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川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

67回目の敗戦記念日に思う

2012-08-15 09:40:00 | 政治・社会

日本の周辺の雲行きが怪しくなっています。

 ロシアの大統領が「北方領土」(南千島)を訪れて永続的な領有を宣言したのに倣ったのか、韓国の李大統領が竹島を訪問してみせました。

これを合図にしたかのように韓国の「反日」はなんでもありの様相を呈してきました。大統領が先頭に立つ決意を示したので国民がいっそ

う鼓舞されているのでしょう。大統領は「天皇が来たいのなら独立運動家に謝罪しろ」とまで言い放ったとか。大統領の発言はオリンピック

の対日戦勝利後にプラカードを掲げて見せたサッカー選手の行動とはその意味合いが違います。国の元首の発言です。国を挙げて日本

と戦う決意を示したのです。

 今日は「光復節」です。韓国の大統領や国民がどういう言動を示すか、注視したいと思います。

尖閣諸島の領有(侵略)を公言する中国、日本国民を拉致して知らん顔を続ける北朝鮮。まことに厄介至極な隣国ばかりです。

 今日は67回目の敗戦記念日です。米英中蘭など世界を相手に戦った「大東亜戦争」の敗戦から67年になりました。

僕は憲法施行の翌年(1948年)に小学校に入学しました。憲法の落し子のような存在です。勉強、特に社会科が好きで「優等生」でした

から大体において教科書の精神を体現した育ち方をしました。「非武装」「戦争の放棄」はその中核をなす考え方です。大人になるにつれ

てその憲法がアメリカの占領政策の一環であったことも知りましたが身についた「非戦」「非暴力」はもともとの臆病心や理想主義とあいま

って僕の中では今でも譲ることのできない行動規範です。ですから「戦争はどんなことがあってもやらない」「国際紛争は平和的に解決す

る」という国策がともかくも維持されていることに安堵しています。僕の世代には同じような思考回路を持つ人が多いのではないかと思わ

れます。

 近隣の諸国においては僕の受けたような教育は行われてはいません。富国と強兵は一体であり、いつでも戦争ができるように準備して

おくのが国家としても国民としても当然だと考えられており、教科書は愛国主義で満ち溢れています。日本のような国は近隣には存在せ

ず、臆病で軽蔑すべき存在と思われているのかもしれません。

 戦争に負けて67年、次第に仲良くなれるかと思ってきた隣国との問題解決がいよいよ困難になり、相手は居丈高になってくる気配です。

どうやってこの難局を乗り切るか?

それでも「戦争はどんなことがあってもやらない」という原理原則だけは譲りたくはありません。そのためにどうしたらよいのか、いよいよ真

剣に考えるほかはありません。破滅的な原発推進政策に非暴力の抵抗を粘り強く続ける若者たちの金曜デモ・集会が大切なヒントを

与えてくれていると僕は感じています。民主主義・人権を徹底して尊重し、非暴力不服従の国民運動を展開することが国民の共感を広げ

団結力を高めることにつながる、と。