以下の文章は3月21日、地方選挙に当たり、『朝日新聞(視点)』に投書したのですが「不採用」という通知を受け、眠っていたものです。参議院議員選挙を目の前にして皆さんに読んでいただければ幸いです。ご意見など遠慮なく、書き込んでください。電話やメールでは言いやすいけれどコメントは一寸という方が何人かいますが、発言の練習と思って一行でも書いてみてください。楽しみにしています。
<多文化共生をめざす>在日韓国・朝鮮人生徒の教育を考える会世話人 鈴木啓介
先人の長い闘いが生み出した選挙権や被選挙権を土台にして私たちがあきらめることなく政治参加していくことが独裁政治を生み出さないための必須条件です。
自分がこの社会のかけがえのない一員であることを自覚し、他者と交流しながら自分の人生観・世界観を創造し点検していく必要があります。自分が自分の主人公になることですから困難でも楽しい人生を切り拓いていくことにつながります。
このような自覚した個人の生き方こそが、民主主義を支える根源の力であることを肝に銘じておきましょう。
私は高校の社会科教師として生徒たちにこんな言葉を送り続けてきた。これにはほとんどの方が共感してくれるだろう。その上に立って私は言いたい。
なぜ、40万人を越す在日コリアンに選挙権も被選挙権も認められていないのか。なぜ、そのことに私たちは無頓着なのか。
日本の植民地時代にこの地に住むことになった人々とその子孫は世代交代を重ね、今は3世が主流となり4世5世が成育している。
日本社会はこれらの人々に特別永住という在留資格を与えているが、<外国人>ということで参政権を認めていない。旧植民地出身者とその子孫が何世代にもわたって参政権がないなどという例は世界のどこにもない。日本の民主主義は重大な問題点を抱えているだ。
この問題を解決するため、2001年自公などの与党案として公表された<特別永住者等の国籍取得の特例に関する法律案>は、画期的な内容だった。
第一は在日コリアンに「届け出」による国籍取得権を認めていること。
1952年、サンフランシスコ講和条約の発効に伴い、在日コリアンは一人一人の国籍選択の権利を認められないままに、一斉に〈外国人〉とされ、主権者としての地位を喪失した。
2001年の法案が法務大臣の「許可」ではなく「届け出」による国籍取得を認めていることは、この歴史的過誤の反省の上に立つものと考えられ、実質的に国籍取得(選択)権を認めたことになる。
煩雑で人間としての尊厳を傷つけられかねない「帰化」制度によることなく、望めばいつでも届け出によって日本国籍をとれるようになれば、帰化制度に対する批判から国籍取得を躊躇していた人々が決断しやすくなるだろう。
第二は民族名を名のることを保障していること。従前の帰化手続きではややもすれば日本式の氏を名乗ってコリアンのルーツを消し去ることを求めてきた。また日本の人名漢字に含まれていない姓や名を持つ人は新たに氏を創ったり名を改めたりしなくてはならない。これは民族的尊厳を傷つけ、同化を強いるものと言わざるを得ない。
この法案はこうした流れとは明らかに違い、民族名を名のり、コリア系日本人(国民)として生きていくことを保障している。
これだけで誰もが民族名を名のって生きられるほど現実は甘くはないが、差別を許さないとする市民の運動と相まって、コリア系の人々の自覚が高まっていけば李さん、朴さん、金さん、とルーツを明らかにしてコリア系の日本人として活躍する人が国会や地方議会をはじめとして社会のあちこちで増えていくことが期待できる。
このことは在日コリアンの人権を確立し、日本の民主主義の基礎をより確かなものにするだろうし、また、多民族・多国籍化が進む日本を真の共生社会に導いていくためにさけられない課題ともいえる。
法案が発表されて6年近く経つのに国会に上程さえされないのは立法府の怠慢というほかはない。今年は選挙の年、民主主義の根本の問題の一つとして議論されることを願う。
<多文化共生をめざす>在日韓国・朝鮮人生徒の教育を考える会世話人 鈴木啓介
先人の長い闘いが生み出した選挙権や被選挙権を土台にして私たちがあきらめることなく政治参加していくことが独裁政治を生み出さないための必須条件です。
自分がこの社会のかけがえのない一員であることを自覚し、他者と交流しながら自分の人生観・世界観を創造し点検していく必要があります。自分が自分の主人公になることですから困難でも楽しい人生を切り拓いていくことにつながります。
このような自覚した個人の生き方こそが、民主主義を支える根源の力であることを肝に銘じておきましょう。
私は高校の社会科教師として生徒たちにこんな言葉を送り続けてきた。これにはほとんどの方が共感してくれるだろう。その上に立って私は言いたい。
なぜ、40万人を越す在日コリアンに選挙権も被選挙権も認められていないのか。なぜ、そのことに私たちは無頓着なのか。
日本の植民地時代にこの地に住むことになった人々とその子孫は世代交代を重ね、今は3世が主流となり4世5世が成育している。
日本社会はこれらの人々に特別永住という在留資格を与えているが、<外国人>ということで参政権を認めていない。旧植民地出身者とその子孫が何世代にもわたって参政権がないなどという例は世界のどこにもない。日本の民主主義は重大な問題点を抱えているだ。
この問題を解決するため、2001年自公などの与党案として公表された<特別永住者等の国籍取得の特例に関する法律案>は、画期的な内容だった。
第一は在日コリアンに「届け出」による国籍取得権を認めていること。
1952年、サンフランシスコ講和条約の発効に伴い、在日コリアンは一人一人の国籍選択の権利を認められないままに、一斉に〈外国人〉とされ、主権者としての地位を喪失した。
2001年の法案が法務大臣の「許可」ではなく「届け出」による国籍取得を認めていることは、この歴史的過誤の反省の上に立つものと考えられ、実質的に国籍取得(選択)権を認めたことになる。
煩雑で人間としての尊厳を傷つけられかねない「帰化」制度によることなく、望めばいつでも届け出によって日本国籍をとれるようになれば、帰化制度に対する批判から国籍取得を躊躇していた人々が決断しやすくなるだろう。
第二は民族名を名のることを保障していること。従前の帰化手続きではややもすれば日本式の氏を名乗ってコリアンのルーツを消し去ることを求めてきた。また日本の人名漢字に含まれていない姓や名を持つ人は新たに氏を創ったり名を改めたりしなくてはならない。これは民族的尊厳を傷つけ、同化を強いるものと言わざるを得ない。
この法案はこうした流れとは明らかに違い、民族名を名のり、コリア系日本人(国民)として生きていくことを保障している。
これだけで誰もが民族名を名のって生きられるほど現実は甘くはないが、差別を許さないとする市民の運動と相まって、コリア系の人々の自覚が高まっていけば李さん、朴さん、金さん、とルーツを明らかにしてコリア系の日本人として活躍する人が国会や地方議会をはじめとして社会のあちこちで増えていくことが期待できる。
このことは在日コリアンの人権を確立し、日本の民主主義の基礎をより確かなものにするだろうし、また、多民族・多国籍化が進む日本を真の共生社会に導いていくためにさけられない課題ともいえる。
法案が発表されて6年近く経つのに国会に上程さえされないのは立法府の怠慢というほかはない。今年は選挙の年、民主主義の根本の問題の一つとして議論されることを願う。