振り向けば大宮の夜が明ける。 少し変わった角度から眺めるの!

大宮在住。
伸び行く大宮市、
その時々の目に留まったことなどを楽しくユーモアも交えて
書きたいと思います。

西洋への留学でも鉄道は興味深いものだった。

2019-02-25 08:07:12 | ブログ

 

 

〇 日本に鉄道の情報が伝わる

遣欧、遣米使節、密航、留学などで海外へ渡航

し、鉄道に乗車した者がその体験談を本にした。

また、海外の風物や産業を紹介した翻訳本にも

鉄道が多く取り上げられて、その興味は日本に

確実に大きく広がっていった。

 

歴史ステーションの展示物より

大宮鉄道博物館

 

 

 

 

 ⑤西洋との接触、西洋への興味

 

写真は『長州ファイブ

遠藤謹助(左上)、野村弥吉(上中央)、

伊藤俊輔[博文](右上)、

井上聞多[馨](左下)、山尾庸三(右下)

長州5傑と呼ばれた5人の長州藩士。



1863年6月

幕末に長州藩から派遣されて英国へ秘密留学し、

ロンドン大学法文学部聴講生になった。

 

しかし、

井上と伊藤は1年も滞在せず日本の国状から

1863年4月に帰国。

 

 井上馨は外交の父、遠藤は造幣の父、山尾は工学の父、

伊藤は内閣の父、そして井上勝は鉄道の父。


ここで持ち上げたいのは

「鉄道の父井上勝」です。


横浜から上海へ、上海から大型船に乗船、イギリスへの

航路だった。


当時の上海は繁栄し、100艘以上の外国軍艦、その他の

蒸気船が停泊し、

東アジア最大の西欧文明の中心地として発展していた。

(白黒の映画を見ましょう。)

これを体験してカイコクだあ!



 

 

 

はい、諭吉先生の西洋事情が出てきましたよ。

明治3年 慶應義塾に出版局がありました。

 

福沢諭吉が1860年(万延元年)のアメリカ、

1862年(文久2年)のヨーロッパ、

1867年(慶応3年)アメリカと三度の海外渡航から

書いた10冊本です。


え~~?

 

 

 

 

 

理想が高尚でなければ

活動もまた高尚にはならない。

 

エー――

何と書いてあるのか教えてください?

 

 

 

 

 

どの絵も上手いと思いましたら、名人が描いているのでした。

 

ペリー総督持参の献上品です。

蒸気機関車のミニ模型

 

 

 

 

 準備は整いました。

オット・・・・・・

 

ここまでのお付き合いありがとうございました。

 

 

「天皇陛下の旅」と鉄道の写真展が開催されています。

 

ただ今、鉄博2階で天皇陛下とご家族の鉄道に由来のある

写真が展示されています。

その冒頭に美しい感動的な陛下の文章があります。

 


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