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川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

「馬ぐに」日高  十勝の旅印象記①

2012-07-13 04:02:18 | 出会いの旅

7月3日(火)

 サンフラワーさっぽろ14時苫小牧着。国道235をひた走る。

日高は競走馬の産地だがここまでやっているのか!どこに行っても馬牧場。表街道だけではなくシャクシャイン像のある真歌の丘の裏側にも続いていてびっくり。新冠(にいかっぷ)には「サラブレッド銀座駐車公園」、ここで休む。文京OBの伊藤くんはどうしているのか?この辺りの牧場に就職したのではなかったか?

写真

 夕暮れになって静内の真歌の丘を32年ぶりに訪ねた。「アイヌ民俗資料館」「シャクシャイン記念館」などが出来ていて立派な公園に変貌していた。アイヌ新法の成立が追い風になったか。

 和人の侵略と戦ったシャクシャインの像の迫力はすごい。松浦武四郎の記念碑が新たに建てられていた。この人の足跡にこのあとも何回か出会ったが改めて深い敬意を感じた。

 

  シャクシャインが戦った真歌の丘からの眺め。

 

三石の「蔵三」は快適だった。温泉に入りながら漁師さんたちのタコ漁の話を聞いた。枝縄が数十Mにも達する延縄漁法だという。

参考●シャクシャイン記念館http://shinhidaka.hokkai.jp/kankou/annai/rekisi/tanbou.html

 


十勝の旅終わる

2012-07-11 21:11:25 | 出会いの旅

7月11日(水)☼

 北海道十勝の旅を無事終えて夕方7時過ぎ無事川越につきました。Facebookではたまに写真を送りましたがブログは思うようには発信できずごめんなさい。

 

旅の終りに(旧)赤平炭鉱のズリ山に登りました。777段の階段を寄進者の名前を読みながら一歩一歩踏みしめて登りました。各地に離散した赤平鉱出身者たちの故郷への思いが伝わってくるようです。頂上からは空知川と赤平・砂川・芦別方面が見晴らせました。

 旧友たちとの再会、小山君の故郷・旧歌志内炭鉱訪問など楽しさいっぱいの充実した10日間でした。旅のメモはおいおい書いていくことにします。留守中も「川越だより」を覗いていただいてありがとうございます。あすから旧状に復します。

 

 


十勝岳

2012-07-09 08:04:09 | 出会いの旅

7月9日(月)☁

 十勝池田の友人たちと3日間を過ごして、昨日十勝岳温泉にきました。望岳台からは十勝岳を望むことができました。

写真: 帯広市真鍋庭園北山夫妻

写真は僕の「農業の先生」北山さんご夫妻です。今日は空知地方の旧炭鉱地帯を訪ねます。

友人たちと再会して元気に旅を続けています。


10年ぶり 十勝の旅

2012-07-02 05:14:32 | 出会いの旅

今日はこれから北海道の旅に出発です。だいたいの旅程です。 

7月2日(月) 川越=大洗  大洗港18時45分発(「さんふらわあさっぽろ」泊)

   3日(火) 13時30分 苫小牧港着 苫小牧~三石(三石温泉「蔵三」泊)

   4日(水) 三石~襟裳岬~広尾(知友訪問)(「三親牧場」泊)

 三親牧場

 1980年夏、池袋商業高校の生徒6名と私たちの家族が2週間ほど世話になった牧場です。泊めてもらうのは32年ぶりです。

学園闘争の後、北海道に「入植」したゴリさん・もやしさん夫婦の人生の話が聞けるでしょう。

三親牧場●http://www.do-plan.co.jp/sansin/contact.html

   5日(木) 広尾~池田(知友訪問)~池田町大森(「北物語」泊) 

   6日(金) 大森滞在

   7日(土) 大森滞在

池田町に世話になるのは1962年以来8回目です。50年も付き合ってもらいました。73・4・5年は池商の生徒たちが民泊して農村の生活を体験させてもらいました。友人たちは皆同世代。農業からは引退したようです。

 

   8日(日) 大森~帯広~十勝岳温泉(「ヒュッテ バーデンかみふらの」泊)

90年に訪ねたが霧で何も見えなかった十勝岳、今回は大丈夫かな?「噴火か」のニュースがありました。

十勝岳火口で硫黄燃焼 120人避難 「噴火兆候なし」

(07/01 09:39、07/01 23:26 更新)

 
噴煙の下が明るく見える十勝岳の大正火口。高温の火山ガスで火口周辺の硫黄が燃えたとみられる=1日午後8時15分、上川管内美瑛町白金温泉(15秒露光、伊丹恒撮影)

噴煙の下が明るく見える十勝岳の大正火口。高温の火山ガスで火口周辺の硫黄が燃えたとみられる=1日午後8時15分、上川管内美瑛町白金温泉(15秒露光、伊丹恒撮影)

 【上富良野、美瑛】上川管内上富良野町や美瑛町、十勝管内新得町にまたがる十勝岳20+ 件(2077メートル)で、6月30日から1日未明にかけて、山頂近くの大正火口が明るく見える現象が確認された。札幌管区気象台は、火口付近の硫黄が燃えたことが原因と推定、「火山性地震や地殻変動など噴火の兆候は確認されておらず、噴火ではない」としているが、十勝岳20+ 件中腹の宿泊施設の客や従業員ら約120人が一時避難した。

 旭川地方気象台によると、30日午後7時35分ごろから1日未明にかけ、気象庁が美瑛町白金に設置した高感度カメラで、火口付近が明るく見える現象を確認した。高温の火山ガスの量が増えて火口周囲の硫黄が燃えたとみられる。<北海道新聞7月2日朝刊掲載>

   9日(月) 十勝岳温泉~歌志内(「チロルの湯」泊)

歌志内は大島でぼくの生徒だった小山兄弟の故郷です。1960年代の初め炭鉱の閉山の時期に移住してきました。彼らが小中学時代までを過ごしたふるさとの町を探索します。人口が日本最小の「市」です。炭鉱町であった証拠は残っているのでしょうか。

   10日(火) 歌志内=苫小牧 苫小牧港18時45分発(「さんふらわあふらの」泊)

   11日(水) 14時 大洗港着 大洗=川越

北の大自然の魅力は言うまでもありませんが付き合ってくれた先輩・友人たちとゆっくり過ごせることが何よりです。

全行程を妻が運転してくれます。条件が整えば「十勝だより」を出せるのですが‥。


無事帰着

2012-06-17 21:29:19 | 出会いの旅

「長野県の満州移民~三つの大日向をたどる」小旅行から無事帰着しました。夕方7時前。「家園」で参加者4人が夕食。無事目的を達成出来て何よりです。他日レポートします。

土曜日に軽井沢の大日向開拓記念館でとった写真です。「三つの大日向」を生きた坂本さんご夫妻がお話を聞かせてくれました。

写真: 軽井沢大日向開拓記念館


北の友人たち

2012-06-10 04:36:52 | 出会いの旅

6月9日(土)☂

 肌寒い雨の一日です。「入梅」か、と伝えられています。

一日かけて北海道十勝池田町大森への旅の計画を立てました。私たちにとって今年の夏のメイン行事です。

大森訪問は10年ぶり。1962年初訪問以来50年になります。

 (池田の市街地 遠くに利別川・十勝川の流れ)

7月2日(月) 川越=大洗  大洗港18時45分発(「さんふらわあさっぽろ」泊)

   3日(火) 13時30分 苫小牧港着 苫小牧~三石(三石温泉「蔵三」泊)

   4日(水) 三石~襟裳岬~広尾(知友訪問)(「H大宝」泊)

   5日(木) 広尾~池田(知友訪問)~池田町大森(「北物語」泊) 

   6日(金) 大森滞在

   7日(土) 大森滞在

   8日(日) 大森~帯広~十勝岳温泉(「ヒュッテ バーデンかみふらの泊)

   9日(月) 十勝岳温泉~歌志内(「チロルの湯」泊)

   10日(火) 歌志内=苫小牧 苫小牧港18時45分発(「さんふらわあふらの」泊)

   11日(水) 14時 大洗港着 大洗=川越

船・ホテルの予約が全て済んでから大森に電話しました。僕の農業の先生である正樹さんは元気いっぱいで「待っているよ」。農業からは引退してグランドゴルフの会長さん。

去年あたりから体調の良くないという驍(たかし)さんはどうかな。利別川の岸辺の散歩が出来ているといいなあ。

50年間も折りに触れて付き合ってくれた友人たちの顔が浮かびます。昔、一緒に世話になった池商OB・OGが同道してくれると言うことなしだが‥。

 

 


北上川河口風景

2012-06-02 08:12:15 | 出会いの旅

東北の大河・北上川の河口風景を見るのが宿願のひとつでした。被災地を訪ねる旅の途中で実現しました。

石巻方面を洪水から守るために1911年からの大工事で下流部は東流するようになったようです。一番下流の橋が新北上大橋です。あの大川小学校は右岸の橋のたもとにあります。

写真は左岸の出口付近(石巻市北上町白浜付近)でとったものです。集落という集落が津波の被害で廃墟と化したあたりにしては「平和」そのものです。志津川(南三陸町)方面に急ぐ途中で素通り。いつかゆっくり訪ねたいものです。

 

 

 この辺りの津波被害●http://www.youtube.com/watch?v=CQvLygKcc_k


富士山とコノハナサクヤ姫

2012-05-19 05:06:48 | 出会いの旅

 昨夜、妻と娘は遅くまで旅立ちの支度で大わらわでした。妻は今日からの旅のごちそうづくり。娘は新居に送る荷造り。10時半頃に迎えの三河の君が到着。乾杯して僕はおやすみ。

 今日、娘は荷物を山ほど積んだワゴンで三河に向かいます。背の君と一緒ですから心強いと思います。

 92年4月、息子が就職して家を離れ夫婦だけの生活が始まりました。94年暮れに北海道での学生生活を切り上げて娘が帰ってきてからは三人になりました。今日からは18年ぶりにまた私たち夫婦だけの生活になります。

 別れの朝ですが出発の朝でもあります。娘たち夫婦の前途に幸あれと祈るばかりです。

 

 私たちは今朝、6時に川越を出発、東京の日暮里でみなさんを迎えて富士山麓の河口湖を目指します。IC近くのビジターセンターで富士山のお勉強をしたあと浅間(せんげん)神社にお参りします。

 浅間神社の本部?は静岡県の富士宮にある富士山本宮浅間大社で冨士山頂に奥宮があります。山梨県の富士吉田に鎮座しているのは「北口本宮冨士浅間神社」です。

 

 富士山麓は度々訪れてもこれらのお宮にお参りしたのは去年が初めてです。

浅間神社に祀られているのはコノハナサクヤ姫という神様です。

 富士山は古来信仰の対象でしたが庶民が旅をしてお参りするようになったのは江戸時代になってからのようです。元々は山そのものが神様だったと考えられますが、この頃から祭神はコノハナサクヤ姫になったようです。天皇家の祖先神(天照大神)に連なる神様ですから国学の興隆と関わっているのかな?

 富士山とコノハナサクヤ姫との関わりについて書いたブログがあります。僕のように神話の世界に弱い人間にわかりやすい文章です。ひとつの説として読めばいいのではないかと思います。興味と暇のある方はどうぞ。

 コノハナサクヤ姫●http://www.e-kakutani.com/?mode=f7

川越にも浅間神社はあります。また、周辺のあちこちに富士塚というものがあります。富士山までは行けない人々のために小さな塚を作って浅間様を祀ったのです。江戸時代の冨士信仰が人々の生活に深く関わっていたことが分かります。自転車の散歩をしていると否応なしに富士塚にいきあたるくらいです。

 埼玉・富士塚●http://www7b.biglobe.ne.jp/~fujisan60679/saitama.html

田子山富士塚

(志木の田子山富士塚)

 昔、関東平野のどこからでも富士山はよく見えたし、時々は噴火して恐ろしい災害をもたらしました。今よりもはるかに富士山は人々の意識の中にもあったのでしょう。伊勢講・大山講などと並んで富士講も盛んだったようです。

今ではたった2時間のバスの旅でお参りできます。信仰心があるのかどうかはよくわかりませんが中国から帰ってきた残留孤児とその家族の人たちはお寺詣りやお宮参りが結構好きなようです。

 僕の旅は昔から神社や寺院めぐりといっていいぐらいですが、信仰心が篤かったためではありません。それが年をとるにつれて少しずつ「祈る」という気分に変わり始めて来たようです。

 

 

 

 

 

 


ふじの山

2012-05-17 05:20:30 | 出会いの旅

富士山麓への移動教室がいよいよ明後日に迫ってきました。天気がよさそうなので一安心。今回の参加者は49人、中国残留日本人孤児とその配偶者が大半で、超高齢者集団です。初めて参加する人が多く、手続きが完了するまでに時間が掛かりました。今までの参加者が知友を誘ってくれるのですから嬉しい限りですが、郵便振替などの経験が無い方が多いのです。

 昨日は保険会社への名簿提出の後、名前プレートの作成、部屋割りなどをしたあと資料作りに取り掛かりました。

恒例のテーマソングは

「ふじの山」作詞 巌谷小波 作曲 ?(明治44年文部省唱歌 小3)

一、
  あたまを雲の上に出し、
  四方の山を見おろして、
  かみなりさまを下に聞く、
  富士は日本一の山。
二、
  青空高くそびえ立ち、
  からだに雪の着物着て、
  霞のすそを遠く曳く、
  富士は日本一の山。

曲は→ ●http://www.youtube.com/watch?v=g1Ehepc4nU8

僕は富士山というと「背くらべ」の方が好きなんだけどちょっと難しいような気がする。粽・羽織の紐‥。同世代といってもほとんどが異郷で生まれ育った方々なのです。

 

「背(せい)くらべ」

海野厚作詞・中山晋平作曲

 

(はしら)のきずは おととしの
五月五日の 背くらべ
(ちまき)たべたべ 兄さんが
(はか)ってくれた 背のたけ
きのうくらべりゃ 何(なん)のこと
やっと羽織(はおり)の 紐(ひも)のたけ

柱に凭(もた)れりゃ すぐ見える
遠いお山も 背くらべ
雲の上まで 顔だして
てんでに背伸(せのび) していても
雪の帽子(ぼうし)を ぬいでさえ
一はやっぱり 富士の山

 

古賀さと子の歌●http://www.youtube.com/watch?v=sHoit9X3nio&feature=related

 大島高校が初任校だったので土佐生まれのぼくも富士山には縁ができた。学校の教室からも海を隔てた秀峰が朝に夕に見えたのです。一回だけ登りました。

 1966年夏、学校の行事「富士登山」。信州上田の出身の森さんがリーダーになって生徒たちを連れていった。山中湖畔にキャンプを張って、5合目までバスで行き、夜9時ころから登り始めたのではなかったか。御来光を拝めた記憶はないが頂上はただただ寒かった。

 「引率」に加えてもらったのだろうがついて行くのが精一杯。辛くて「二度とくるものか」と思ったものだ。須走口へだったか、「砂走り」だけは開放感があった。湖畔のキャンプに到着するや眠り込んでしまった。忙しく立ち働く同僚や生徒たちにはこっそり隠れて‥。

そんな恥ずかしい記憶があります。そんな僕でも生涯にただ一度「日本一」の山に登ることは出来たのです。森さんたち同僚のおかげです。

 「砂走り」●http://www.youtube.com/watch?v=_JvQJ9a_jyE&feature=related

 

 


被災地を訪ねる旅・計画

2012-05-16 05:47:18 | 出会いの旅

月15日(火)☂☁

 寝たり起きたりで門外不出。娘の勤務が今日で終了。知人から贈られた豪華な花がワニの花子の前に飾られた。コデマリ・ユリ・‥。こけしと並んで夕食の部屋が華やいでいる。 

 東日本大震災の被災地を訪ねる旅の概要が決まり、旅館などの手配が終わった。

5月22日(火) 大宮=仙台 レンタカーで名取市・仙台市南部の海岸地帯を訪ねる。仙台の都市型H泊。

 05年3月、阿武隈川の河口・名取川の河口から貞山堀に沿った旅をした。

 「荒浜の壊滅を聞く」川越だより●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/28a6a7cb2acb71570319794793e23595

 

23日(水) 石巻市の各地。石巻郊外に住む慶子さん(池袋商業86年卒)が同行してくれる、とか。女川温泉「華夕美」泊。

 09年10月、息子夫婦と訪ねた。

 「石巻・日和山公園」川越だより●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/def419571d917a98a953efb6e01c08fe

 牡鹿半島・鮎川にも行けるか?96年以来。

 「金華山・鮎川・石巻」地震と津波の記録●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/4b23ecfd18c83199528c451234411f0a

 

24日(木) 南三陸町・気仙沼市・陸前高田市。「一関簡保の宿」泊。

 73年3月、義弟と二人でこの地方の朝鮮人強制労働による鉄道建設の現場を訪ねた。今回はいけないが宮古の北の田老では津波の怖さを知った。39年前のことだ。

25日(金) 栗駒高原  仙台=大宮

 ここは08年の地震でやられた。復旧は進んだか。


一度は訪ねて何かしら愛着のある地の人々が被災した。足でまといにならないように被災地の様子をこの目で見ておきたい。慶子さんに会えるのが楽しみだ。


 

 


富士ケ嶺開拓地の熊谷義行さん 甲信の旅(上)

2012-05-02 08:51:43 | 出会いの旅

5月1日(火)☁☂

 ゴールデンな日々の疲れか一日、寝たり起きたり。19日からの移動教室の名簿づくり。ほとんどが中国残留孤児とその家族。

45名の方の氏名・住所・電話番号・生年月日をパソコンに打ち込む。これが半日仕事。

高速バスの事故のニュースは他人事ではない。僕もバス旅行の主催者の代表だ。バス会社は歩いても行けるところで多少気心はしれている。運転手さんたちも安全運転に徹している。念の為に旅行傷害保険にはいつも入る。一人300円の掛け金。

 僕たちの旅行はどんな場合でも夜間の走行はしない。夕方4時前には宿に入るを原則にしている。

移動教室下見を兼ねた甲信旅行のメモ。

 4月25日(水)☼

川越8時~河口湖。宿舎となる法政大学セミナーハウスを下見の後「西湖いやしの里・根場」で昼食。花盛り。

午後は静岡県境の富士ケ嶺地区を訪ねる。ここは第二次大戦後の開拓地で満州から引き揚げてきた長野県人たちも多数入植したところ。広大な酪農地帯。

ファイル:Fujikawaguchiko Mt.Fuji From Fujigane Highland 1.JPG

 一時期、オウム真理教のサティアンの所在地として有名になった。今は「上九一色村」はなくなりこの地区は冨士河口湖町に編入された。農協の方の案内で熊谷義行さん喜美さんご夫妻にお会いすることができた。

 熊谷さんは長野県阿智村の出身で満州から引き揚げてきたあとここに入植した。開拓の苦労は想像に絶するが80を過ぎた今も元気そのものに見える。お別れの時に握手してもらった。力勁さが伝わってきて嬉しい。当日は開拓記念碑の前でお話が聞けるという。

 富士山の裾野にもこのような開拓地があることを僕は知らなかった。この日同道してくれた法政大学の高柳さんに教えてもらった。那須高原・北軽井沢と満州から引き揚げてきた人たちの再入植の地を訪ねたがここも高冷の地である。今でこそ有数の酪農地帯だがここに来るまでには並大抵の苦労ではなかっただろう。

 4時ごろに多忙な高柳さんを富士山駅に見送った。富士吉田駅が改称したのだという。

 


冬から初夏へ

2012-04-28 16:51:06 | 出会いの旅

 

4月28日(土)☼ 

 「きいちご移動教室」の下見を兼ねた甲信の旅を無事終えて、4時過ぎ、川越に帰着しました。同道してくれた勝義さん、お疲れ様。

今日は一日で冬から初夏への季節の変化を楽しみました。

●長野県木島平村馬曲(まぐせ)温泉~志賀草津高原ルート~渋川・伊香保~(関越)~川越

 馬ぐせ温泉 桜のつぼみはまだ硬い。周辺の山肌にまだら雪。(初春?)

 木島平村 花盛り(春)

 志賀高原  国道292が25日に開通したばかり。スキーを楽しむ人々。高さ数Mの雪の壁。北信五岳などを遠望。(冬)

写真

出典●http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000001204260003

 草津町(群馬県) 25度以上。道の駅で更衣。(初夏)

富士河口湖町(山梨県)・小布施町・木島平村(長野県)と訪ねて、新たに交友を結んだり、旧交を温める旅となりました。

 


甲信に春は来たか

2012-04-23 07:15:50 | 出会いの旅

25日からきいちご移動教室の下見を兼ねた甲信への小旅行をすることになりました。いつもどおり、妻の運転ですが勝義さんが同道してくれます。25日だけは大学の歴史の先生の高柳さんも加わってくれます。久しぶりに賑やかな一日になりそうです。

 4月25日(水) 川越~冨士河口湖 (冨士浅間神社 富士が嶺開拓団 法政大学富士山セミナーハウスなど下見)

      本番は5月19日と20日。その頃の桜の名所はどこかな?

           15時30分 高柳さんを富士山駅に送る
            ニューてんつく旅館一望亭(泊)    (富士吉田市の高台にある)

    26日(木) 長野県小布施町見学ほか  小布施温泉アケビの湯(泊)

       僕の生徒だった佐和子ちゃんのおばあちゃんを小布施に訪ねたのが96年だったか。それ以来、久保さんとは「親戚づきあい」をさせてもらっている。岩松院のおばあちゃんのお墓参りも出来るかな。

    27日(金)  木島平村   馬曲温泉望郷の湯(泊)

       数年前移動教室で出会った高山すみ子さんを訪ねる。二人目のひ孫の誕生が近いとか。生誕の地・福島の阿弥陀堂や菜の花 畑にもけるだろう。



    28日(土) 北信濃あちこち    石打=(関越)=川越

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きいちご移動教室へのお誘い

2012-04-17 08:40:51 | 出会いの旅

4月17日(火)☁

わが一応庭のコリンゴが花を咲かせ始めました。新河岸川の桜はそろそろおしまいです。川面が花びらで真っ白です。

昨日は「きいちご移動教室」の参加申し込みの締切日でした。参加の連絡は43名でしたが、学校の運動会に重なって6名の取消がありました。どなたもとても残念がっていました。

定員は45名です。(補助席を入れると54名)。あと8名程度余裕があります。

会員になっていない方でも趣旨を理解して下さる方ならどなたでも大歓迎です。よろしかったらぜひご参加ください。

中国残留日本人孤児とその家族、脱北帰国者などの方々に日本の自然と人に親しんでもらうのが目的です。

HR担任は鈴木啓介ですが音楽・歴史などの講師は一流です。

いろいろな事情で大型バスでの移動教室はこれが最後になりそうです。皆さん、どうかよろしく。

「ちょっぴり学んで楽しく交流」。どういう出会いがあるかな。僕はもうワクワクしています。

 

 <第14 回きいちご移動教室>

富士山と湖と桜と…山梨・富士山麓に遅い春を訪ねて
 

例年になく寒い日々が続きましたがお変わりありませんか。春を迎える喜びを分かち合う移動
教室のお知らせです。
 今回は誰もが知っている富士山。標高1100mの青木ケ原に位置する法政大学富士セミナーハ
ウスに泊めてもらって「日本一」のこの山の魅力を堪能します。
 温泉と言うわけにはいきませんが誰もが学生気分に浸ることが出来るでしょう。

 コノハナサクヤ姫とは? 富士ヶ嶺開拓団とは?
 

 きいちご基金が底を突いてきました。「きいちご移動教室」もこれが最終回になるかもしれま
せん。ご家族・友人など誘い合って楽しい思い出を作ってください。

①目的地  山梨県富士山麓
②宿舎  法政大学富士セミナーハウス(山梨県鳴沢村 電話 0555-85-2773)

富士セミナーハウス
③日程  2012・5・19(土)~20(日)
④集合時間 19日(土)7時50分(バスは定刻8時に発車します)
⑤集合場所 JR日暮里(にっぽり)駅東口広場(JR日暮里駅北口改札を出て右に行くと東口広場がありま
す)
⑥参加費(旅行傷害保険料を含む)
    大人(高校生以上)5300円 小学生・中学生3300円 幼児(3歳以上)1300円
⑦必需携帯物品 19日の昼食(弁当) 寝間着 タオル 洗面具 レジャーシート 雨具
⑧服装 散歩に適した服装と靴
⑨参加申し込み
  ○申込期限 
  ○申込方法 電話  Eメール FAXなどで鈴木啓介まで申し込んでください。
        申し込みは家族単位で参加者の氏名、生年月日を明記し、代表者の住所、電話番号、
        メールアドレスを知らせてください。
  ○これまで移動教室に参加したことがある人は氏名だけで結構です。
  ○FAXで申し込んだ人は必ず、電話で届いたかどうか再確認をしてください。
  ○費用送金  申し込みとともに費用を郵便振り込みで送金してください。
     郵便振替口座 00150-6-483807 きいちご多文化共生基金
  〇取消 申し込み、費用払込後、こちらから特に連絡しない限り、申し込みを了承したこととします。
      何らかの事情で参加を取り消す場合は早めに連絡してください。

  
  主催 きいちご多文化共生基金

  電話(FAX)049-224-4646 Eメール keisukelap@yahoo.co.jp


梶村秀樹さんの本貫の地 

2012-04-14 14:11:59 | 出会いの旅

梶村秀樹さんは神奈川大学の朝鮮史の先生ですが、在日コリアンに対する民族差別と闘う運動にその生涯を捧げたと言ってもよい方です。70年代から80年代まで私たちもその謦咳に接しました。妻の朝鮮語の先生でもあります。89年5月、54歳で急逝されました。

お墓が三河の鳳来寺山の近くだと聞いていました。いつかお訪ねしようと思っているうちに20年以上が経ってしまいました。考えには違いがありましたが、尊敬する兄のような存在だったのです。

4月10日、鳳来寺山を訪ねる機会に連れていってもらいました。

お墓は新城市の長篠城駅に近い「鳶(とび)ヶ巣山」にのぼる道沿いにあると聞いていました。頼りにするのは下の地図だけです。

鳶ヶ巣山砦(地図の右下)

長篠の戦い史跡めぐり案内図

梶村さん一族のお墓は三箇所ぐらいあり、それは比較的容易に見つかったのですが 「秀樹建之」の文字はどうしても目にはいりません。「梶村さん」と声をだしてみても返事はありません。今回はここまでかと諦めて、山の上の古戦場碑に行ってみました。

ここは武田勝頼軍と徳川家康・織田信長連合軍が戦った有名な古戦場跡だったのです。

帰途についてまもなく、一台の軽トラが道を塞いでいます。作業中の方にお会いしてびっくり。梶村昌義さん。秀樹さんのふた従弟に当たる方でした。奇縁に感謝してお墓に案内してもらいます。

 秀樹さんの名が刻まれた墓碑は先刻探し当てた墓地の一角にありました。隣の墓碑に隠れて名前を見つけることができなかったのです。お参りをしたあと昌義さんから秀樹さんに連なる一族の話を聞かせてもらいました。

秀樹さんには会ったことがないが尊敬する兄貴分で、東京での葬式には参加されたといいます。秀樹さんのお母さんが亡くなられ、この地に埋葬されたことは子ども心に刻まれているそうです。

墓地近くから見える風景です。 

手前の山下の乗本というところが梶村家のルーツの地で遠くに見える医王寺が菩提寺です。

 鳶の巣砦からの眺望

やりかけていた仕事は中断して、昌義さんが梶村家跡や医王寺を案内してくれます。

秀樹さんのお父さんの生家あとは更地で何もありません。遠くに鳳来寺山が見えます。東京生まれで父の任地を転々とした梶村さんはここには住んだことはなさそうです。それでも晩年にここに塾のようなものを建てる話があったとか。子どもの時になくなったお母さんの眠るルーツの地に愛着があったのでしょうか。

やや離れた医王寺は勝頼の陣地址でよく知られたところのようです。昌義さんが位牌堂の中まで案内してくれます。ぎっしり並んだ位牌群の上の方に梶村一家の位牌が安置されています。

 医王寺●http://www.net-plaza.org/KANKO/shinshiro/iouji.html

梶村さんが一族のルーツの地の人々と親交を結ぶ機会はそれほどはなかったようです。それでもいまこうして人々のなかに帰って安らぎの時を迎えているのか、と思ったことです。

昌義さんは定年後、ふるさとに帰られて晴耕雨読の生活のようです。お会いしたとたん、どこか梶村さんに似た人だなあと思ったものです。頭の動きの速い方です。鳳来寺山にゆく道まで誘導してくれました。