川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

アンネの言葉(2)絶望的な自問自答

2009-01-09 04:44:48 | 政治・社会
 7日(水)午後カツヨシさんが様子を見に来てくれました。夕方まで3人で新年会。
 秋田県に住む卒業生から「パソコンもケイタイもやらないからメールアドレスは有りません。従来通りの年賀状でいいですか」という電話。いいんです。ほんの2・3年前までぼくにもメールアドレスなどなかったのです。ケイタイは今もありません。
 今年はメールでの賀状への移行の試行と言うことでアドレスのわかる方には電子メールで賀状を送りました。郵便はがきの年賀状をいただいて、アドレスがわからない(またはない)方々(150人ぐらい)には1月3日に遅巻きながら郵便はがきの賀状を出しました。 
 実情に即して改善していきたいと思います。はがきに書いたようにアドレスがある方は教えてくれると有りがたいということです。宜しくお願いします。

 8日(木)新年になって初めて市街地を散歩。帰って衆議院の予算委員会の質疑を聞きました。法律を作らないで給付金とやらを強行しようとする自公政権を糾弾する仙石由人さんの健在ぶりに大いに励まされました。かつて癌との闘いを公表された方で、ぼくも一度会って貰ったことがあります。


 さて
「アンネの言葉」の続きです。
 前回と同様にぼくが授業で紹介してきた部分を書き写してみます。宜しかったら声に出して読んでみてください。アンネはまだ14歳です。


  1944年5月3日 水曜日

(略)

 <隠れ家>の私たちはしばしば絶望的にこう自問自答します。
「いったい、そう、いったい全体、戦争がなにになるのだろう。なぜ人間はお互い仲良く暮らせないのだろう。なんのためにこれだけの破壊がつづけられるのだろう。」

 こういう疑問を持つことは至極当然のことですけど、これまでのところ、だれもこれにたいする納得のゆく答えを見出していません。そもそもなぜ人間は、ますます大きな飛行機、ますます大型の爆弾を一方では作り出しながら、一方では復興のためのプレハブ住宅をつくったりするのでしょう?
 いったいどうして、毎日何百万という戦費を費やしながら、その一方では、医療施設とか芸術家とか、貧しい人たちとかのために使うお金がぜんぜんない、などということが起こりうるのでしょう?
 世界のどこかでは、食べ物が有り余って、腐らせているところさえあるというのに、どうして一方には、飢え死にしなくちゃならない人たちがいるのでしょう?
 いったいどうして人間は、こんなにも愚かなのでしょう?

 私は思うのですが、戦争の責任は、偉い人たちや政治家、資本家だけにあるのではありません。そうなんです。責任は名もない一般の人たちにもあるのです。そうでなかったら、世界中のひとびとはとうに立ち上がって、革命を起こしていたでしょうから。
 もともと人間には破壊本能が、殺戮の本能があります。殺したい、暴力を振るいたいという本能があります。ですから、全人類が一人の例外もなく心を入れ替えるまでは、決して戦争の絶えることはなく、それまでに築かれ、培われ、育まれてきたものは、ことごとくうち倒され、傷つけられ、破壊されて、すべては一から新規まき直しに始めなくちゃならないでしょう。


 アンネの自問自答は今も私たちに問いかけるものがあります。
 アンネはこう書いています。


 私は思うのですが、戦争の責任は、偉い人たちや政治家、資本家だけにあるのではありません。そうなんです。責任は名もない一般の人たちにもあるのです。

 そして「全人類が一人の例外もなく心を入れ替えるまでは、決して戦争の絶えることはな」いとまでいっています。

 これを読まれた皆さんはどうおもわれますか?是非、御意見を聞かせてください。

 

 ぼくはおおむねアンネの考えに賛成です。ですから私たちの一人残らず全員が「戦争」や「差別 に向き合い「心を入れ替える」努力や闘いをしなければならないと考え、それを授業や日常活動の中心にすえてきたのです。

 第二次大戦による破壊と殺戮が極限にまで達したにもかかわらず、世界は再び三度、戦争の惨禍に見舞われています。パレスチナ・アフガン・イラク……。アンネの問いかけは無視され、人類は愚行のはてに滅んでいくのでしょうか。
 
 ぼくが今、もし、14・5歳だったら生きていく希望と勇気をもつことができるだろうか? そんなことを考えさせる年の初めです。

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