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川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

伊勢路のたびに出発

2012-10-14 04:58:23 | 出会いの旅

10月14日(日)

 今日はこれから東京駅に行って伊勢路の旅に発ちます。

① 10月14日(日)東京=豊橋~田原~伊良湖崎(伊良湖ビューH泊)

 豊橋でレンタカーを借り、妻が運転するのはいつものとおりです。

(伊良湖崎)私たちは娘たちには会わず、田原を見学して伊良湖崎に行きます。

②  15日(月)伊良湖崎~鳥羽~伊勢(山田館泊)

 息子夫婦と半日を参宮などですごします。神嘗祭が始まる日だとか。

③  16日(火)伊勢~伊雑宮~鳥羽(ホテル〆湯楽々泊)

④  17日(水)鳥羽~松阪~津(Hプラザ洞津泊)

⑤  18日(木)津~鈴鹿~湯の山温泉(ウェルネス鈴鹿路泊)

⑥  19日(金)湯の山温泉~豊橋=東京

 息子夫婦が愛知に嫁した姉夫婦と交流がてら伊勢参宮をするというので、わたしたちも伊勢路でゆっくりすることにしました。

 何度か訪ねたり通ったりしたことはあってもゆっくりすごしたことはありません。伊勢神宮をはじめ古代国家形成期の神話や伝説に富む地域ですから妻はとても楽しみにしています。健忘症の僕には古代史は?ですが。

 いつものとおり、宿が決まっているだけです。

条件が許せば「伊勢路だより」をお届けします。


「安乗の稚児」 伊良子清白

2012-09-23 04:24:52 | 出会いの旅

9月23日(日)

 雨の朝です。昨日あたりから急激な気温の変化で体調がいまひとつです。例年のことです。天候の回復とともに秋の気に慣れてきます。

伊良子清白という人に「安乗の稚児」という詩があります。5年ほど前に知っておぼろげに記憶にあります。100年以上も前の情景ですがどこか気に入っているのです。

 三重県安乗崎に詩碑があるといいます。「志摩の果て」で伊勢路ではありませんが10月に連れて行ってもらえそうです。

よろしかったら声に出して読んでみてください。

  

 

【安乗の稚児】  伊良子清白

志摩の果(はて)安乗の小村(こむら)
早手風(はやてかぜ)岩をどよもし
柳道(やなぎみち)木々を根こじて
虚空(みそら)飛ぶ断(ちぎ)れの細葉(ほそば)

水底(みなぞこ)の泥を逆上(さかあ)
かきにごす海の病(いたずき)
そそりたつ波の大鋸(おおのこ)
(よ)げとこそ船をまつらめ

とある家(や)に飯蒸(いいむせ)かへり
(お)もあらず女(め)も出で行きて
稚子ひとり小籠(こかご)に座り
ほゝゑみて海に対(むか)へり

荒壁(あらかべ)の小家(こいえ)一村(ひとむら)
こだまする心と心
稚子ひとり恐怖(おそれ)をしらず
ほゝゑみて海に対(むか)へり

いみじくも貴(たふと)き景色(けしき)
今もなほ胸にぞ跳(おど)
(わか)くして人と行きたる
志摩の果安乗の小村                

 


 

 伊良子清白は鳥取の人ですが晩年は鳥羽市小浜で医者をしていたようです。わたしたちが泊まる宿「ホテル〆湯楽々」はまさにその小浜にあります。高校の「国語」(日本語)」の教科書でであった詩人と半世紀ぶりに会うような縁を感じます。

 ここにも詩碑があるそうです。医者をしていた家は今は鳥羽駅の近くに移築され記念館となっているとか。

3.JPG 

出典●http://www.wwalnuts.jp/fmn/?cat=6 

関連「川越だより」秋和の里●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/e15f9c7470c3b8b68cd6bf0c0264019c 

                  ●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/187d55f7d18cbab783135684e187607d

       


秋は伊勢路の旅

2012-09-21 07:01:19 | 出会いの旅

9月20日(木)晴れ

 日差しの強い一日、でも夏もそろそろ終わりかな。

旅行社への振込みを済ませたので「伊勢の旅」の日程が決まりました。

① 10月14日(日)東京=豊橋~田原~伊良湖崎(伊良湖ビューH泊)

 豊橋でレンタカーを借り、妻が運転するのはいつものとおりです。

②  15日(月)伊良湖崎~鳥羽~伊勢(山田館泊)

 息子夫婦と半日を参宮などですごします。

③  16日(火)伊勢~伊雑宮~鳥羽(ホテル〆湯楽々泊)

④  17日(水)鳥羽~松阪~津(Hプラザ洞津泊)

⑤  18日(木)津~鈴鹿~湯の山温泉(ウェルネス鈴鹿路泊)

⑥  19日(金)湯の山温泉~豊橋=東京

 息子が愛知に嫁した姉夫婦と交流がてら伊勢参宮をするというので、わたしたちも伊勢路でゆっくりすることにしました。

 何度か訪ねたり通ったりしたことはあってもゆっくりすごしたことはありません。伊勢神宮をはじめ古代国家形成期の神話や伝説に富む地域ですから妻はとても楽しみにしています。健忘症の僕には古代史は?ですが、瞬間的には結構楽しめます。

 いつものとおり、宿が決まっているだけです。ここに寄ったらいいよ、などと教えてくださる方が居られたら大歓迎です。

 

 


常磐炭鉱を知る

2012-09-10 05:49:59 | 出会いの旅

いわき市といえば「小名浜港」と「常磐炭鉱」というイメージがありますが、僕は今回のたびで初めて少し「常磐炭鉱」について知ることになりました。僕が知ったことを箇条書きにしてみます。

●「常磐炭田」 筑豊炭田・石狩炭田などと並んで近代日本のエネルギーを支えた常磐炭田というのは茨城県(常陸)の北部から福島県(磐城)の浜どおりにかけて南北に細長く点在した炭鉱地帯のこと。石炭の質はよくなかったけれど、京浜工業地帯に近かったため日本の近代化に大きく貢献した。1960年代以降はほとんどが閉山となったが、この地方には火力・原子力発電所が作られ、高度成長期の日本経済の原動力となった。今も昔も首都圏のエネルギー供給源であったということだ。

●「常磐炭鉱」 いわき市の湯本地区や内郷地区に炭鉱を持っていた石炭会社の名前。石炭から撤退したあと「常磐興産」と社名を変え、観光産業に転換した。

●常磐炭鉱(湯本地区)の跡に作られたのが「いわき石炭・化石館」(「ほるる」)。ここに行けば常磐炭田のヤマ・ヤマのことがよく理解できるようになっている。模擬坑道は体験するに値する。実際の坑口の一部が見られる。

  ほるる●http://www.sekitankasekikan.or.jp/

●近年常磐炭田の炭鉱遺産は「近代化産業遺産」(ヘリテージ)に指定され、研究・保存が進むとともに、これらを巡るツアーも気軽にできるようになった。次のHPが役立つ。

Photo

   常磐炭田近代化産業遺産●http://www.pref.fukushima.jp/bunka/kindai/page_03.html

   いわきヘリテージツーリズム協議会●http://www.i-heritage.com/heritage.html

●「炭鉱節」といえば九州の三池炭鉱だが、ここには「常磐炭鉱節」がある。そういえばあちこちの盆踊りで三橋美智也の歌声が響いていたなあ。

  三橋美智也・「常磐炭坑節」●http://www.youtube.com/watch?NR=1&feature=endscreen&v=JlBx7PpJw6s

11月の移動教室では常磐炭鉱の炭住跡に建つ「いわきゆったり館」に泊まって温泉でゆったりします。二日目の午前中には近くの「ほるる」を訪ねる予定です。


いわき七浜 大津波から一年半

2012-09-08 03:35:02 | 出会いの旅

いわき市の海岸60Kmに連なる浦々をいわき七浜というそうです。勿来(なこそ)・小名浜・永崎・豊間・薄磯・四倉(よつくら)・久之浜(ひさのはま)。南から北へと走ってみました。美しい海岸風景が続きます。大津波による被害は「豊間」「薄磯」が特に甚大で村そのものが壊滅した感じです。

「薄磯」 震災前に塩屋崎灯台から北側を眺めた景観です。薄磯の集落が見えます。この村が忽然として消えてしまった感じです。

ファイル:Shioya kitagawa.jpg

 廃墟の様子です。家々の礎石だけが残っています。七浜で400人以上の方が犠牲になったということです。

 

 

塩屋崎の美空ひばりの歌碑は健在で「みだれ髪」を聞くことができます。灯台への道が損傷をしたそうで登ることはできません。土産店の主人が震災の写真展をやっています。丁寧に説明してくれます。

小名浜港のアクアマリン(水族館)、らら・ミュウ(観光物産センター)は復旧・営業中です。三崎公園の潮見台は復旧工事中で11月には海の景観を楽しめるということです。四倉の道の駅も再開しました。

 

 


白水阿弥陀堂

2012-09-07 08:15:25 | 出会いの旅

9月6日(木)曇りのち雨

常磐炭鉱発祥の地のすぐ近くに白水阿弥陀堂がありました。

 

宇治平等院や金色堂を思い起こさせる雰囲気です。岩城氏に嫁いだ清衡の娘が夫の死後出家してその菩提を弔ったところとか。

炭田のど真ん中に極楽浄土が出現した感じです。

下見の旅の終わりは弥勒沢石炭資料館。渡辺さんという方が個人で作った資料館です。石炭層の露頭が 見られます。炭鉱跡をいくつか見学したことがありますが実際に炭層を見たのは初めてです。近くに常磐炭田を発見した片寄平蔵の碑があります。

矢郷 磐城神奈川炭鉱 山神坑

暑くなってきたので 阿武隈山地を縦断して棚倉に出ました。白河からの東北道は驟雨、前が見えなくなるぐらいです。


草野心平の生家

2012-09-06 04:51:40 | 出会いの旅

9月5日(水)晴れ

性源寺で常磐炭鉱朝鮮人犠牲者慰霊碑を見学したあと郊外の小川町に行く。

草野心平の記念文学館や生家がある。僕には馴染みのない人だが生活のために居酒屋「火の車」やバー「学校」をやっていたという。

文学館に居酒屋が再現されていて面白い。

生家が印象ふかい。故郷を心から誇りにおもった人で「小川の歌」は今もこのあたりの人の愛唱歌らしい。

校歌を沢山つくったが西日本の学校は少ない。高知県室戸高校と中村高校の名があった。どういう縁があったのかな。

 


ゆったり館

2012-09-05 05:59:50 | 出会いの旅

いわき市のゆったり館という宿でゆったりしています。なかなか良い施設です。洋室は車椅子で利用できるように広々としています。

http://www.yuttarikan.ecnet.jp/stay-yo-guestroom.html

65歳以上は5000円で泊まれます。一泊二食付きはもちろんのこと温泉プールなども自由に利用出来ます。

来春までの復興キャンペーンが始まったばかりで利用者も少なく、淋しいくらいです。常磐炭鉱の跡地に建つ温泉施設で近くに石炭化石館があります。巨大な恐竜に迎えられます。一日遊べます。

湯本温泉街も近くにあります。今日はこちらを歩いてみます。


東(あがり)崎

2012-09-03 07:19:41 | 出会いの旅

9月3日(月)はれ

Facebookで柴田さんの八重山紀行の写真を見ていると、2000年7月に訪ねた与那国島の東崎(あがりざき)を思い出しました。この島で映画祭があって連れて行ってもらったのですが東崎ではおすぎさんと一緒になりました。映画「老人と海」の解説者として来島されていたのです。

八重山列島 与那国島の東崎(あがりざき)の写真

東崎(上がり)崎といえば喜納昌吉ですね。02年10月、退職の年、はじめて沖縄本島を訪ねて喜納さんの歌を聞きました。

東崎●http://www.youtube.com/watch?v=2RnJw8pY_wQ

今日はこれから福島県いわき市に行きます。移動教室の下見を兼ねて震災のあとや常盤炭田の旧跡を見てきます。


慰労の旅 北信

2012-08-26 10:05:41 | 出会いの旅

Kさんを誘って北信の旅をしました。北朝鮮を脱出してから数年、北に残る家族や友人たちの消息に心が休まることがありません。わたしたちにできることはたまに一緒に遊ぶことだけです。大自然に抱かれればたとえつかの間でも命の洗濯になるのかも知れません。

8月23日(木) 川越=下仁田~白樺湖(昼食)~八島湿原~松本~大町(大町山荘)

八島湿原をゆっくり歩きました。アサマフウロ・ヤナギラン・コオニユリ・マツムシソウ・シモツケ・ワレモコウ 花々の歓迎が本当にうれしそうです。

 

写真: 信州 八島湿原 

8月24日(金) 白馬村の八方尾根にゴンドラ・リフトを乗り継いで登り、八方池までのハイキングを楽しみました。Kさんの笑顔を紹介できる日がくるといいなあ。

 

 

 写真: 信州白馬村姫川のほとりの茶屋で休んでいます。写真はさっきまで居た八方尾根ケルン。 

姫川の畔で休んだ後、仁科三湖をめぐり、夕刻に若一王子神社に参詣しました。見事なわらぶきの屋根は観音堂です。神仏習合の時代の雰囲気がそのまま残っていて「国宝」に指定されているそうです。

 社頭にたって祈るKさんの姿が印象的でした。

 

8月25日(土) 大町~木島平村~カヤの平~志賀高原~渋川=川越

朝の散歩で宿近くの「常光寺」を訪ねたのですが見当たりません。畑仕事中の方が丁寧に教えてくれました。「廃仏毀釈」で完全に打ち壊され地名だけが残った、と。昨日の若一王子宮とは対照的です。

写真: 信濃大町常光寺 道祖神 写真: 信濃大町霊松寺山門 

 

廃寺跡に行ってみると一面の田んぼで道路端に「道祖神」が立っていました。かわいいでしょう?

教えてもらうままに帰路、霊松寺によりました。山中の曹洞宗の大寺。わらぶきの山門が見事です。

旅の最後に新潟県境近くの木島平村を訪ねました。高山すみ子さんにお会いするためです。高山さんはこの数年、Kさん一家に心を寄せ続けてくれた方です。移動教室での出会い以来、自家菜園で作った野菜などを送ってくれます。かつての自分と重なる運命を北朝鮮を命からがら脱出してきたこの一家に感じているのでしょう。

 あいにく「慰霊祭」で中野に出かけていました。「満州」での逃避行の途次、高社郷開拓団は「集団自決」を余儀なくされ、高山さんは二人のこどもを喪いました。本人は「殺した」と言われます。67年がたっても心が晴れる日は来ないのです。今年は病後で在宅だろうと予告せずに訪ねたのが見込み違いでした。残念。

 お孫さんのお嫁さん・奈美さんと一緒に写真を撮らせてもらいました。二人目のひ孫さんも元気に育っていました。

今日は先を急がなければなりません。「高山さん、また来ます。どうぞ、お元気で」。

カヤの平に登ってブナ林を散歩。見事なブナの森がおばあちゃんに会えなかった寂しさを癒してくれたでしょうか。

志賀高原の景観を楽しんで川越についたのは7時過ぎです。

 関連記事「高社郷開拓団・犠牲者の命日に」●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/a56b3c2390082ec867232d1f90af8a9a

 


大町にて(2)

2012-08-25 05:40:49 | 出会いの旅

 昨日は八方尾根に遊びました。好天に恵まれ吹く風も爽やか。気苦労の絶えないkさんも美しい高山植物の歓迎に我を忘れています。

今日は木島平村の高山さんを訪ねます。kさん一家に心を寄せ続けるおばあちゃんです。突然の訪問にびっくりされることでしょう。

 

 

 

 


被災地の旅

2012-08-23 04:51:00 | 出会いの旅

先日、岩手県久慈市のべっぴんの湯に泊まっているとHさんから電話をもらいました。小学校の管理職をしている夫人といっしょに陸中の海岸を旅してここにたどり着いたのです。べっぴんの湯を選んだのには「川越だより」が役立ったかな?肌がすぐにすべすべする気持ちいい湯です。お連れ合いが喜んでくれたようです。

 Hさんたちは僕とは逆に一関~陸前高田~釜石(泊)~宮古~久慈と北上して大震災と津波に見舞われた津々浦々を観てこられたようです。

僕は友人たちがどんどん被災地のたびを体験してくれるといいなあと思っています。被災地というとボランティアと発想し、観光旅行など不謹慎などと思われる方もいるかもしれません。

 震災直後にはそうだったかもしれませんが一年半近くが経ちました。道路などのインフラの復興も進んでいます。旅人が邪魔になるとは思えません。

 1000年に一度といわれる大災害です。まだ生々しい被災のあとを見学することは映像で見るとは違った感慨が湧いてきます。自分の生き方や考え方に変化が生まれるかもしれません。百聞は一見に若かず、ですね。

 年寄りのたびは復興の手助けにはなりませんが賑わいにはなります。「枯れ木も山の賑わい」。

 三陸海岸はもともとが有数の観光地です。優れた景観に恵まれています。「森は海の恋人」という言葉を生んだ地でもあります。自然の営みのすごさ、すばらしさに気づいて圧倒されます。

 ひとりひとりの落すカネは些少でも「チリも積もれば」です。旅館やホテルは生き返るでしょう。

僕らは各地で出会った人々に喜んでもらえた上にいろいろな手土産までいただく始末でした。

「見捨てられるのはさびしい」という方もいました。そうだろうと思います。

修学旅行で訪れる学校も増えつつあるとか。

修学旅行 被災地へ 遊佐の西遊佐小

写真:被災した大槌町役場を見学する西遊佐小の児童=岩手県大槌町新町拡大被災した大槌町役場を見学する西遊佐小の児童=岩手県大槌町新町

 

 山形県遊佐町の西遊佐小学校(黒木佳昭校長・児童数72)の6年生15人が27日、修学旅行で岩手県大槌町を訪れ、被災した学校や役場などを見学した。市街地が壊滅的に被災した大槌に、修学旅行生が来たのは初めて。

 西遊佐小は、例年、宮城・岩手両県の観光地を修学旅行の場所にしている。今年は、黒木校長が「直接、被災地を自分の目で見ることで新たな気づきがあるはずだ」とコースに組み込むことを提案。先生や保護者に異論はなく、例年1泊2日だった日程を1泊延ばした。

 遊佐町と大槌町は、どちらも湧き水が豊富に出ることから交流が続いている。昨年10月と今年3月には、大槌町の児童らが稲刈り体験などをした。その縁から、大槌が選ばれた。

 一行は、バスで6時間かけ、まず避難所にもなった吉里吉里小学校に。岩切博文副校長から津波を目の前に見て避難した体験談を聞き、児童の演奏を聞いたり一緒に写真を撮ったりした後、被災した市街地に向かった。

 がれきやヘドロに負けずに生き残った希少な淡水型イトヨの生息地や、被災した小中学校や役場などを巡り、高台で廃虚となった市街地を一望した。町職員が「庁舎2階まで津波が来た」と説明すると、「あんな高くまで」と指をさしてはメモを取っていた。

 参加した鈴木涼さん(12)は「大槌の小学生は思ったより明るかった。初めて被災地を見て、命は大切だなと思った。帰ったら家族や下級生に伝えたい」。三国郁也君(12)は「普通なら観光地を旅行するんだろうけど。今日のことはずっと心に残ると思う」と話していた。

 ツアーを組んだトム旅行(山形県酒田市)によると、山形から修学旅行で被災地を訪れる計画をしている学校は、少しずつ増えているという。(東野真和)

出典●http://www.asahi.com/edu/news/TKY201206280350.html

そういえばHさんのお連れ合いは小学校の校長先生です。今度のたびの見聞が生かされるときがくるのかも知れません。

去年・今年と夏休みなどにボランテァで被災地を訪ねた教員も多いと思われます。教育委員会や校長はそうした教員のイニシアティブを生かして創意ある修学旅行を計画してほしいものです。

きいちご移動教室は一泊ですから宮城や岩手は無理です。北茨城やいわきの海岸地帯なら訪ねられるかな、そんなことを考えています。 

 今日はKさんを誘って長野県大町に行きます。

 

 

 

 


これぞ銘菓  岩手・千厩のアマランサスサブレーとしいたけサブレー

2012-08-14 11:11:12 | 出会いの旅

8月13日(月)

 前夜遅く娘夫婦がやってきたので、家園で昼食会としました。川越での披露宴。店主夫婦が喜んでくれました。

 披露宴のご馳走で夕食は無理です。

先日、岩手県千厩の境良(さかいまこと)さんにお土産にいただいたサブレーでコーヒータイムとしました。

アマランサス サブレー   しいたけサブレー

 アマランサスサブレーとしいたけサブレー これがなかなかのものです。地元産の食材を生かして体に優しいお菓子を作るという境さんの哲学の結晶なのでしょう。ついつい食べ過ぎてしまいます。

以下は、食いしん坊の妻の感想。

ひとかけら口に入れたらバターの豊かな香りが口中にひろがりました。ん、これは?と思って念のために袋の裏をひっくり返してみました。加工食品を買う際にわたしが必ずやる原材料の確認です。(頂き物のときは、こころもちひかえますが。)〈小麦粉、砂糖、バター、卵、膨張剤、粉末しいたけ〉これが「しいたけサブレー」。「アマランサスサブレー」の袋には〈小麦粉、バター、砂糖、卵、アマランサス粉、塩、蜂蜜、牛乳、膨張剤〉とありました。マーガリン、植物油、レシチン、ステビアといったおなじみの「代用品」は一切なし。麦芽糖、水あめ、オリゴ糖、香料の記載もありません。

 びっくりしました。おかあさんが台所でつくるときの材料しか使ってないんです。美味しいはずです。これこそ本当の「手作り」。お店の裏(たぶん)の工場で、奥さんと二人で作っているからできることで、大手メーカーには、逆立ちしてもできない芸当です。

 境さんの人柄そのものがお菓子になっているようです。千厩という町は、こういう人が育まれ、暮らしていける町なんですね。お菓子のむこうに境さんと高橋さんのあたたかな笑顔が浮かんできました。

 境さんのお話では、しいたけは、奥さんのご実家で作っているものなのだそうです。「ところが、福島原発事故のせいで今年の干ししいたけはセシウムが検出され、全部焼却処分してしまった。だから、うちでは原発事故以前の古いしいたけを使っているんです」と、話してくださいました。

 無残なことです。こういうことを一切無視して、目先の採算だけで原発再稼動をごり押ししていく強欲な経済界と愚かな愚かな、愚かな政治家どもに怒りを通り越した憎悪をかみしめています。せっかく世にも美味しいサブレーを食べながら、です。

 参考記事●「さかいや製菓」http://ichigi-sen.sakuraweb.com/3kigyo/sakaiyaseika.html


甦れ 東北 被災地の旅の終わりに

2012-08-12 12:36:07 | 出会いの旅

8月4日(土)晴れ

 気仙沼大島の休暇村に泊まって午前中いっぱい島内の散歩を楽しみました。40年来の宿願が実現したのですが浄土のようなところです。

宿の周りの朝の散歩、十八鳴浜(くぐなりはま)、亀山からの展望、南端の竜舞崎。

震災の被害のことはすっかり忘れるほど美しい景観の連続です。

 亀山では気仙沼高校の同級生だという老婦人二人が何十年振りだかの再会を楽しんでおられました。今は千葉県市原に住む方は石油タンクの炎上に際会した後、故郷気仙沼の火災を知り気が気でなかったといいます。

 この島も対岸の火が亀山に燃え移り、一時は島全体が焼けつくすのかと心配されたそうです。あれからたった1年5ヶ月ですがリフトが動いていないほかは亀山に震災の痕跡はありません。

 山頂でシャッターを押してあげました。悪夢のような震災がお二人を再び結びつけたのかもしれません。「これが最後かもね」。印象に残る言葉です。

 島に橋を架ける計画があるそうです。友人たちにはフェリーのあるうちに訪ねることを薦めます。ここに2・3泊して散歩を楽しめば身も心も軽くなるでしょう。片肺の僕には宿に露天風呂がないことだけが問題点です。

  

 ひこばえの森

 一関に帰る途中で旧室根村の「ひこばえの森」に寄ってもらいました。「森は海の恋人」と言う言葉を生み出して、「森」「川」「里」「海」の連環を教えてくれた気仙沼の漁師さんたちが広葉樹の植林にとりくんだところです。

 今回の津波で気仙沼湾の牡蠣養殖場も壊滅したと聞きます。しかし、この森の入り口に立つ『復興祈願植樹』の標識を見ると再生への希望を強く感じます。

「海よ、甦れ」。森を再生させることこそが海の甦りの原点です。海だけではありません。傷ついた地球という星の甦りの原点でもあります。

年月を重ねた地道な取り組みが生んだ森が広がっています。おいしい水が湧き出す森です。その恵みの水をいただいて休憩しました。

この旅の最後は一関市千厩(せんまや)です。職場の同僚だった高橋一夫さんの故郷です。旧満州で父を喪った(沖縄戦)母子が引き揚げ後、ここで暮らしたと聞いています。

 街のど真ん中に「夫婦石」がありました。ご立派。近くの社屋には人の手になる「金精さま」が幾体も奉納されています。先住民の時代からのおおらかな自然観・人間観を垣間見るようです。

千厩観光協会の案内板にはこうあります。

 「太古北の沢、天王山を挟んで流れる大河弓手川の激流は土砂を浸蝕し、この地に花崗岩から成る巨大な男女両性の象徴が奇しくも出現した。神道も仏教もない時代、この自然の偉大な造形に我々の祖先は眼をみはり崇敬の念をもって神として祀った。

雄然たる龍頭は列強なる陽茎に支えられ天地正大の気、この地に発する観あり、男石の後ろに日本の美風を堅守し豊満にして慎ましやかな女石は、谷間の白百合の如く万人の感動をよぶ。この赤裸々な自然の成せる好一対の象徴は蓋し希有にして本邦一の景観である。」

何年か前、二戸では町内ごとに金精さまを山車に載せて街を引き回す祭りに遭遇したことがあります。

 川越だより「二戸」●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/5468e4c605d36de988b620d7745b9c9c

性が極端に商品化している現状は性の解放とは無縁です。おおらかに性を語る東北の町の人々の只中で育ったら僕ももう少し心豊かな人間になれたかも知れません。

駅前の「さかいや製菓」に寄って境 良(まこと)さんにお会いしました。一夫さんの同級生です。

東京の製菓学校に学んだ後、故郷に帰り、奥さんとともに菓子作り一筋に生きてこられた方です。

看板商品に「しいたけサブレー」「アマランサスサブレー」のほかに「夫婦石ロール」があります。かの夫婦石をイメージしてシロ餡と小豆餡をカステラの生地で巻き込んだロール菓子です。(僕好みのおいしい和菓子・帰ってから夕食後に毎日いただきました)。

 千厩の自然と人を愛してやまない方でしょう。地元の食材にこだわり、地域に密着した菓子作りに精を出しているようです。突然現れて友達の友達と名乗る僕にお菓子の土産を持たせた上にご自分が撮った春先の室根山の写真をプレゼントしてくれました。

 遠い昔、一夫さんも友人たちとともにこの山に見守られながらこども時代をすごしたのでしょう。目の前の駅から二両編成の列車が気仙沼方面に発車しました。背後にその室根山が見えます。

 最後の最後に一夫さんが育った母子寮を訪ねました。人影がないので近くの畑で働いている方に聞いてみました。千厩町が一関市に合併された二年ほど前に廃寮となったそうです。88になるという佐藤豊作さんは申し訳なさそうです。珪石の鉱山だったという裏山は今、町営の野球場になっているといいます。

 高橋さんは東京で就職後、世話になった母子寮に文学全集を送り続けた、と聞いたことがあります。送り主を告げず、書店から送ったとも。安月給の時代に生活を切り詰めながらやり続けたのではないか、と思われます。

 もう半世紀も昔の話です。その本たちの消息を尋ねるのはもともと無理だとは承知していたのですが、廃寮とは。いつまでも見送ってくれる佐藤さんに「お元気で!」を繰り返したことでした。

  写真: 千厩町の佐藤さん。88の今も畑田んぼ作りに精を出し続けておられる。どうぞいつまでもお元気で