川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

亜子ちゃん

2013-05-23 06:28:18 | 友人たち

5月22日(水)晴 夏日

長く待たれた日がやってきました。亜子ちゃんが我が家を訪ねてくれたのです。

亜子ちゃんといえばこの写真です。1966年末・横須賀市浦賀港。アジア大会の年の生まれだから8歳かな。

  

大島高校に就職した年の暮れ、まだ学生だった妻と浦賀に住むおばあちゃん(母の叔母)のもとを訪ねました。おばあちゃんの一家は漁船員相手の食堂を営んでいました。幼くして兄と母を喪った亜子ちゃんは父とともにここで暮らしていたのです。

土佐・室戸の生まれですが、僕も初対面同様です。亜子ちゃんが東浦賀の家から渡船に乗ってあちこちを案内してくれたのではなかったか。そのときに僕が撮った写真です。

このときから賢くて愛くるしい亜子ちゃんに「お兄ちゃん」と呼ばれるようになりました。そんなふうにいってくれる人はほかにはいません。生涯の喜びとなったと言ってよいほどです。

わたしたちが結婚した翌年の正月に亜子ちゃんはお父さんをも喪ってしまいました。正月の帰郷の帰りに野辺の送りに加えてもらいました。おばあちゃんがいるとはいえ、「天涯孤独」となった亜子ちゃんにどんな声をかけられたのか?

おとなになった亜子ちゃんを訪ねて人生の話をしたのは10数年前のことです。大学の先生をしています。小学校の先生と結婚して娘さんに恵まれていました。

その娘さんがこの春大学を卒業してある有名な神社に就職し、家を出たと聞きました。それならばと声をかけたところ、今日の川越訪問が実現したのです。

46年ぶりのツーショットです。

 11時から夕方まで積もる話でゆっくり時は過ぎていきました。今を誠実に生きる聡明な熟女の姿がありました。

 父が亡くなったとき祖母は65歳だったそうです。孫を育て上げるために懸命に働いたといいます。伯父夫婦や従姉兄たちの愛情に恵まれたとはいえ、この祖母の存在が亜子ちゃんを深いところで支え続けたのです。父の養母で亜子ちゃんと血縁はありません。

元は産婆さんで僕も取り上げてもらいました。あの時代には珍しいキャリアーウーマンだったのでしょう。その意地と誇りが亜子ちゃんのなかに生き続けているのかと思わされたものです。

 元気に生きて今度は娘さんとも「出会う」喜びを味わいたいと思います。

 


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