞台から永久に抹殺する手法。政界や学界でライバルを出し抜く際に用いられ、欧米諸国ではしばしば使われる表現。(本文より) 「しかし、小沢氏に対する日本国内の強力かつ長期的な"人物破壊"キャンペーンは、世界的に類を見ない――」

誰が小沢一郎を殺すのか?―画策者なき陰謀

3月1日発売 定価1680円
四六判単行本 200ページ

試し読みはコチラ
第一章 「人物破壊」にさらされる小沢一郎
九九三年という"直近の起源"
終わりなき反小沢キャンペーン ほか

 

 

誰が小沢一郎を殺すのか?
●日本の読者へ(カレル・ヴァン・ウォルフレン緊急インタビュー)

カレル・ヴァン・ウォルフレン

――なぜ、小沢一郎氏をテーマとする本書を刊行することにしたのですか?

 私が執筆を思い立ったのは、抜本的な政治改革という、多くの日本人が明確な意思表示をもって臨んだ類い稀なるチャンスが失われようとしていると感じたからだ。
 その国にとってとてつもなく重要な展開は、しばしば、大多数の国民が気づかないうちに起こるものだ。人々の関心はきわめて些細な出来事に引きつけられがちである。小沢氏が起訴されたことは当然のことながら国民の関心の的となったが、大勢の人々にとって、それはエンタテインメントのひとつにとどまっているらしい。そして、ある重大な事実、すなわち小沢氏が日本の政治にとってどれほど重要な役割を果たしてきたかという事実を、大半の人は忘れてしまったかに思われる。
 そもそもこれまでの日本では、政策立案をするために必要な機能が停止したままの状態が続いてきた。それは、半世紀以上にもわたる旧態依然とした体制が維持されるよう、自民党が取り計らってきたためなのであり、民主党が自民党から政権を奪い返した意義は、ここにこそあったのだ。
 そして、彼らが自民党から政権を奪い返すことのできるような状況を生み出した人物こそ、小沢一郎氏にほかならない。ところが民主党の政治家の多く、おそらくその半数までもが、真に抜本的な改革をしようという当初の熱意を失ってしまったかに見える。そうした人々は小沢氏の評判を貶め、彼の政治生命を抹殺しようと生み出された架空のフィクションに乗せられてしまったらしい。
このようなフィクションを生み出した人々、特に日本の検察や新聞の編集担当者たちは、かなり早い時点で、小沢氏は現体制という日本の政治システムにとって脅威となる人物であると断定したのだろう。その判断自体は間違っていない。小沢氏がその誕生に手を貸した民主党は、この旧態依然とした政治システム側からすれば、確かに脅威だったのである。

――日本政治の現在の問題点、そして目指すべき方向性はどこにあるのでしょう?

 民主党を政権の座につけたのは、日本の政治システムの問題を修復するという同党の約束を信じた日本の有権者たちである。つまり日本の有権者は、民主党と小沢氏に、日本が世界の先進大国となったあと何十年にもわたって続けられてきたやり方を変えてほしいと望んだのである。
 本書のなかで私は、日本のシステムは超法規的であると記した。これは、そのようなシステムを真に民主的なやり方で制御する手段が、日本国民の手中にはないということを意味している。そしていま、このような超法規的なシステムを維持しようとする人々は、小沢氏が犯罪者であるかのように喧伝することで、国民を欺こうとしているのだ。
 彼ら自身は、自分たちが正しいことをしていると信じている。ただし彼らにとっての正しいこととは、混乱をもたらしかねない不確かなものを、どんなものであれ阻止するということである。彼らの行為を、理解できないわけではない。だが私は、政治による舵取りを真に実現し、本当に解決すべき問題に取り組む必要があるということを理解していた日本の人々をこそ、いっそう強く支持する。
 日本が解決すべき問題のひとつは、国際社会における日本のポジションである。日本を直接取り巻く東アジア地域の状況は、一変した。ところが日本政府はこれまでのところ、日本とその近隣諸国の双方にとって有益な方法で新しい状況に適応することができずにいるようだ。
 この問題には、日本のアメリカへの依存体質が密接に関係している。ではなぜアメリカに依存するのか? それは、政治的な舵取り機能を果たす真の政府の存在が日本には欠如しているからである。これこそ、民主党が改革しようと望んだことなのであった。

――最後に、日本の読者に向けたメッセージをお願いします。

 私は日本人ではないが、他のいかなる国にも増して、日本は私の人生にとって重要な存在である。私はこれまで20年以上にもわたって、多くの著書やエッセー、記事を通じて、幅広い日本人読者に語りかけるという幸運に恵まれてきたのだ。だからこそ私は、日本の人々の将来に何が起こるかということに、強い危惧を抱いているのである。  

  出典●http://www.kadokawa.co.jp/wolferen2011/

 


誤報、そして…。 ネットカンニング事件狂想曲

2011-03-05 09:09:39 | 政治・社会

先日、産経のニュースサイトでこんなニュースが流れていました。

東京の男子高校生2人とほぼ特定したことが2日、捜査関係者への取材で分かった。」とありますがその後の展開を見ると明らかに「誤報」です。どうしてこんな嘘を流したのか、産経はきちんと明らかにして、謝罪し、責任者を処罰すべきです。誰とは分からなかったかもしれませんが「東京の男子高校生二名」が血まみれにされるところでした。

 NHKをはじめとするマスコミの報道は度が過ぎています。我が家では新聞は取っていないので影響はありませんが、夜7時のNHKのニュースのスイッチは入れます。このところ連日、トップがこれで微に入り細に亘ってカンニングのやり方を紹介しています。うんざりです。中高生をはじめ社会は試験漬けです。彼らの間でネットカンニングの研究がいっそう進むことを期待しているのでしょうか。

京都府警は「偽計業務妨害罪」に当たると言ってこの青年を逮捕してしまいました。この逮捕は許されるのでしょうか。カンニングはいつから「犯罪」になったのですか。カンニングをよしというつもりはありませんが「罪刑法定主義」はどこへ行ったのでしょう。

 京都大学の学者たちもどうかしています。「大学の自治」はどこに行ったのですか。入学者をどうやって決めるかは大学の根幹に関わることです。カンニングにどう対応するか、は自分たちで考えるべきことです。法学部の学者は何も言わなかったのでしょうか?早々と告訴をして警察権力の介入を求める感覚は僕には分かりません。

【入試問題流出】
都内2高校生が関与 1人は外で中継 京都府警ほぼ特定

2011.3.2 13:55 (1/2ページ)

 京都大などの入試問題が試験時間中にインターネットの質問サイト「ヤフー知恵袋」に投稿された問題で、京都府警が、投稿に関与したのは東京の男子高校生2人とほぼ特定したことが2日、捜査関係者への取材で分かった。京大の受験生の答案の中に、「ヤフー知恵袋」に第三者から寄せられた回答と酷似した答案があったことや、携帯電話の発信記録などから総合的に判断したとみられる。

 投稿に使ったのは、NTTドコモの携帯と判明。京都府警は、一連の投稿行為が偽計業務妨害容疑にあたると判断し、同日中にも運営するヤフージャパンとNTTドコモに対し、投稿者「aicezuki」の端末のネット上の住所「IPアドレス」や通信履歴の捜索差し押さえ令状を取り、慎重に捜査を進める。

 捜査関係者によると、試験会場にいる受験生が携帯電話のカメラなどで問題文を撮影。会場の外で待機する人物がその画像を受信して携帯電話で質問サイトに投稿し、第三者からの回答を得て、再び試験会場にいる受験生に返信。返信手段にはメールを使ったか、会場内の受験生の携帯電話に直接電話、受験生は手に隠れるようなコードレスイヤホンを使って回答を聞き転記した可能性があるといい、いずれにしても複数犯という見方を強めていた。

 


 

※上記記事は3月2日午後1時55分に掲出しました。その後の展開については「仙台の予備校生を偽計業務妨害容疑で逮捕」などをご参照ください。

 

 

 


春の旅・第二弾は「九州路に友人たちを訪ねて」

2011-03-04 04:08:13 | 出会いの旅

3月3日(木)晴れ・寒い

 九州の友人たちを訪ねる旅の予定がだいたい決まりました。どなたも遠い昔、世話になった方々です。今は九州の故郷に住んでおられます。

 泊めて貰ってその地を案内してもらうのですから贅沢この上なしです。

4月20日(水) (羽田ー鹿児島)  鹿児島県霧島市国分 T・芳久さん(大学の同級生)  上野原遺跡http://www.jomon-no-mori.jp/

   21日(木) 霧島観光Hhttp://www.kirikan.jp/                     あの霧島!

   22日(金)~24日(日)   熊本県人吉市 N・賀明さん(大島高校の同僚)    川辺川 人吉

   25日(日) 佐賀県武雄市山内  Y・正浩さん(池袋商業高校の同僚)      武雄

   26日(月)~27(火) 佐賀県伊万里市  I・正彦さん(大学の新聞部後輩)  

                                                        にあんちゃんの里http://hasiru.net/~maekawa/mine/oturu/oturu.html      

                                                        鷹島 伊万里 松浦

   28日(水) 平戸・千里浜温泉ホテル蘭風      平戸・生月

   29日(木) (長崎ー羽田)

 観光というより、それぞれの方のお宅に世話になってあれこれと交流するのが何よりの楽しみです。旧友と再び「出会う」ことが出来れば無上の喜びです。今回の移動は飛行機のほかはなるべく列車などを利用します。


コニヤンの「出発式へのメッセージ」

2011-03-03 12:23:03 | こどもたち 学校 教育

高知のコニヤンが働いている不登校の中学生が日々集う「教育研究所」でも3年生の<卒業>の日が近づいているようです。生徒たちの学籍はそれぞれ地域の
中学校にあるわけですからここで「卒業証書」をもらうわけではありません。だからか、「卒業式」とは言わず、「出発式」です。「出発」という言葉にはここに関わる
すべての大人たちの子どもたちに贈るメッセージが込められているのでしょう。
 コニヤンは自分が関わってきたすべての卒業生に毎年、毎年、「出発式のメッセージ」を贈っています。僕が知ったのは3年前のことです。高知にこんな教師が
いるのか、それも僕の高校の後輩に!驚くやら、嬉しいやらで、早速、同窓会名簿で本人確認を試みたものです。
 それ以来、僕の方は勝手に百年の知己のように思ってつきあってもらっています。こんな教師がいることを日本中の人に知ってもらいたいとも思います。
「出発式」は何年間、あるいは何ヶ月間のつきあいの総決算ですから、こういうメッセージがどういう営みの果てに生まれたかは想像力の世界です。コニヤンのブ
ログを読んでいると子どもたちとつきあう日々の営みがどんな風であるか、どのような人生の歩みの中で生み出されたか、想像する資料の宝庫に出会うことが出
来ます。
 勝手ながら今年の「出発式へのメッセージ」をそのブログから紹介します。本番は14日です。
 
「出発式へのメッセージ」
今年もいよいよ出発式の季節が近づいてきました。
今年度も子どもたちからたくさんの「人生の真実」を教えてもらいました。
そのことをここに綴りたいと思います。ああ有情。
 
 Aくんへ
2年半のつきあいだったよね。3年の3学期になってからの通所はすごかった。君の強い意思をいつも教えてもらったよ。みんなのなかに入って生き生きとやりよったもんね。大丈夫。これからの高校生活に期待しているからね。「自分の好きなことに没頭する」ということをいつも教えてくれてありがとう!
 Bくんへ
2年3ケ月のつきあいだったよね。通いはじめの頃からいうと、トライや駅伝とやり通し、ずいぶんと成長したね。自分の言葉をしっかりと持っていた。後輩にやさしく接したり、後輩にめんどうみのいい君の姿にいつも学んでいた。テニスも上達したね。
いつも「感性の鋭さ」を教えてくれてありがとう!
 Cくんへ
2年間のつきあいだったよね。(2年の時はK先生。直接担当になったのはこの1年間だったよね。)野球も上手くなったね。
あの文化祭の「意見発表」は感動したよ。
この2年間の成長ぶりはすごかったよね。
君のやさしさをいつも感じていたよ。
「誠実に生きる」ということをいつも教えてくれてありがとう!
 Dさんへ 
2年間のつきあいだったよね。
(2年の時はS先生、3年の時はМ先生とダブル担当だったね。)
トライの時もよく歩き通したよね。いつも控えめながらも自分の考えをしっかりと持っていた。家の手伝いもきちんとやっていたもんなあ。
「地道にマイペースで生きること」をいつも教えてくれてありがとう!
 Eくんへ
2年間のつきあいだったよね。
(2年の時はK先生、直接担当になったのはこの1年間だったよね。)
君の笑顔をいつも忘れない。これからもその笑顔を忘れず、自分からできることをやっていってほしい。野球も上手くなったね。
「自分のペースをつかむ大切さ」をいつも教えてくれてありがとう! 
 Fくんへ
2年のつきあいだったよね。あの文化祭のオリジナルダンスはすごかった。感動した。一度やると決めたらその通りに実行する君の強い意思をいつも教えてもらったよ。
「人間にはそれぞれの自分のペースがある」ということをいつも教えてくれてありがとう!
 Gくんへ
1年半のつきあいだったよね。
友達もたくさんできて、ずいぶんとたくましくなったもんね。
文化祭での「コント」は一生忘れないよ。私にとっても初めての「コント」だったからね。学習意欲もすごく出てきたよね。
料理や音楽、サイクリングなど君の多方面にわたる興味関心を生かす道は必ずあるからね。
肯定脳でいけよ。
「肯定脳の大切さ」をいつも教えてくれてありがとう!
 Hくんへ
1年1か月のつきあいだったよね。
よく生き方とか、いろいろなことを話したよね。君の笑顔がいつもステキだった。生活リズムを大切にしてこれからもがんばってほしい。
「ボチボチ力の大切さ」をいつも教えてくれてありがとう!
 Iくんへ
11ヶ月のつきあいだったよね。目標に向かってやりきったことはすばらしいよ。英語もどんどんやっていきよ。
高校での放送部での活躍に期待しているからね。
いつも「こつこつやる大切さ」を教えてくれてありがとう!
 Jくんへ
10ヶ月のつきあいだったよね。文化祭での空手の演武かっこよかったよ。すごく自立に向けて成長してきたなあと感じているよ。これからも空手を始め、いろいろとやってみたらいいよ。
いつも「前向きに明るく生き、しかもノーテンキである」と「感性を磨くこと」を教えてくれてありがとう!
おばあちゃんをこれからも大切にしろよ。
 Kくんへ
6ヵ月のつきあいだったよね。自分からの意思を強く感じた。
そして、心を開いてくると自分の行動が変われることを身をもって示してくれた。「自分の意思を貫く大切さ」をいつも教えてくれてありがとう!
 Lくんへ
 5ヶ月のつきあいだったよね。自転車で初めて学校に一緒に行った時の光景を今でも鮮明に覚えているよ。週に一回学校に行き始めた君が次第にたくましく成長していく姿が私にはすごくうれしかった。
「学校に行くことの意味」をいつも教えてくれてありがとう!
 Мさんへ
 中2の終わりから会っていたけど、本格的に話をしたのは3年生の最後の四ヶ月だったよね。自分を語れる「言葉」を持っている。演劇をやりたいという夢がある。どんどん自分のものを出していってほしい。
「自分の思いを語る大切さ」をいつも教えてくれてありがとう!
 Nくんへ 
1か月のつきあいだったよね。あまりゆっくり話せなかったけど、君のまっすぐな気持ちがいつも伝わってきたよ。「人を信頼するとは」ということをいつも教えてくれてありがとう!
【コニヤンからのメッセージ】
 今年は、3年生を14名担当した。
 
私も退職まで後4年となり、日々君たちと接している時間がすごく貴重に思えてきた。
 
オジサンの私がいつまでも心身ともに若くいられるのは、君たちから輝くような「感性」というエキスをもらっているからだといつも思っている。君たちとつきあって、いつも感性を磨かせてもらった。
 
そして、一人ひとりから人生を生きていくのにすごく大切なことを教えてもらったよ。こうして、出発する子どもたち一人ひとりにメッセージを書いていると、私は、一人ひとりの子どもたちからたくさんの『ココロのプレゼント』をしてもらっているのに気づく。
 
そしたら、私たちが、どんなことをみんなに贈ることができたのだろうか。
 
悩みを聴き、不安をなくして、安心できる居場所を提供し、そして、その中で共有しながら生きてきた、ただそれだけのことだったのかもしれないなあと・・・。ほんとうに『教育ってなんなんだ』とか、そんな大きすぎるメッセージはないなあと・・・。
  
毎日の小さな、小さな『営み』。その繰り返される日常の中で、私たちの営みがなされていること。そのことに、ふと気づいたとき、私は、いつも現実を前にして悩んでしまうのだ。
でも、そんな小さな営みの中で、私たちは、いつも君たちの中からダイヤモンドのような輝きを見つけることができた。それが、私たちにとっては、大切な宝物なんだよね。こんな小さな小さな営みが、実は、私たちにとっては、『生きがい』だったと思っている。
 
毎年の「出発生に贈る言葉」は、決まっている。
 
あのジェームズディーンの映画『エデンの東』に出てくるセリフ。
☆「人間は、他の動物とちがって星の数ほどある生き方の中から自分で選ぶことができるんだ」ということ。
☆☆自分の生き方を自分で決めるということ。このことを大切にして
これからも生きていってほしい。
★「今日も笑顔でボチボチです!」人生、ボチボチ力ですよ。これっすよ。それとね、やはり
★★「肯定脳で生きること」
これやね。グッドラック!!!ほんとにありがとう。    ああ有情。
                (文責:コニヤン/2011.2.27早朝・記)

 

出典●http://blogs.yahoo.co.jp/gogokoniyan/51851932.html

 

●川越だより「こにやん」http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/d/20080327


けんちゃんの「二冊の卒業アルバム」

2011-03-02 11:05:26 | こどもたち 学校 教育

3月1日(火)雨

 カツヨシさんが編集してくれる「きいちご」7号の原稿整理で一日くれました。夜は春の旅第二弾(4月)「九州の友人たちを訪ねて」の立案のため、霧島市(鹿児島県)・人吉市(熊本県)・武雄市(佐賀県)などの古い友人たちと交信しました。学生の頃から社会人一年生の頃につきあってもらい世話になった方々です。年齢もみんな同じ。今度はそれぞれの方々の故郷に世話になる旅です。骨格がほぼまとまってきました。有り難いことです。

 あさ、高知のけんちゃんのブログの記事を読んで僕までもくやし涙を流しそうになりました。思い当たることがいろいろとよみがえってきます。

今日は県立高校の卒業式-2冊の卒業アルバム

 

39年前の1972年は、わたしは高校を卒業できませんでした。卒業を前提に前の年の春には卒業アルバムの写真も撮影し、アルバム代も支払っていたので、卒業できなかったにもかかわらず、クラス写真や個人写真にも掲載されています。(略)

 卒業できなかっただけでなく、「連合赤軍事件」も表へ出て、浅間山荘の「立てこもり」だけでなく、陰惨な「仲間殺し」「リンチ殺害の現実」が発覚し、大きなショックを受けたものでした。

 高校の勉学も放り投げ、当時「信仰」していた毛沢東主義が、その「象徴」の1であった連合赤軍。連合赤軍の支持者でもシンパでもありませんでしたが、毛沢東主義者の集団としてでは注目していましたから。それもすべて「幻想」であったことが、このときに明らかになりました。

 自分のしていたこと。努力をしていたことが全く無駄であり、徒労であった事実は、辛く重たいものでした。実に情けない高校生でした。

 主任の担任教師はしきりに自主退学を勧め、大検で大学を目指せ。留年しないでくれ、学校へこないでくれと言いました。15日の追卒業もさせてくれませんでした。一切の連絡もないまま、4月の登校日を迎える有様だったのです。

 それが留年し、大学へ合格してから学校の教師の態度が豹変しました。まともに生徒扱いしてくれました。そして2冊目の卒業アルバムもあります。ですので私には2冊高校の卒業アルバムがあるのです。

 遠い昔のことですが、「昨日のことのように」蘇ります。わたしを悪ざまにのにしった教師たちに街ですれ違うことがあったら、タダではすませないと思います。

 と「熱い気持ち」もありますが、居酒屋で一杯やっても良いとも最近は思うようになりました。年の功なのでしょうか?

●出典http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-c1cb.html


「けんちゃんの今朝の文章(卒業)を読んで悔しくて涙が出そう になっていました。」とメールを送ったらけんちゃんから丁寧な返信
をもらいました。勝手ながらその一部を紹介します。

 
 鈴木さんのような先生が当時の高校におられたら、
わたしは精神的に救われていたことであると思います。

 執拗に私を自主退学に追い込もうとした担任教諭は
当時の県教祖(日本共産党系)の活動家でした。
 彼らは当時わたしのことを「○○高校の反戦トロツキスト」と
ビラに書いて批判していました。そのビラを持参して私は
県教組に「取り消せ!俺は毛沢東主義者であって
トロツキストではない!」とか阿呆な怒鳴り込みをしましたから。

 管理職は独立高等教組系でした。そのどちらの労組からも
嫌われていました。ですので自主退学を執拗に奨めてくれ、
春休み期間中には高校からは一切連絡をいただけませんでした。

 母と2人で連合赤軍がひきおこした浅間山荘事件の
テレビを見ていました。

 当時母は頑張ってくれまして、世間体なんぞ気にせず
「この息子を留年させ、大学へ行かすから!」と啖呵をきりました。

「お母さんそれは絶対に無理です。自主退学して大検を
受けたほうが楽ですから。」と主任教諭は捨て台詞を残しました。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-03bd.html

 そして新学期になり、4月8日の登校日に高校へ行きました。
「僕はどこへ行けばええがよ。」と職員室へ行きました。
「まさかお前が来るとは!」と言われ、半時間くらい
校長室の応接で待たされました。

「臨時職員会でお前のクラスが決まったぞ。ホームルーム
があるからそこへ行くように。」と教頭がいいました。
 行くとクラスみんなの視線が注がれました。真ん中の席が空席が
あり、そこへ座りました。(以下略)
 

 70年代の初めは社会や政治のあり方に関心をもち、発言をする生徒たちが少なくない時期でした。高知の高校の教師たちの無惨な姿が
浮かび上がってきます。是が現実だったのでしょう。
 ご両親の支えを得てけんちゃんは彼らのもくろみを打ち砕くことができ、今日までの道を切り開くことが出来ました。どなたの支えも得られず、文字通り
「孤立無援」を強いられて退学に追い込まれていく人の方が普通だったのです。東京でも事態は余り変わらなかったのではないかと思われます。

 ぼくが働いていた池袋商業高校でもこの年は珍しく校内でビラまき等をする生徒が数人いました。72年3月の卒業式当日にはどうしても卒業式には
出たくないと言います。それで生徒部生徒会担当だった僕は卒業式には出ず、彼女らの教室で行われたいうならば自主卒業式に出席しました。
M・MさんとH・Mさん、二人の姿は今も憶えていますが、ほかにもいたのかどうか。どんなことを話し合ったかは記憶していません。僕も学校や教師のあり方に
根本的な疑問を抱いて自分なりの闘いをしている最中だったのでそれなりの信頼関係はあったのかもしれません。自分で考え行動することが大事で
政治組織のコマにはなるまい…などと語り合ったのかもしれません。
お二人はその後どんな人生をあるいたのか。
 けんちゃんのブログに出会ってそろそろ4年になります。ほぼ欠かさず読ませてもらっています。高校生から大学の頃に身につけた思想ときちんと向かい
合って検証し、どう生きたらよいか、常に考えながら行動している人です。僕の目から見たらこれほどの人はそうはいない超一級の「市民」です。

 この春の旅でけんちゃんやその友人たちにはお会いできるかと楽しみにしています。僕の生徒だったMさんやHさんにもあってみたいものです。この39年を
どんな風に生きてきたか、語り合ってみたいなあ。
 
 


 


春・三月の到来です。

2011-03-01 08:36:45 | 父・家族・自分

昨日、主治医の西尾先生から「何の制約もありません。従来通り生活をたのしんでください」と言ってもらったので、家に帰り着くや3月4月の「春作戦」を樹立すべく奮闘しました。

あちこちと情報交換して昨日の内に決まったことです。

①3月12日(土) 文京高校在職当時の高知県人会  どういう訳か高知県出身者が3人もいました。退職後も会う機会を作っています。今回の会場は銀座の松島徹くんの店。ヴェトナム帰りの敦さん、高知帰りの昌子さんの話で盛り上がることでしょう。

②3月22日(火)~ 『春の高知を訪ねて』

  22日(火) 東京港発 オーシャン東九フェリー (徳島へ)

  23日(水)~25日(金) 高知市滞在(知友との交流)  敦さんもこのころ帰郷中で一緒に過ごせる時があるかな。

  26日(土)~故郷(室戸岬)滞在  これからあとは行き当たりばったり、どういうことになるか?車の旅だからいつどこへ行こうと自由自

在です。

 今日からその3月が始まります。土佐の親戚、知友のあの顔、この顔が浮かんで僕の心も春めいてきました。東京(関東)に住むように

なってちょうど50年の月日が流れました。