秋和の里 伊良子清白
月に沈める白菊の ・
秋冷(すさ)まじき影を見て
千曲(ちくま)少女(をとめ)のたましひの
ぬけかいでたるこゝちせる ・
佐久の平(たひら)の片ほとり
あきわの里に霜やおく ・
酒うる家のさゞめきに ・
まじる夕(ゆふべ)の鴈(かり)の声
蓼科山(たでしなやま)の彼方にぞ
年経(ふ)るをろち棲むといへ
月はろ/″\とうかびいで ・
八谷(やたに)の奥も照らすかな
旅路はるけくさまよへば ・
破(や)れし衣(ころも)の寒けきに
こよひ朗(ほが)らのそらにして
いとゞし心痛むかな
妻の仕事が一段落したので、8日から療養をかねて信州・東御にある友人の別宅に世話になりました。あいていればすぐに貸してもらえるので、自分の別荘のように気楽に使わせてもらっています。
8日夕、早速、秋和の里の探索に出かけました。上田市の北郊に秋和という地名を見つけたのでここだろうと勝手に目星をつけたのです。
この詩は高校の国語の教科書に載っていたものです。50年が経ってうろ覚えだったのを、インターネットという怪物が鮮やかに蘇らせてくれました。高校生の時と同じように声を出して読んで見ました。千曲川、佐久平、蓼科山…今はお馴染みの風景です。この詩が作られた100年前を想像しながら朗誦すると懐かしさが染み渡ってくるようです。
日本の近現代史を紹介するウェブサイトがあります。
≪日本の近現代詩≫
このサイトで伊良子清白の詩を読めます。
「伊良子清白 【いらこ せいはく】」
月に沈める白菊の ・
秋冷(すさ)まじき影を見て
千曲(ちくま)少女(をとめ)のたましひの
ぬけかいでたるこゝちせる ・
佐久の平(たひら)の片ほとり
あきわの里に霜やおく ・
酒うる家のさゞめきに ・
まじる夕(ゆふべ)の鴈(かり)の声
蓼科山(たでしなやま)の彼方にぞ
年経(ふ)るをろち棲むといへ
月はろ/″\とうかびいで ・
八谷(やたに)の奥も照らすかな
旅路はるけくさまよへば ・
破(や)れし衣(ころも)の寒けきに
こよひ朗(ほが)らのそらにして
いとゞし心痛むかな
妻の仕事が一段落したので、8日から療養をかねて信州・東御にある友人の別宅に世話になりました。あいていればすぐに貸してもらえるので、自分の別荘のように気楽に使わせてもらっています。
8日夕、早速、秋和の里の探索に出かけました。上田市の北郊に秋和という地名を見つけたのでここだろうと勝手に目星をつけたのです。
この詩は高校の国語の教科書に載っていたものです。50年が経ってうろ覚えだったのを、インターネットという怪物が鮮やかに蘇らせてくれました。高校生の時と同じように声を出して読んで見ました。千曲川、佐久平、蓼科山…今はお馴染みの風景です。この詩が作られた100年前を想像しながら朗誦すると懐かしさが染み渡ってくるようです。
日本の近現代史を紹介するウェブサイトがあります。
≪日本の近現代詩≫
このサイトで伊良子清白の詩を読めます。
「伊良子清白 【いらこ せいはく】」
さて、ぼくのほうもこのところ、34年前の卒業生のコンサートに誘われたり(既述)、10年前の卒業生の新婚家庭に招かれたり、駅の改札口で15年前の卒業生に遭遇したりして、喜びを共にしてきました。そして1週間ほど前には、ぼくが48年前に卒業した高校の恩師と電話で(声の)再会を果たしました。
81歳になられたという先生は、現代国語担当・演劇部顧問・労働運動・平和運動・日本と朝鮮の問題への取り組みなど、教員としてのぼくの歩みが、期せずしてご自身のそれとぴったり重なっていることに気づかれて、その上(かみ)の青年教師のように、高い明るい声で笑いました。
私事を書いたのは(いつもそうですが)、けいすけさんの自在に時空を超える旅の喜びが、ぼくにも自分の乏しい体験から実感できるからです。こうして、いろいろな時代のいろいろな土地のいろいろな人々がつながって見えてくるのだとすれば、年を重ねるということも素敵なことではないかと思えます。
最後にもうひとつ私事。5月11日、66歳になりました!