こんな図を見せてもらいました。高知市の1000年前だといいます。紀貫之が国司の任を終えて国府(南国市・大津の右上方)~大津~浦戸を経て京都に向かったのは934年と言いますからだいたいその頃の高知です。
出典●http://bbs9.aimix-z.com/gbbs.cgi?page=&viewcont=th&room=tosa&mode=res&no=190
僕の想像とそれほどの開きはなかったのですが西の方にも海が深く入り込んでいたのですね。
山内一豊が大高坂山に城を築き今の高知市街を作ったのは17世紀の初めです。「河内」と呼ばれていたと中学生の頃に郷土史を読んで知りました。「田辺島」「比島」などという地名には馴染みがあり、土佐日記が書かれた頃には海だったことは僕にも十分想像できることでした。
それでもこの想像図を見ると「そうだったのか」と改めて思い知らされます。
ブログ友・ケンチャンの住む双葉町は「葛島」の西南辺りで、浦戸湾沿いのゼロメートル地帯です。敗戦直後の南海地震では水没しました。
いずれ確実に起こるであろう南海地震・津波などの災害に備えて数年前から自主防災組織を作っていざというときに備えて活動されています。高岡郡仁淀川町との交流もそのひとつです。日頃からの交流を深めて災害時には集団疎開などを含めた協力関係を結ぶ試みです。
出典●ケンチャンの吠えるウオッチングhttp://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/cat22725754/index.html
途方もなく遠大な構想を着実に現実のものにしていく取り組みには驚くばかりです。「市民」とはこういう人たちのことか、と思わされます。
東日本大地震級の地震・津波が起これば高知市街の大半が水没するといいます。1000年前の想像図を見れば納得がいきます。
干拓・開拓地の上に市街を築いてきた祖先たちの営為も大自然の猛威の前にはひとたまりもありません。そんなことを私たちは去年教えてもら
ったのですね。「高台に逃げる」「高台に移住する」以外に何か対抗策というものがあるのでしょうか。
上にある絵図のように、今度南海地震が起きれば、高知市市街地はまちがいなくそうなります。もともとは海であったところですから。
既にお金持ちの銀行や新聞社や商社などは南国市の高台へ本社を移転させています。貧乏人だけが、0メートル地帯で生活してあくせく生きています。
行政の対応には限界があり、地域でできることはあるはずです。その延長で物事を考えています。自主防災会のブログ記事もご参考ください。
http://futaba-bousai.cocolog-nifty.com/
大津のところまで当時の高知市は海であったんです。3連動か4連動の巨大地震が起きれば、高知市は間違いなく上の図のようになりますね。
そうなった状態で生活をどうするのか。それで事前にやれることはすべてやるつもりで、ことを進めている所です。
取材以来が多く正直辟易しています。本当は仕事で評価されたいんです。でも地域活動ですから悪態もつけません。忍耐力が少しはつきました。