今年は年賀はがきから年賀メールへと移行する試行をさせて貰いました。昔のぼくだったら考えもつかないことです。失礼かなとも思ったのですがどうだったでしょうか。返信などの形で皆さんからいただいたメールの一部を紹介します。ご本人の了解は得ていませんのでぼくが一部編集(カットなど)しました。ごめんなさい。
闘病、転職などお互い厳しい年明けですが「気持ちで負けないように」(Dさん)いきたいですね。今年、定年を迎えられる方々、長い間のご尽力お疲れさまでした。
Aさん(中国から)
あけましておめでとうございます。
昨日は担当クラスの学生たちを招き、「火鍋」(とても辛い)をつつきました。
今日も学生たちが来る予定になってます。
今年もまた「川越だより」を楽しみにあと半年の中国生活を続けます。皆様方にもよろしくお伝えくださいませ。
Bさん
新年のご挨拶ありがとうございました。
メールでの年賀状、いいですね。私も来年から真似をしようかとも思いました。
お二人ともお元気な様子で何よりです。とくに啓介さんは抗ガン剤治療中でし
たので、陰ながら心配していました。わたしの抗ガン剤は軽いものでしたので
あまり影響はありませんでしたが、啓介さんは肺ガンの転移でしたね。
しかし、ガン治療には免疫療法があるくらいですから、倫子さんの明るさとた
くましさに支えられての免疫療法が効を奏しているのではないかとも思います。
前向きなお二人、今年もその免疫力で乗り切られるとおもいます。それでも、
くれぐれも用心してください。
時には臆病に、時には慎重にしながら、活動を続けてください。
わたしも似たような状況ですので、不義理を重ねながらのんびりやっています
ので、どうぞ、よろしくお願いします。
Cさん
ご無沙汰しております。
大病を患われてからも、精力的にがんばっておられるのですね。感服いたしております。どうぞ、お身体ご自愛ください。
私は、今年で教職25年になり、卒業生も5回目になります。
つくづく、健康が大事だと痛感しております。
どうぞ、ことしも良い一年でありますことを祈っております。
Dさん(前主治医)
あけましておめでとうございます。
本年も変わらずよろしくお願い申し上げます。
まだまだ闘病が続くと申し上げざるを得ないのは残念ですが、
気持ちで負けないようにお願いします。
Eさん
喪中につき挨拶が遅くなりました。
昨年は祖母が天国に召されました。祖母はやっと辛い日々から解放されたのかと感じています。
子供達もだいぶ大きくなり、要求は多いですが育児は楽になりつつあります。
Mが3歳、Yが1歳となりました。
昨年は私が育児休暇より職場復帰したのと入れ替わるように、夫が転職にて求
職期間がありやや不安な時期もありましたが、なんとか再就職も決まり、順調にスタートをきることもできました。
母の肺がんは順調な経過をたどっており、定期健診も1年ごとに切り替わりまし
た。しかし、年々体力の衰えは感じ、めまいや倦怠感を訴えるようになりました。
育児が落ち着いたら介護かなあと考えるこの頃です。
子供達中心の生活ですが、充実した日々を送っています。
先生の闘病生活を心より応援しております。
Fさん
写真見れるか分かりませんが、パソコンに送りました。我が子は今二歳半になり
、まだまだ上手く話すことが出来ませんが、中国語、日本語は大体理解出来るようになりました。
私の近況は、一昨年体調壊し、会社を辞め、今アルバイトしながら、次の転職先
を探しています。
また、啓介先生の体調いかがですか?
Gさん
その節は大変お世話になりました。
年賀メールを有り難うございます。
私の年賀状は、未だ、届いていないかもしれませんね。
文化祭の折に、卒業生が幾人か来校しました。
この3月で私は定年です、○○高校を去ります。
お大事になさって、でも、なさりたいこと、楽しいことを沢山して下さい。
Hさん(中国から)
あけましておめでとうございます。
08年はいろいろとありましたが 09年がよい年でありますように。 ご家族の皆様のご健康を祈ります。
P.S 09年の旧春節で日本に一時帰国しますので そのとき また 先生にご挨拶をいたします。
Iさん
転移の後も薬効により快復傾向で社会活動の再開を果たされたとのこと、お喜び申し上げます。
私の方は、4月に○○へ異動して新1年40人の担任をしています。ワンフロア6教室に240人の15~16歳が犇く○○とは異次元の別世界でして、最初は慣れるのに苦労しましたが、今では「此処が自分の居場所」と感じられるまでに順応しました。
現在の職業的目標は
1.クラスの全員が居心地の良い環境をプロデュースする。
2.英語を教えている5クラス200人の生徒たちの英語力を個別に最大限に伸ばす。
です。
またイツか何処かでお目にかかれますよう。
良い丑年をお過ごし下さい(因みに私は4回目の歳男です…)。
Jさん
啓介先生病気に負けずに、頑張ってください
Kさん
新年おめでとうございます
昨年、1月2日付きで○○学園を退職して、いろいろ悩みの多い年でした
ヘルニアの手術後の腹部不良、前立腺癌の前状態とのこと
孫の病気、カミさんの腰痛の悪化などなど・・・
でも、今年は
人生、割り切り
明るく進もうと思ってます
長い人生を振り返れば、もっともっと大変で苦しい時もあったのだから
互いに少しでも長生きし、
民主主義の成熟度を確かめましょう
どの程度日本は達成できるかを
では、また
お会いできる日を楽しみにしてます
Lさん
新年あけましておめでとうございます。
お年賀ありがとうございました。
今年もよろしくお願いします。
電子メールでの年賀状は最近多いですね。
近況報告が目的ですので、葉書であれ、
電子メールであれ同等であると思います。
鈴木様の体調が回復され、徐々に社会
復帰されているようで何よりです。
(中略)
またうちには無関係であると思っていました
世界的な不況も昨年11月から実感しています。
なんとか年は越し、お正月は迎えましたが、
まだまだ厳しい状況は続きます。
鈴木様のブログは見ています。
ご無理のない範囲で記述してください。
今年もよろしくお願いします。
コニヤン
年賀メールありがとうございました。昨夜は新年会で酔うていました。
でも、今日はいつもどおり早朝四時起き。
今日のブログのテーマが下記です。今年もよろしくお願いします。
「自分自身の心のホームページにアクセスせよ!」
元旦の早朝に読んだ本。
塩見直紀さんの「綾部発 半農半Xな人生の歩き方88 自分探しの時代を生きるためのメッセージ」(遊タイム出版・2007.10.20初版発行)
(著者のホームページhttp://plaza.rakuten.co.jp/simpleandmission/
半農半Xの講演記録http://www.ayabe-vc.org/playback.php
#2006.4リーダー研修「好きなことで社会を変える」【講演録】の部分)という本である。
大晦日に駅前のブックオフでたまたま見つけたものである。塩見さんは、 京都府綾部市 に住み、半農半X研究所を設立。自身ももちろん半農生活である。
このXとは、自分の天職を探してやることだと。
「半農半NGO」、「半農半歌手」、「半農半小説家」など農業(この農業は規模によらない。家庭菜園でもプランターでもよし)をやりながら、やりたい仕事を探して、自分が天職と思う仕事を遂行するのだそうだ。
綾部市 に住んでいるさまざまな半農半Xで活躍している方々がその本には紹介されている。
その本の122ページに、「自分自身の心のホームページにアクセスせよ!」と
いう作家の中谷彰宏さんの言葉が紹介されている。
その前に、
『「いま、世界の大部分の人は自分の内面に向かう時間がない。そのことが現在の混乱を起こしている原因だ」というメッセージに出合ってはっとした』というくだりがある。
私も同じくこの文を読んではっとした。
そうなのだ。私たちは、ややもすると日々テレビやマスコミやネットなどなど、外に向かってアクセスは積極的にやっている。
そして情報過多ともいえる、いや情報洪水のなかで生活している。
他の人のホームページは訪問するが、「自分自身の心のホームページにアクセスする」のを忘れているのではないか・・・と。
内なる自分からの声が聴こえていないのだ。自分自身の大事なメッセージが聴こえていないのだ。「自分というすばらしい感性」が枯れかかっているのに気づいていない。今や、この内なる自分の声が塞がれる、いや見えなくさせられている時代なのである。
自分という「羅針盤」が確立もされていない。周りに流されている。
どうして生きたらいいのかわからない。
そんな子どもたちだけでなくて、青年、いや大人も多くなってきているのではないか。
そこで、塩見さんは、「天職問題」という提起をしている。
人はなぜ生まれ、生きていくのかという意味や自分探しを意味する言葉だという。
この時代をどのように生きていくのかは「半農半X」という生き方はひとつのヒントになるだろう・・・と。
私自身は、というと、不登校の子どもたちに出会って以来、いつも学んだことは、
不登校ゆえに希望がわかない、出てこないというのではなくて、
その渦中、過程を通じて子どもたち自身が自分探しのなかからいかにして生きていくのか、そして「自分づくり」が成長と共にどのように形成されていくのかということではなかったのかと思う。
中学の時代に不登校を経験した子どもたちが高校で学校復帰をした後、卒業の頃となると、同じ世代の者に比べてはるかに「自分づくり」が確立されていることに気づくのだ。自分の「羅針盤」が多くの場合できているのである。
それは、なぜかというと、不登校の時代にたっぷりと自分と向き合う時間があった
からだということである。内なる自分の声を聴けたからである。
そういう意味では不登校という時間は、子どもにとってはとっても貴重な必要な時間であったと言える。
それから、今の私なりの生き方がこの歳になってやっと確立してきたのは、不登校の子どもたちとの協同の営みを通して学んだことで、日々自分の内なる声を聴く時間を毎朝確保してきたからではないかと思ったりしている。
今こそ、「自分自身の心のホームページにアクセスする」ことがどうしても必要な時代なのであると思う。
元旦の朝に、その大切さを感じさせてくれた、たまたま出合った本の一節。
今年一年の私自身の「座右の銘」として刻んでおこうと思った。
ああ有情
コニヤンブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/gogokoniyan/46350429.html
闘病、転職などお互い厳しい年明けですが「気持ちで負けないように」(Dさん)いきたいですね。今年、定年を迎えられる方々、長い間のご尽力お疲れさまでした。
Aさん(中国から)
あけましておめでとうございます。
昨日は担当クラスの学生たちを招き、「火鍋」(とても辛い)をつつきました。
今日も学生たちが来る予定になってます。
今年もまた「川越だより」を楽しみにあと半年の中国生活を続けます。皆様方にもよろしくお伝えくださいませ。
Bさん
新年のご挨拶ありがとうございました。
メールでの年賀状、いいですね。私も来年から真似をしようかとも思いました。
お二人ともお元気な様子で何よりです。とくに啓介さんは抗ガン剤治療中でし
たので、陰ながら心配していました。わたしの抗ガン剤は軽いものでしたので
あまり影響はありませんでしたが、啓介さんは肺ガンの転移でしたね。
しかし、ガン治療には免疫療法があるくらいですから、倫子さんの明るさとた
くましさに支えられての免疫療法が効を奏しているのではないかとも思います。
前向きなお二人、今年もその免疫力で乗り切られるとおもいます。それでも、
くれぐれも用心してください。
時には臆病に、時には慎重にしながら、活動を続けてください。
わたしも似たような状況ですので、不義理を重ねながらのんびりやっています
ので、どうぞ、よろしくお願いします。
Cさん
ご無沙汰しております。
大病を患われてからも、精力的にがんばっておられるのですね。感服いたしております。どうぞ、お身体ご自愛ください。
私は、今年で教職25年になり、卒業生も5回目になります。
つくづく、健康が大事だと痛感しております。
どうぞ、ことしも良い一年でありますことを祈っております。
Dさん(前主治医)
あけましておめでとうございます。
本年も変わらずよろしくお願い申し上げます。
まだまだ闘病が続くと申し上げざるを得ないのは残念ですが、
気持ちで負けないようにお願いします。
Eさん
喪中につき挨拶が遅くなりました。
昨年は祖母が天国に召されました。祖母はやっと辛い日々から解放されたのかと感じています。
子供達もだいぶ大きくなり、要求は多いですが育児は楽になりつつあります。
Mが3歳、Yが1歳となりました。
昨年は私が育児休暇より職場復帰したのと入れ替わるように、夫が転職にて求
職期間がありやや不安な時期もありましたが、なんとか再就職も決まり、順調にスタートをきることもできました。
母の肺がんは順調な経過をたどっており、定期健診も1年ごとに切り替わりまし
た。しかし、年々体力の衰えは感じ、めまいや倦怠感を訴えるようになりました。
育児が落ち着いたら介護かなあと考えるこの頃です。
子供達中心の生活ですが、充実した日々を送っています。
先生の闘病生活を心より応援しております。
Fさん
写真見れるか分かりませんが、パソコンに送りました。我が子は今二歳半になり
、まだまだ上手く話すことが出来ませんが、中国語、日本語は大体理解出来るようになりました。
私の近況は、一昨年体調壊し、会社を辞め、今アルバイトしながら、次の転職先
を探しています。
また、啓介先生の体調いかがですか?
Gさん
その節は大変お世話になりました。
年賀メールを有り難うございます。
私の年賀状は、未だ、届いていないかもしれませんね。
文化祭の折に、卒業生が幾人か来校しました。
この3月で私は定年です、○○高校を去ります。
お大事になさって、でも、なさりたいこと、楽しいことを沢山して下さい。
Hさん(中国から)
あけましておめでとうございます。
08年はいろいろとありましたが 09年がよい年でありますように。 ご家族の皆様のご健康を祈ります。
P.S 09年の旧春節で日本に一時帰国しますので そのとき また 先生にご挨拶をいたします。
Iさん
転移の後も薬効により快復傾向で社会活動の再開を果たされたとのこと、お喜び申し上げます。
私の方は、4月に○○へ異動して新1年40人の担任をしています。ワンフロア6教室に240人の15~16歳が犇く○○とは異次元の別世界でして、最初は慣れるのに苦労しましたが、今では「此処が自分の居場所」と感じられるまでに順応しました。
現在の職業的目標は
1.クラスの全員が居心地の良い環境をプロデュースする。
2.英語を教えている5クラス200人の生徒たちの英語力を個別に最大限に伸ばす。
です。
またイツか何処かでお目にかかれますよう。
良い丑年をお過ごし下さい(因みに私は4回目の歳男です…)。
Jさん
啓介先生病気に負けずに、頑張ってください
Kさん
新年おめでとうございます
昨年、1月2日付きで○○学園を退職して、いろいろ悩みの多い年でした
ヘルニアの手術後の腹部不良、前立腺癌の前状態とのこと
孫の病気、カミさんの腰痛の悪化などなど・・・
でも、今年は
人生、割り切り
明るく進もうと思ってます
長い人生を振り返れば、もっともっと大変で苦しい時もあったのだから
互いに少しでも長生きし、
民主主義の成熟度を確かめましょう
どの程度日本は達成できるかを
では、また
お会いできる日を楽しみにしてます
Lさん
新年あけましておめでとうございます。
お年賀ありがとうございました。
今年もよろしくお願いします。
電子メールでの年賀状は最近多いですね。
近況報告が目的ですので、葉書であれ、
電子メールであれ同等であると思います。
鈴木様の体調が回復され、徐々に社会
復帰されているようで何よりです。
(中略)
またうちには無関係であると思っていました
世界的な不況も昨年11月から実感しています。
なんとか年は越し、お正月は迎えましたが、
まだまだ厳しい状況は続きます。
鈴木様のブログは見ています。
ご無理のない範囲で記述してください。
今年もよろしくお願いします。
コニヤン
年賀メールありがとうございました。昨夜は新年会で酔うていました。
でも、今日はいつもどおり早朝四時起き。
今日のブログのテーマが下記です。今年もよろしくお願いします。
「自分自身の心のホームページにアクセスせよ!」
元旦の早朝に読んだ本。
塩見直紀さんの「綾部発 半農半Xな人生の歩き方88 自分探しの時代を生きるためのメッセージ」(遊タイム出版・2007.10.20初版発行)
(著者のホームページhttp://plaza.rakuten.co.jp/simpleandmission/
半農半Xの講演記録http://www.ayabe-vc.org/playback.php
#2006.4リーダー研修「好きなことで社会を変える」【講演録】の部分)という本である。
大晦日に駅前のブックオフでたまたま見つけたものである。塩見さんは、 京都府綾部市 に住み、半農半X研究所を設立。自身ももちろん半農生活である。
このXとは、自分の天職を探してやることだと。
「半農半NGO」、「半農半歌手」、「半農半小説家」など農業(この農業は規模によらない。家庭菜園でもプランターでもよし)をやりながら、やりたい仕事を探して、自分が天職と思う仕事を遂行するのだそうだ。
綾部市 に住んでいるさまざまな半農半Xで活躍している方々がその本には紹介されている。
その本の122ページに、「自分自身の心のホームページにアクセスせよ!」と
いう作家の中谷彰宏さんの言葉が紹介されている。
その前に、
『「いま、世界の大部分の人は自分の内面に向かう時間がない。そのことが現在の混乱を起こしている原因だ」というメッセージに出合ってはっとした』というくだりがある。
私も同じくこの文を読んではっとした。
そうなのだ。私たちは、ややもすると日々テレビやマスコミやネットなどなど、外に向かってアクセスは積極的にやっている。
そして情報過多ともいえる、いや情報洪水のなかで生活している。
他の人のホームページは訪問するが、「自分自身の心のホームページにアクセスする」のを忘れているのではないか・・・と。
内なる自分からの声が聴こえていないのだ。自分自身の大事なメッセージが聴こえていないのだ。「自分というすばらしい感性」が枯れかかっているのに気づいていない。今や、この内なる自分の声が塞がれる、いや見えなくさせられている時代なのである。
自分という「羅針盤」が確立もされていない。周りに流されている。
どうして生きたらいいのかわからない。
そんな子どもたちだけでなくて、青年、いや大人も多くなってきているのではないか。
そこで、塩見さんは、「天職問題」という提起をしている。
人はなぜ生まれ、生きていくのかという意味や自分探しを意味する言葉だという。
この時代をどのように生きていくのかは「半農半X」という生き方はひとつのヒントになるだろう・・・と。
私自身は、というと、不登校の子どもたちに出会って以来、いつも学んだことは、
不登校ゆえに希望がわかない、出てこないというのではなくて、
その渦中、過程を通じて子どもたち自身が自分探しのなかからいかにして生きていくのか、そして「自分づくり」が成長と共にどのように形成されていくのかということではなかったのかと思う。
中学の時代に不登校を経験した子どもたちが高校で学校復帰をした後、卒業の頃となると、同じ世代の者に比べてはるかに「自分づくり」が確立されていることに気づくのだ。自分の「羅針盤」が多くの場合できているのである。
それは、なぜかというと、不登校の時代にたっぷりと自分と向き合う時間があった
からだということである。内なる自分の声を聴けたからである。
そういう意味では不登校という時間は、子どもにとってはとっても貴重な必要な時間であったと言える。
それから、今の私なりの生き方がこの歳になってやっと確立してきたのは、不登校の子どもたちとの協同の営みを通して学んだことで、日々自分の内なる声を聴く時間を毎朝確保してきたからではないかと思ったりしている。
今こそ、「自分自身の心のホームページにアクセスする」ことがどうしても必要な時代なのであると思う。
元旦の朝に、その大切さを感じさせてくれた、たまたま出合った本の一節。
今年一年の私自身の「座右の銘」として刻んでおこうと思った。
ああ有情
コニヤンブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/gogokoniyan/46350429.html
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