川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

モンゴル人ジェノサイド

2009-08-01 06:57:12 | 中国
 内モンゴル出身の友人が出来たのがきっかけになって新聞の縮刷版ほどもある本と出会いました。川越市立図書館に2月頃リクエストしたのですが埼玉県立図書館にあったといって借りられたのは7月18日です。今日が返却期限です。

 『モンゴル人ジェノサイドに関する基礎資料(1)』(風響社 20000円)という本ですが、ぼくが読めるのは編者が書いた最初の64ページと「あとがき」だけです。あとは文化大革命当時の文書類がそのまま収録されています。懐かしいガリ版印刷の「最高指示」もあります。でも中国語が読めないぼくには「猫に小判」です。

 返却前に編者(楊海英・静岡大学教授)の文章の一部を書き写しておきます。

 まずは出版社のHPをご覧下さい。「モンゴル人ジェノサイド」。こんな事実があったことをぼくははじめて知りました。読みにくいかも知れませんが我慢して読んでください。


 『モンゴル人ジェノサイドに関する基礎資料(1)
  滕海清将軍の講話を中心に   (楊海英編)』

http://www.fukyo.co.jp/02-naiyo/ISBN978-4-89489-881-3.html

 <編者の解説文の結語部分の書き写し>(P64)

 コミンテルンの私生児である(原文のまま)中国共産党は、孫文の後継者たる国民党とのちがいを鮮明にするために、建党当初からしばらくの間はモンゴルなど諸民族に自決権を与えて連邦国家の建設を唱えていたのも周知の事実である。
 しかし、近代の産物である国民国家像がより明確にイメージされるようになるにつれ、中国共産党は民族の自決権を謳歌していた当初の約束をいとも簡単に否定して、少数民族には有名無実の「区域自治」しか交付しなくなった。
 このきわめて限定的な「区域自治」を確固たるものにし、モンゴル人を漢人なみの「人民」に改造するためには、過去にあった自決を求める運動を精算しなければならなかった。
 
 内モンゴル自治区の場合は、内モンゴル人民革命党の精算である。共産党員たちは内モンゴル人民革命党の歴史を「中国革命の一部」だと書き換えただけでは決して満足しなかった。モンゴル人の肉体的な消滅が最も望ましかったのである。
 
 かくして、「民族の消滅」という社会主義的な大義名分の下で、民族分裂主義に反対するという形で、社会主義的なイデオロギーと伝統的な漢人対夷狄(いてき)という構造が重なり合って、ジェノサイドは持続的に断行されてきたのである。

 モンゴル人が少しでも自民族の文化や将来について語ったりすると、たちまち「分離独立者」として疑われる。
 
 この点は、現在の中国においても基本的に変わっていない。

 現在の中国政府が公布する各種の少数民族政策に関する公文書内には文化大革命時代と同様な性質を持つものが多い。少数民族に注ぐ中国共産党の視線は以前と比べて何ら変化していない事実に依拠して予測すれば、ジェノサイドが二度と起こらない保証はどこにもない。
 滕海清講話は人類が経験した「虐殺の20世紀」の過ちを反省するのに有用な材料である。また、人権を重視し、平和な21世紀を構築するためには、まず過去のジェノサイドの実態を着実に解明することから始めなければならない。


 <編者による「あとがき」の書き写し>(P911)

近代において、日本人が最初に出会った「蒙古」ことモンゴルは「内蒙古」=うちモンゴルだった。内モンゴルの東の一部分は日本が作った満州国に組み込まれて、大日本帝国の植民地となっていた。大勢のモンゴル人青年たちが日本へ留学するか、あるいは満州国に設置されて大学で学んだ。モンゴル人は日本から多くの近代的な知識を吸収した。
 日本的な近代的教育を受けたモンゴル人達はほとんど例外なく知的で、教養ある行動をとっていた。彼らはモンゴル社会のあたらいい知識階級を成していた。モンゴル人たちは、日本的な教育を受けた青年たちを心から愛し、また尊敬していた。

 いうまでもなく、現代中国は漢人たちが圧倒的多数を占め、政権運営の主導権を握る国家だ。他の弱小民族の運命は全て彼らの掌中にある。残念ながら、責任ある地位についていた漢人共産主義者の多くは教育を受けておらず、無学無知だった。そのため、毛沢東を頂点とする漢人共産主義者たちは知識人を極端に嫌った。何回も知識人たちを粛清し、国民を無学のままにしておいて統治しようとしてきた。愚民政策である。

 モンゴル人が古くから住んできた土地の一部、すなわち「内モンゴル」と俗に呼ばれる地域は大国の無責任な政策によって、独立が頓挫してしまった。内モンゴルは中国の領土に組み込まれたが、知的で教養あるモンゴル人の存在を中国共産党員たちは喜ばなかった。というのも、知的なモンゴル人たちは日本の植民地支配と結びついているからだ。

 しかし、知的なモンゴル人たちを漢人共産主義者たちも認めざるを得ず、「日本刀をぶら下げた紳士」と、半ば皮肉を込めて呼んでいた。皮肉の成分を除けば、知的で近代的な良好な教育を受けたモンゴル人たちは、匪賊あがりで、粗野な漢人共産主義者たちとはまったく異なる社会運営を目指していた。

 本書はモンゴル人ジェノサイドに関する第一次資料の一部を収録しているが、そのようなジェノサイドの対象にされた間接的な一因に、近代日本の投影があるのも事実であろう。日本の方々にはぜひ、その部分を理解していただきたい。


 P12に紹介されているモンゴル人指導者ウラーンフを批判した漫画のウラーンフの腹部には「日の丸」が描かれています。「日本のスパイ」だと示唆されているのです。


 

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1 コメント

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モンゴルSNS (morinhoor)
2009-09-17 03:28:23
モンゴルSNS 。

http://mongolkhun.ning.com/

良かったらみてくださいね。
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