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川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

三六災害から50年 秋葉街道の旅メモ①

2011-11-23 19:47:36 | 出会いの旅

11月9日(水)の午後大鹿村の大西公園に寄った。ここには三六災害の後が今もなお生々しい姿で残っていた。1961年(昭和36年)6月梅雨末期の集中豪雨が伊那谷一帯を襲い甚大な被害を出した。この辺りでは「三六災害」というらしい。

 象徴的なのがこの大西山の崩落である。

6月29日

午前9時10分、大西山西側斜面が崩壊。崩壊した土砂はすぐ下を流れる小渋川を超え、対岸にある村の中心部を襲う。分速1000mで押し寄せたとされるその勢いは、風圧で家屋や自動車が吹き飛ばされるほどであり、42名の方が犠牲となった。

 

崩落現場の一部は今もそのまま保存され自然災害の凄まじさを今に伝えている。土砂に埋まった山麓は公園として整備され今は桜の名所となっている。

 出典●http://kuzure.jp/wiki.cgipage=%A1%D6%CA%F8%A4%EC%A1%D7%A5%EA%A5%B9%A5%C8%2F%C2%E7%C0%BE%BB%B3%CA%F8%B2%F5%C3%C

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 帰ってから高柳さんに貰ったDVDで「演劇的記録 三六災害五十年」を見た。今年があれから50年になるということで災害に学び災害に備える地域づくりの一環としてふじたあさやさんの作・演出で6月19日に飯田で上演されたものだ。劇団員の他に大鹿村の老若男女総出演という感じで大西山崩壊という未曾有の災害の下で繰り広げられた人間のドキュメントを描いた。現場に立ってみたあとだけに僕にもいくらか切実感があった。

市民演劇集団「演劇宿」と大鹿村民らが演じた「演劇的記録三六災害五十年」=19日、飯田市の飯田文化会館   

 この旅では三六災害の後廃村となった中川村四徳も訪ねた。残っているのは丘の上の神社だけだった。人々は駒ヶ根市に集団移住したという。

 今年は東日本大震災という途方もない自然災害を体験した。伊那谷に住む若い人々も50年前の災害を身にしみて捉え返すことになったのだろう。

 それでもと思ってしまう。50年も経てば悲しみは薄れ、人々のたゆみない努力の結果、被災地で花見を楽しむこともできる。

resize0774.jpg

 (大西公園の桜)

それに引き換え人間が引き起こした原発事故はどうだ。50年で何が片付くというのだろう?

 参考資料・三六災害から50年●http://www.cbr.mlit.go.jp/tenjyo/think/saburoku/index.html

 

 


宮沢芳重地蔵 

2011-11-08 02:27:56 | 出会いの旅

11月7日(月)晴れ

 午後、癌研有明病院で血液検査と主治医の診断がありました。抗がん剤「イレッサ」を飲み始めてそろそろ3箇月になります。肝機能にやや障害が見られるということで「グリチロン配合剤」という薬をこの2週間飲んできました。血液検査の結果、肝機能に関わる数値は横ばいで、これまでどおりの治療を継続することになりました。自覚できる副作用は鼻腔にかさぶた状のものが出来ることぐらいです。

 次の検査は3週間後で今日からの「秋葉街道縦断旅行」には安心して出かけられます。

 今度の旅の二日目に「宮沢芳重地蔵」を訪ねることになっています。信州・伊那の村人にお地蔵さんとして祀られることになった宮沢芳重とはどんな人なのか。

   

 この人のことを丁寧に紹介してくれるブログがあります。僕の父の世代の信州にはこんな方がおられたのです。

地蔵になった労務者①http://www.asahi-net.or.jp/~VS6H-OOND/diary6.html

http://www.asahi-net.or.jp/~vs6h-oond/diary7.html

http://www.asahi-net.or.jp/~vs6h-oond/diary8.html

「川越だより」は一週間ばかりお休みです。

旅の途中で宿の条件さえ整っていれば「伊那だより」や「浜松だより」を出せるかもしれません。

 


秋葉街道の旅

2011-11-05 05:00:18 | 出会いの旅

11月4日(金)晴

 Fさんが久しぶりに寄ってくれました。新河岸の曼荼羅のベランダで日差しを浴びながら昼食。70になったというのに「集金」の仕事を始めたというから驚きです。運動がてら仕事をして薬代を稼げればいいのですが、どう考えても僕には無理のようです。雨が降ったら休みます。旅行に行くから休みます。雇ってくれるところがあるはずはありません。

 8日からの秋葉街道縦断の旅の日程や宿泊場所が最終的に決まりました。大学の先生をしている友人の都合に合わせた日程なので高いところの紅葉には遅すぎますが、僕らだけでは訪ねることがないところにも行けるかもしれません。

 旅の終わりの浜松では大学の新聞部の後輩の村上くんがまる一日付き合ってくれるそうです。40数年ぶりの再会です。こちらはこちらで大変な楽しみです。

   秋葉街道縦断の旅(予定)

①11月8日(火)

  川越~伊那

  伊那市羽広荘泊http://www.ina-city-kankou.co.jp/cms/modules/tinyd7/index.php?id=2

     

         (経ヶ岳の遠望)

②11月9日(水)
  10:10に伊那大島駅で高柳さんと落ち合う
  三六災害で廃村となった旧四徳(中川村)見学
     小渋ダム見学
  宮澤芳重地蔵見学(松川町立松川東小学校そば)
   大鹿村・赤石荘泊http://www.akaishisou.com/akaisi.htm

③11月10日(木)
  大鹿村の大西公園(三六災害慰霊碑)+中央構造線資料館
  +ろくべん館を見学

  大立神パノラマ公園
   遠山郷の程野、中郷、上町、木沢、和田を通って、

  八重河内・民宿このた泊http://www.ii-s.org/syukuhaku/logs/post_33.html

④11月11日(金)
  青崩峠を見て、ヒョー越峠から静岡県に
  水窪→秋葉神社→二俣本町(高柳さんはここから電車で掛川経由帰京)

  静岡県立森林公園森の家泊http://www.morinoie.biz/

⑤11月12日(土)

  村上剛くんと40数年ぶりの再会 二俣町辺りを案内してもらう

  写真/秋野不矩「帰牛」

  出典〇秋野不矩美術館

http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/lifeindex/enjoy/culture_art/akinofuku/schedule.htm#23-5

  浜松東横イン泊

⑥11月13日(日)

  浜松市街~清水~山梨県富士川町  いち柳ホテル泊

⑦11月14日(月)

 ギャラリー・ハン見学http://galleryhan.moo.jp/gyararihan/Photos.html

 甲府南IC~川越

  
 


ご案内 きいちご移動教室「奥武蔵」

2011-10-03 06:54:48 | 出会いの旅

きいちご移動教室は中国残留孤児・脱北帰国者などと交流しながら日本の自然を楽しむバス旅行です。13回目が10月29~30日に行なわれます。

 高麗神社・埼玉平和資料館・埼玉こども動物自然公園・川の博物館・和紙の里などを訪ね、ときがわ町でみかんがりを楽しみます。のんびり、ゆっくり奥武蔵の旅はいかがですか。

 

<第13回きいちご移動教室>

 
奥武蔵‥‥里の秋 ミカン狩り

 
 秋の移動教室は埼玉県西北部の奥武蔵・秩父(ちちぶ)地方を訪ねます。朝鮮半島などから渡来した人々が移り住んで古くから開けたところです。柿や栗の収穫期ですが、ここはミカン栽培の北限地でもあります。里の秋の風景に包まれ、遠い昔に思いを馳せたりしたあと、ミカン狩りも楽しみます。宿舎は温泉こそありませんが広々とした森の中の国立の施設です。散歩を楽しみながらゆっくりと過ごせるでしょう。ご家族、友人などお誘い合わせの上参加くださるようご案内申し上げます。

 
 ①目的地 奥武蔵(おく・むさし)

 ②宿舎 国立女性教育会館(埼玉県比企郡嵐山町)
   
     電話 0493-62-6723


 ③日程 2011・10・29(土)~10・30(日)

 ④集合時間 29日(土)7時50分(バスは定刻8時に発車します)

 ⑤集合場所 JR日暮里(にっぽり)駅東口広場(JR日暮里駅北口改札を出て右に行くと東口広場があります)

 ⑥参加費(旅行傷害保険料を含む)

    大人(高校生以上) 5300円

    小学生・中学生   3300円

    幼児(3歳以上)  1300円 

 ⑦必需携帯物品 29日の昼食(弁当)寝間着 タオル 洗面具 レジャーシート 雨具

 ⑧服装 散歩に適した服装と靴

 ⑨参加申し込み

   ○申込期限 10月10日(月) ただし、先着45名で締切です。早めに申し込んでください。

   ○申込方法 電話 ハガキ Eメール FAXなどで鈴木啓介まで申し込んでください。申し込みは家族単位で参加者
の氏名、生年月日を明記し、代表者の住所、電話番号、メールアドレスを知らせてください。

   ○これまで移動教室に参加したことがある人は氏名だけで結構です。
   ○FAXで申し込んだ人は必ず、電話で届いたかどうか再確認をしてください。

   ○費用送金  申し込みとともに費用を郵便振り込みで送金してください。

       郵便振替口座 00150-6-483807 きいちご多文化共生基金


  主催 きいちご多文化共生基金

    電話(FAX)049-224-4646 Eメール keisukelap@yahoo.co.jp

 


石巻・水澤屋旅館  秋田・醍醐中卒業生のブログから

2011-09-27 10:30:54 | 出会いの旅

先日の東京行の電車で読んだ『東京新聞』の投書欄で石巻でボランティア活動をした50才の方が市民とのやりとりをつたえていました。

「われわれ中高年は何ができるか不安だし、(ヴォランティア活動に)つい躊躇してしまう」

「いや、来て下さるだけでいいんです。タクシー乗って、旅館に泊まって、食事して少し買い物してくれれば経済貢献になる。見たり聞いたりしたことをブログなどで発信してくれれば報道機関のような役割も果たしてもらえます

「もっと早く来るべきでした」

「いや、震災直後も今もあまり変わりありません。完全復興まで30年かかると思っているから。それよりも継続して来ていただけたら、うれしいですね

 こんな声を聞いて「石巻に行ってみようかな」という気が起こってきました。そこで2年前に世話になった水沢屋旅館のその後の消息を調べて見ました。

 秋田県横手市立醍醐中学校卒業生の会のブログにこんなやりとりを見つけました。

 Commented by ヒラツカ at 2011-04-21 00:32 x
夕方に水澤屋旅館の女将さんから連絡がありました。
予約帳をようやく見つけて皆様に連絡を差し上げていると。
旅館はほぼ全滅の状態で、2階には車が置かれて状態とのことでした。僕らはその後話し合い旅費を義援金にしましたと伝えましたら本当にしかたなかったと話してくれました。また再開したら必ず皆で伺うことを伝えましたが、残念ながら再開は無理とのことで諦めたとのことでした。今はまだ避難所で過ごしており、息子が体調を崩していてその世話をしているとのことでした。おかげさまで家族は全員無事で生きているだけでもよかったと話しておりました。とても残念なのは再開を断念したとのことでした。何かお役に立てることはありませんかと尋ねましたが、とにかくたくさんのお客様から温かい励ましの言葉を頂き、それだけで感謝しているとのことでした。最後に同級生の皆様によろしくお伝えくださいと、本当に来て頂けなくなったことに残念で申し訳けないと伝えてほしいとのことでした。以上みなさんへお伝えいたします。
 Commented by アキヒロ at 2011-04-21 00:50 x
水澤屋旅館の再開が断念されたという報告、なんともやり切れません。
この気持ちをどう表現していいものなのか。どうしたものなのか。
あらためて自分の無力を感じます。
 Commented by ヒロハル&エイイチ at 2011-04-21 01:18 x
本当に被災者の一人ひとりに様々な思いがあり、人生があるわけで、まさに27000人ひとり一人に存在してて、存在してたわけで、本当にムゴイというか言葉が見つかりません。
話は変わりますが、栄一が仙台の名取で仮設住宅の建築に汗を流しておりました。影像で見たり話を聞いたのとは大違いで、現場を見たら言葉を失うと栄一が話していました。
こんな時に栄一のように具体的に直接的に復興支援に携われるのを羨ましく思いました。このことをみなさまにお伝えしておきます。
 Commented by ゆきえ at 2011-04-21 05:25 x
水澤旅館の再開、断念ですか?楽しみにしてたのに、とても残念で仕方ありません 何かの縁であったのに少しでも役立てられたらと思いますが、実は私は朝日新聞の声の欄に水澤旅館の復興を願う文章を下書きしてる所でした。これも幻になってしまいました。生かされている私達に出来る事、東北人である私達に出来る事を少しでも考えたいと思います。。
 Commented by タクミ at 2011-04-21 10:41 x
水澤屋さんの報告ありがとうございます。夜寝る前に見たのですが、再開断念の報が残念で残念で、何と言ったらいいのか…なかなか寝付けませんでした。建物が流されなかったので、案外再開も早いのではと勝手に期待していただけに、浸水の重症にショックでした。女将さんの無念は如何ばかりかと思いますが、息子さんの体調のことや避難所生活のこともあり、そのことで精一杯なのでしょう。それでも、律儀に連絡をくれたんですね。今朝、改めて広春くんの記述を見たら「再開をあきらめた」とあります。これは現建物…とも解釈できます。今はまだ絶望の中にいると思いますが、時が経ち、町の復興が見えて来たり、被災者への支援がもっと形になってくれば、また希望も出てくるのではないでしょうか。何かをして暮らして行かなければならないわけだし。小さな民宿でも居酒屋でも何でもいいです。何年先になるのか分かりませんが、そこでみんなで飲めればいいなあと思います。全国にファンのいる旅館で、お客さんとの絆を大切にしている家族ですから、そんなこともあるのではと思います。これも縁だし、十五の会でもこれからずっと見守って行きましょう。
 Commented by 真佐樹 at 2011-04-21 18:15 x
そうだよな・・。タックのコメント読んでそうなってほしいと思い、そうできた時の楽しく幸せなシーンを想像しています。
4月の時点で旅館の再開は「無理」と知らされていたのですね。
この醍醐中学校卒業生の「15の会」の方たちは6月水沢屋旅館に泊まる予定だったようです。41年ぶりに小学校の修学旅行を再現するクラス会を企画していたのです。2011年1月22日のお知らせ記事です。女将さんの話に当時(1970年)の水沢屋旅館の様子が彷彿としてきます。東北各地の修学旅行団の受け入れで大わらわだったのです。僕も泊めて貰ったとき聞いた話です。

松島旅行(速報)

 
小6は12歳の時の修学旅行を41年ぶりに再現しましょう。

日時 2011年6月18日(土)~19日(日)
宿泊 水澤屋旅館 
〒986-0822 宮城県石巻市中央1-10-12 TEL 0225-22-2935
参加費 11500円(宿泊費10500円+事務費積立1000円)
参加申込み方法 3月10日までに参加費の振込みで完了

昨晩、水澤屋旅館の女将さんの水澤もり子さんとお話しました。
当時は羽後交通さんと契約をしていてシーズン時は毎日数台のバスが到着したとのこと。
女将さんは当時25歳であり、生きていれば105歳の父が漁師をしていたのだそうです。
当時の秋田県の先生方には、わらびやみずなどのおみやげを毎回たくさん頂きましたと。
石巻市は海の幸は豊富ですが山の幸を頂くことはとてもありがたかったと話しておりました。
女将は吉本喜劇に出てくる何とかさんに似ていると言われるそうです。
他にもいろいろ機関銃のごとくお話しをされましたが、最後に本人曰く私は無口で当時は美人というより可愛かったですとも。恐れ入りました。

さて、旅費ですが、8000円の海の幸料理コースに2000円の飲み放題コースにしました。
8000円の海の幸コースでも食べきれないかも知れませんとのことです。かなり期待できそうです。ただし旅館や施設などはかなり古いようで、こちらはあまり期待できません。
まぁ皆と昔話と現代話に花を咲かせおいしい料理と美味しいお酒だけで十分ではないでしょうか?

振込み先口座番号や詳しい内容をまたUPさせて頂きます。
基本的にこのような内容で進めていきたいと思いますがいかがでしょうか?
最終的に人数の確定を3月中旬頃までとのことです。
翌日の午前中に何か修学旅行気分を味わえるようにプランを考えてみます。

それにしても今朝も雪が振り続いています。
私の自宅は一階の屋根と積もり溜まった雪が同じ高さになりました。
家ごとかまくら状態です。これから雪かきをはじめます。
(広春) 
出典●http://jyugonokai.exblog.jp/14025799/
石巻に行っても水沢屋旅館には泊まれなくなったけれどお見舞いの一言くらいは伝えられるかもしれません。
それにしても「15の会」の方々も素晴らしい。50をすぎてからこうやってネットで交流しながら15の心を大事にし合っている。行けなくなってしまった旅行の代金は全額震災の寄付として送ったとか。
秋田県横手市(旧平鹿町)醍醐。隣のおじさん・森田昭四郎さんのお父さんはここの出だということです。こういう人たちの故郷も訪ねてみたいものです。
関連「川越だより」●石巻・日和山http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/def419571d917a98a953efb6e01c08fe
●石巻・水沢屋旅館http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/7502d48411046e0ca4e56d5120d25d82
●石巻・日和山公園からの風景http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/4f5486797b4aafe8ec9d9a6d46d14546

夢見る秋葉街道紅葉の旅

2011-09-22 08:40:48 | 出会いの旅

台風一過、爽やかな朝です。家の周りを見たところこりんごの実が落ちたほかは「被害」は何もありません。

 この二日間は急に気温が下がったので体がついていけません。ベッドでの寝たり起きたりの生活でした。泰阜村の中島多鶴さんの講演会の帰りにTさんとの話題になった「秋葉街道縦貫の旅」の計画を立てることにしました。Tさんは大学の留学生を対象とした講座で長野県伊那地域のフィールドワークを計画しており、この辺リの下調べを続けています。秋葉街道沿いは公共交通が不便なので私たちの趣味の旅と波長が合えば一緒したいということです。

 

 1日目  川越~(中央道)茅野~高遠(国立少年自然の家泊)


 2日目  
三六災害で廃村となった旧四徳~小渋ダム~宮澤芳重地蔵~大鹿村(赤石荘泊)


 3日目  中央構造線資料館~ 夕立神パノラマ公園など南アルプス展望ドライブ~しらびそ高原(ハイランドしらびそ泊)

        

                 (赤石岳の遠望)

 4日目  しらびそ高原~下栗~和田~兵越峠~水窪~旧龍山村(ふるさとの村泊)

        

         (下栗の里)

           

 5日目  秋葉神社~浜松~?(泊)

 6日目 ?~川越

 

 秋葉神社は火除けの神として知られたところです。全国にたくさんある秋葉神社の中心的存在で江戸方面からも参詣者が絶えなかったといいます。中央構造線に沿って走っている国道152号がほぼ昔からの秋葉街道ではないかと思われます。長野県側はあちこち行ったことがありますが縦貫したことはありません。

 紅葉の季節に訪ねることができればいいなあ。いいのは10月の後半から11月のはじめあたりかな。夢が膨らんでいます。ご一緒できる方がいたら声をかけてください。あとひとりは大丈夫です。


良寛と柏崎刈羽原発  中越の旅(下)

2011-09-05 10:54:32 | 出会いの旅

8月31日(水)晴れ

 (長岡市)寺泊~(長岡市)和島・歴史民俗資料館~隆泉寺(良寛墓碑)・宇奈具志神社(良寛詩歌碑)~出雲崎町・良寛堂~柏崎刈羽原子

力発電所~(長岡市)小国町・真福寺(木喰上人・仁王像)~小千谷IC~関越高速道路~川越

①良寛墓碑・詩歌碑

 良寛が最晩年を過ごした木村家のある(旧和島村)島崎の辺りは「はちすば通り」と名付けられて散歩道になっている。墓碑は木村家の菩提寺・隆泉寺にあり、近くには托鉢する良寛像もある。隣の神社にある良寛詩歌碑を眺めていたら近所の女性が現れて「良寛禅師の遺墨(建碑の拓本の縮刷版)」という印刷物を差し出してくれた。おかげでなんとか読むことができた。漢詩・俳句・短歌が刻まれている。

                                            「倒るれば 倒るるままの 庭の草」

       出典●http://www2.tokai.or.jp/mm/washima.html

 

②出雲崎・良寛堂

良寛の生家跡に建つ良寛堂。ここは昔来たことがある。日本海のかなたに良寛の母の故郷・佐渡島が見える。安田靭彦の作だという。近くの住吉神社に登って佐渡を遠望してみた。

 「いにしへにかはらぬものはありそみとむかひにみゆるさどのしまなり」

 ③柏崎刈羽原子力発電所  

 ここまで来たからには東電柏崎刈羽(かしわざき・かりわ)原発も見ておこうということになる。まずはPR館に寄って昼食。軽食だが安くて美味しい。

 ついで実物の5分の一の原子炉模型を女性社員の案内付きで見学。お姉さんの説明は丁寧で優しいが当然ながら「当社」寄りである。申請すれば原発構内も案内してもらえるというので早速実行する。

 写真付きの公共機関が発行する本人証明書が必要である。妻と娘は運転免許証、僕は住民基本台帳カードでクリアー。しばらく待っていると車がやってきて3人を載せてくれた。発電所入口では運転手(案内人)が警備員のチェックを受ける。

   

 壮年の案内人はかつて福島第一原発でも働いていたという。ここは7号機まであり福島第一よりは広い。合計発電能力は世界最大だが、今動いているのは5号機と6号機だけで、この2機も来春には定期検査に入るらしい。そうなると東電の原発は全て停止となる。

 広い構内の発電施設の周りをゆっくりと(40分くらい)回りながら説明をしてくれた。記憶に残ったこと。

 1 赤くて巨大な避雷針鉄塔が3基、海よりに建っている。雷雲は能登半島方面から米山(よねやま)を経てやってくることが多いらしい。発電所の生命線に打撃を与えかねないので万全の対応をしているという。

 2 この発電所で働いている東電社員は1200人。協力会社社員は6000人。これにはびっくりした。あちこちに協力会社の建物がある。協力会社というのは定期検査の時などに働く下請け会社のことかと思っていたら、日立や東芝などの大会社も含まれるらしい。実際に発電機を回しているのはこれらの会社の社員で東電の社員は全体のマネージメントをしている。どうもそういうことらしい。原発に関する僕の認識は根本的に間違っていたようだ。

 東電には食堂があるが協力会社には無く、街の弁当会社の車で昼時は混雑するほどだという。これだけのひとが働いているとすれば柏崎はまさに原発城下町ということになる。東電抜きには町が成り立たなくなっているのだろう。

 3 海上には海上保安庁の巡視船が停泊していた。北朝鮮などのテロ攻撃を警戒しているのだろう。(01年の9・11までは構内の見学も自由に行われていたらしい)。

 4 津波対策の防波堤や防護壁の建設はこれからだという。中越沖地震で毀れた原発の補修工事も終わっていない。それでも5・6号機は動いており、熱排水が海に流れ込んでいた。地震や津波が起きる可能性はないと言えるのだろうか。

 丁寧に案内してくれた方々にお礼を言って、旅の最後の目的地・小国町・真福寺に向かった。

 参考資料●http://gendai.net/articles/view/syakai/132432

 

 東電・柏崎刈羽原子力発電所全景(廃土で造った岡の向こう側の5・6号機だけが稼働中だ)●http://www.tepco.co.jp/nu/kk-np/index-j.html


 信濃川大河津分水と宮本武之輔  中越の旅(中)

2011-09-04 11:26:28 | 出会いの旅

8月30日(火)晴れ

 喜芳(長岡市三島町上岩井)~寛益寺(かんにゃくじ)~与板町・楽山亭・中学校~信濃川(右岸)~大河津資料館~国上

寺・五合庵~弥彦山スカイライン~越後七浦シーサイドライン~寺泊・住吉屋(泊)

 

①寛益寺山門 仁王像と藁葺き屋根の唐草模様

 地図に「橋の町」とあるところを訪ねたら寛益寺という寺があった。仁王さんの表情も面白いが山門の藁葺(わらぶ)き屋根の庇(ひさし)に唐草模様があるのに気づいた。亀の模様がある一角もあった。村人たちのオシャレ感覚に脱帽。

 

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出典●http://imai-sekkei.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-a771.html

②信濃川風景(右岸・中之島町)

 城下町・与板の街並みや楽山亭からの景観を楽しんだあと与板中学校に寄った。校舎の壁が柳行李(やなぎこおり)模様になっている。ここは昔、柳行李の産地だったという。

 信濃川の橋をわたって右岸の土手上の道(「道路ではない」と断り書きがある立派な道)を大河津(おおかわず)分水に向かった。天下の大河・信濃川とようやく出会えたという喜びがあった。向うに見えるのは国上(くがみ)山・弥彦山である。

出典●http://www.pref.niigata.lg.jp/nagaoka_kikaku/1204737350657.html

③大河津分水

 去年12月には閉まっていた「信濃川大河津資料館」に寄った。

 写真(左)。中央に伸びるのが人工の河川・分水。ここから信濃川の余分な水を日本海に流して信濃川下流部(新潟平野)の洪水を防いでいる。堰は可動堰。下方が信濃川本流。洗い堰がかかっている。

 写真(右)。分水上空から見た新潟平野。悪水に悩まされた湿田地帯も分水が完成したおかげで今や日本有数の穀倉地帯になった。整備された大河・信濃川の流れが平野を潤し、日本海に注ぐ。

 

④青山士(あきら)と宮本武之輔

分水の開鑿は江戸時代から農民の悲願だったが、可動堰が完成したのは1931(昭和6)年である。この時の堰建設の総責任者は青山士だが、可動堰を設計し、建設工事の先頭にたったのは宮本武之輔という人であったという。

 青山はどこでどんな工事をする時にも「人類ノ為ニ」という視点を貫いたというが、宮本は民衆のために民衆と共に働いた土木技術者だという。分水が完成したとき、人々の先頭に立って行進する宮本の写真があった。誰の意見にも耳を傾ける広い心の持ち主だったという。こういうリーダーに恵まれて今の新潟があることを私たちは決して忘れてはならない。

 宮本は愛媛県松山市の沖に浮かぶ興居島(ごごしま)の出身だという。僕は愛媛の出身ではないがこの島はなんども眺めている。こんな誇らしい人がいたことを愛媛の友人たちは知っているだろうか。お節介ながらも知らせてやらなくちゃと思った。

 参考資料●宮本武之輔 http://www.jsce.or.jp/contents/avc/miyamoto_rireki.shtml

 


木喰仏との出会い 中越の旅(上)

2011-09-02 08:34:03 | 出会いの旅

8月29日(月)晴れ

 川越~越後川口S・A~小千谷IC~小栗山木喰観音堂~金倉山展望台~蓬平(よもぎだいら)温泉(昼食)~寳生(ほうしょう)寺~喜芳

 ①信濃川の流れ(越後川口S・A)

 魚野川と信濃川の合流する風景が見られるかと寄ってみたがそれは叶わなかった。

小千谷・川口 写真

 ②小栗山木喰観音堂(小千谷市小栗山)

群馬県に入る頃小千谷観光協会(0258-83-3512)に電話して拝観をお願いしておいたら管理人の坂詰司朗さんが開扉して待っていてくれた。先年の中越地震でこの辺りも集落ごと孤立するほどの被害を受け観音堂も傾いたという。

 このお堂に安置されているのは如意輪観音像を中心とした33観音と行基菩薩、大黒天。木喰上人はイチョウの巨木を見つけては持ち主の許可を得て仏像を彫った。ここに住みついたのは1803年から04年までのことで上人86才の時であったという。娘や妻に連れてきてもらったが僕は木喰上人のことを何も知らない。微笑みを浮かべた諸仏を見、坂詰さんのお話を聞いているうちにこの人のことを知りたいと思うようになった。

木喰仏

 下は小栗山の諸仏。右は寳生寺の木喰堂で見た「木喰自刻像」。

DSC_1850_002.jpg 

  ④金倉山展望台 

  もう一人の管理人である広井正二さんも姿を見せてくださって畑から採ってきたばかりのピーマンを持たせてくれた。後ろの山の眺めがいいというので登ってみた。信濃川や越後三山の眺めはもちろんのことだが足下に見える山古志村の棚田の風景が見事だ。鯉の養殖も再開されているようだ。

 娘がこういった。「東電の罪は深い」。

 中越地震から数年を経て山古志の棚田は見事に耕されている。みのりの秋も近い。福島第一原発事故で放射能汚染された福島県浜通りの田畑が再び稔の季節を迎える日はいつ来るというのだろう。 

イメージ 2

出典●http://blogs.yahoo.co.jp/okuaizu3/29630841.html

 


真福寺の仁王さん

2011-09-01 16:13:01 | 出会いの旅

昨夕8時、新潟県小千谷・長岡地域の旅から無事帰りつきました。充実した3日間を過ごしたためか今日は終日ゴロゴロ。旅のメモは他日を帰すことにします。

真福寺

 旅の最後に寄った長岡市小国町真福寺の仁王像。奄美大島出身の横綱・朝潮太郎に似ているかな。木喰上人(もくじきしょうにん)晩年の作。ケヤキの大木を一木彫成したという。


木喰仏 良寛さん 日本海

2011-08-29 05:12:53 | 出会いの旅

8月28日(日)晴れ

 よく晴れて清々しい。狭山の赤坂の森公園に寄ったあと新河岸の曼荼羅で昼食とする。主人のお母さんの井上享子先生の墓が僕の散歩道にあると聞いて帰りに寄ってみた。ウバメガシを植えてあるのですぐわかった。お父さんが室戸から持ってきて家の庭に植えてあったのをお墓に移植したという。井上先生は僕の小学生時代に津呂小学校(今の室戸岬小)に勤めておられた。その晩年に川越でお会い出来るとは‥びっくりしたものである。

夜。隣のMさんご夫妻が僕の退院を祝ってくれた。岩手のお盆の料理に欠かせないというエイの煮付けに赤飯。Mさんは弟分が元気に帰ってきたのを心から喜んでくれた。いつもの力強い握手で励ましてくれた。

 若いときに人々の輪のなかで歌った盆踊りの唄を披露してくれた。8月7日から20日まで二週間も毎晩唄って踊ったというから驚く。

 娘が休みがとれたというので今日から2泊3日の予定で日本海を見に連れていってもらうことになった。良寛さんの出雲崎(新潟県)など。今日は小千谷(おじや)で木喰仏(もくじきぶつ)を拝観させてもらい、長岡市の郊外の温泉で泊まる予定だ。この辺りはいつも通り過ぎるだけで何も知らない。どんな出会いがあるかな。(29日朝、記す)。

 

木喰仏

「微笑の仏に会いたい」 新潟の木喰仏●http://www.niigata-kankou.or.jp/feature/mokujiki/index.html

 


過去1週間の閲覧数・訪問者数とランキング(日別)

 

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魚津の円筒分水

2011-08-07 08:43:13 | 出会いの旅

朝夕はまだ涼しいけれど昨日あたりから真夏の暑さがぶり返してきました。2時過ぎに家をでて丸木美術館で山本さとしさんの歌の数々を聞いてきました。ぼくの耳が故障しているので歌のメッセージが良くは聞き取れないのが残念。不登校や引きこもりの人たちとの交流から生まれた歌が印象的です。会津の出身です。「フクシマの有る国で」に相当する歌を最後に披露されました。それがよく聞き取れなかったのです。アンコールは「ふるさと」です。僕もみなさんと一緒に歌いました。

 都幾川沿いに帰りました。川越についたのは7時過ぎ。もうかなり暗くなっていました。伊佐沼で打ち上げられる花火の音が9時前まで響いていました。団地の公園では神明町の盆踊り。僕は疲れはてて妻や娘の帰りを待たず白河夜船。

これはなんでしょう?7月の立山の旅の帰りに寄った魚津の奥地にあるといいます。僕はこういうものに興味があります。気付かなかったのが残念。いつか、訪ねることができるかな。「戦争」を避けるための農民たちの知恵の結晶です。興味があるかたは次のブログの説明板を読んでみてください。

 出典・円筒分水●http://h_taka.atw.ne.jp/tokasen/katakaigawa/katakaigawa02.html


立山行(下)

2011-07-27 07:39:10 | 出会いの旅

7月16日(土)晴 立山~有峰湖(冷タ谷遊歩道)~魚津埋没林博物館~Hサンルート

 ①有峰林道●http://www.pat.hi-ho.ne.jp/rmorita/driving/ryokouki/05arimine/arimine2.htm

 飛騨に抜ける道が今朝から通れるようになったという。そうはいってもそうするわけにはいかない。湖畔の散歩道を歩いた。有峰湖は北陸電力の生命線らしい。

 ②魚津埋没林博物館●http://inoues.net/museum/uozu.html

7月17日(日)晴 魚津~新潟県糸魚川市能生(白山神社)~長野県大町市・大町山荘(東京都教育公務員弘済会)

7月18日(月・祝)晴 大町~小川村~戸隠奥社~大町山荘

 ①小川村・アルプス展望広場●http://www.vill.ogawa.nagano.jp/kankou/alps.htm

 ②小川村薬師沢石張水路工http://kitafam.blog100.fc2.com/blog-entry-1056.html

   この村に住む方のブログでその存在を教えてもらったことがある「石張水路工」を訪ねた。今は遊歩道も作られていて地すべり地帯に生きる人々の用水確保のための苦労を知ることができる。

 

s-DSC_0554.jpg

             <これは昭和10年頃の石張水路工の写真>

  ③戸隠奥社参道●http://www.shinshu-tabi.com/photo/autumn032.html

 この杉並木はすごい。他にも森の散歩道がいくつもあり消夏にはもってこい。

7月19日(火)曇一時雨 大町~松本~佐久~川越


立山行(上)

2011-07-23 06:06:02 | 出会いの旅

7月12日(火)晴れ 川越~霧ヶ峰~八島湿原~浅間温泉(長野県松本市)・みやま荘(公立学校共済組合保養所)

 ① 霧ヶ峰・車山高原(ニッコウキスゲ)●http://www.kurumayama.com/new/news.htm

 ②八島湿原●http://nature2.jp/marsh/#weather

 

7月13日(水)晴れ  松本~野麦峠~高山~亀谷温泉(富山県立山町)・白樺ハイツ(国民宿舎)

 ①川浦・歴史の里「扇屋」●http://youkoso.city.matsumoto.nagano.jp/special1+index.id+85.htm

【写真】川浦歴史の里

 40年来の念願であった野麦峠をやっと訪ねることができた。信州側の川浦の「歴史の里」では製糸工女たちを泊めた旅人宿を見学した。ワラビの根っこからわらび粉を作るのは知っていたが根っこがこんなにも長く太いとは‥。藁(わら)のできないこの地方では粉を採ったあとのカスを利用して藁がわりにしたという。縄などを編んだ。これには驚いた。

 ②野麦峠

     「野麦峠」 ●http://www.geocities.jp/tokaigakko/page-74.nomugi.htm

 峠から見える乗鞍岳    

 参考資料「あゝ野麦峠」●http://www6.plala.or.jp/ebisunosato/nomugi.htm

7月14日(木)晴れ 亀谷温泉~館山駅~(ケーブル)美女平~立山・弥陀ヶ原・立山荘(国民宿舎)

チングルマがいたるところに群生している

 弥陀ヶ原の花●http://webryalbum.biglobe.ne.jp/myalbum/200530100485e807e8c87265d42ffab118c63f430/189719013149910131

立山・弥陀ヶ原 雲海立山・弥陀ヶ原から 雲海と夕暮れ!山の中に海が?(@_@。

 雲海(弥陀ヶ原)

7月15日(金)晴れ 弥陀ヶ原~室堂平~弥陀ヶ原

 みくりが池 正面が雄山(右肩)

今、現在の立山のライブ映像は~●http://www.murodou.co.jp/kozan/live.htm

 立山は古来信仰の山だった。それも「地獄」と関わりが深い。下北半島の恐山に似ているのかな。こちらはもう少し勉強してレポートします。


旅の終は雨

2011-07-19 20:24:45 | 出会いの旅

7月19日(火)曇のち雨

朝9時半ごろ大町山荘(長野県大町市)を出発。安曇野を南下して松本に向かう。北アルプスの山々は雲に覆われ始めて昨日までのようには見えない。

  大町山荘●http://nitkk.com/sub2.html

 松本からは国道254をひたすら走る。佐久をぬけ内山峠から下仁田に下る辺(あたり)は濃霧。吉井で昼食にしたあと本庄児玉から関越に乗る。途中で驟雨があった。帰宅は3時半ごろ。

 梅雨あけの好天に恵まれた立山の旅が無事終わって何よりだ。今、台風が室戸岬に近づいているという。川越でも夕方になって驟雨があった。

 留守中も多くの方が「川越だより」を覗いてくださってありがとうございます。明日から平常の発行を心がけます。

 

 

【川越だより】のアクセス・ランキング

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