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川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

朋ありて、遠方より…

2007-08-11 18:40:14 | 友人たち
 5日の夜はT君が来て泊まっていってくれました。一日ボランティアとして丸木美術館で働き、翌日も原爆忌の手伝いをするのです。今年3月、新宿山吹高校を卒業した僕の最後の生徒の一人です。
 昨年の7月、夏休みを前にした授業で丸木美術館のことを紹介したとき、ボランチア募集の案内も渡したのです。これがきっかけになってこの一年間、Tくんは東京から2時間かけて東松山の美術館に通うようになったのです。ボランティア仲間や若いスタッフと気が合うのでしょう。
 こうしてゆっくり話をしあうのははじめてです。某国立高校を中退したのはクラスメートによる、いじめ事件と関わっています。退学するとき、どうしてと聞いてくれる教師はいなかったそうです。各地を自転車でまわったり、沖縄を旅したり。 かつて、シナリオライターになりたいと聞いていましたがその夢は今も捨てていないようです。学校を卒業後、派遣社員として北海道のホテルで働いて帰ってきたばかりです。当面の進路に目標が定まったようです。僕はこうして聞いているばかりで有効なアドバイスがあるわけではありませんが頑張ってほしいと思います。
 6日。午後から美術館で城西川越中学生による和太鼓の演奏を聴きました。真剣な表情と力強い撥(ばち)さばき。僕はもうただただ感動して一人一人の表情をカメラに収めました。
 世界の各地で魑魅魍魎が跋扈し、核をもてあそんでいます。中学生の太鼓演奏はこれらとの戦いの嚆矢(こうし)かと思いました。聞くところによると、この美術館の絵画クラブの少年が城西川越中に進み、仲間に相談して出演の運びになったとのことです。この美術館に集うひとびとの働きがこうして次の世代の活躍につながっているのです。
 館内に入って原爆の図を見ました。8月6日に絵の前に立ってみると普段とは違う迫力があります。Mさんが感想を送ってくれた母子像。水を求めてたどり着いた川の中で抱いていた赤ちゃんに乳をやろうとして、はじめて 我が子の死に気づいたお母さん。希望のない母の姿です。こみあげてくる悲しみと怒りを我が胸に刻んでおきたいと思いました。
 
 8日 Kさんがはじめて我が家を訪ねてくれました。夫であった淳さんが寄ってくれたのが83年ですが、亡くなられてもう10年以上になります。墓掃除に行って来たと秩父の酒を土産にくれました。明日から学校図書館関係者の研究大会が川越であるというのでようやく会いに来てくれる機会が訪れたのです。
 Kさんは僕より一つ上の都立高校の司書教諭だった人で、今も大学で働いたり、研究会のリーダーとして忙しい日々を送っています。昔から「木苺」を読んでくれたり、木いちご舎を支えたりしてくれました。
 夫の淳さんは埼玉県の高校教師で問題や在日コリアン問題に心血を注いだ人です。妻の倫子のほうが僕よりもつきあいが深いのです。僕も淳さんとよんで兄のように思っていました。医療生協の設立に尽力されたのですが癌にやられました。無宗教の葬儀を司会させてもらいました。
 3時半から6時間、我が家と小澤屋で尽きぬ話を伺いました。淳さんというあったかい人を中心にしてずうっと昔からつながっている気がして嬉しい半日でした。 学校図書館で働く後輩たちに伝えたい哲学を持っているKさんのエネルギーは今もほとばしっているようです。淳さんとの思い出の詰まった家を仲間との出会いの場として活用したいと思っています。
 遠いとはいえません。西武電車でつながっています。今度はその家を久しぶりに
訪ねてみたいと思います。

若い友へ

2007-08-11 13:40:05 | 友人たち
昨夜は会議があり池袋発、森林公園行きの最終電車に乗りました。川越までぎゅうぎゅう詰めで、立ちっぱなしです。でも駅からは自転車できちんと帰り着きました。1時ごろです。久しぶりの体験ですが、体力の回復を実感できました。
 会議での印象です。多文化共生の学校を作るために尽力してきた都立高校の後輩教員の人たちが管理職や同僚の協力を得られず、その活動がつぶされていく現実があります。ここ数年、状況は悪くなる一方です。だからといって、僕らに何かができるわけではありません。
 何もしなくていい。じっと耐えて、生徒の話を聞くだけであなたの存在理由はある。僕はこういって励ましたつもりですがその人のこころには届かなかったようです。このままでは心労が重なって病気になってしまう。
 自分にできることとできないことをはっきりと自覚し、自分のこころに忠実に子どもたちと日々を過ごしてほしいと僕は思っています。子どもたちと交感し会う喜びさえあれば、今しばらくの冬に耐えられるはずです。
 僕も元気をもらったからには「きいちご基金」の活動などを通して、社会のあちこちで押しつぶされそうになりながら、自分を生きたいと願っているひとびとが交流し、互いに励ましを受ける場を作っていきたいと思っています。学校現場のひとびとも自分だけが悲劇の主人公だと思わないで、心を開いて、ひとびととの交わりに参加してほしい。
 かつての自分を思い出します。精神的に苦しかったときに僕を支えてくれたのは何でも聞いてくれる妻はもちろんのことですが、故郷の小学校の時の友人や親戚の兄さん、北海道の「農業の先生」など何人かのひとびととの交友です。
 自分の中にどれだけのひとびとの生活とこころが住んでいるか、それが自分に公平な世の中の見方をもたらしたり、人間に対する信頼感を育てたりしていることに気づくことが大事です。
 それにしてもと思うことがあります。夏休みのことです。僕が数行前に書き記した方々との出会いは夏休みなしには考えられません。生徒を10人近く連れて室戸に帰ったとき、偶然再会した友だちともう30年近く交流しています。20人くらいの生徒を連れて3夏世話になった北海道池田町の農家の皆さんとは34年になります。広尾の牧場には80年に一夏滞在させてもらいました。大島の民家をかり、一夏村のひとびとと交流したことも、残留孤児2世の故郷訪問に連れて行ってもらい、黒竜江省の炭坑町に一週間ほど滞在したこともあります。
 夏休みは教員が世間を知り、成長するために欠かせない休業期間です。学校での仕事ばかりではなく、校長は教員がたてたさまざまな研修計画を認め、世界のあちこちで子どもたちと遊んだり、学んだりすることを奨励してほしいものです。
 石原さんは都庁に出る日を限定し、自主的研修に励んでいます。税金で世界のあちこちに出かけて豪華な研修もします。僕の夏休み研修はすべて自費で、家族も一緒です。それが身に付いた学びになるのです。
 世間の皆さんへ。教員というのは大体において、学校という世界しか知らない特殊な人間です。そういう人に子どもを任せられないと思ったら、夏休みの活用を応援してやってください。