振り向けば大宮の夜が明ける。 少し変わった角度から眺めるの!

大宮在住。
伸び行く大宮市、
その時々の目に留まったことなどを楽しくユーモアも交えて
書きたいと思います。

ペリーが初の蒸気機関車模型を持って来た!

2019-02-24 12:04:10 | ブログ

 

 

1852年11月に、東インド艦隊司令長官に就任、

日本開国を依頼する大統領(ミラード・フィルモア)

の親書を携えて、

1852年7月8日(嘉永6年6月3日)浦和に入港した。


 

 

 

その④が始まります。

開国と共にやってきた蒸気機関車模型!

 

マシュー・ぺリー

提督ペリル(漢字では彼理

アメリカの海軍軍人。

蒸気船海軍の父(Father of the Steam Navy)

身長を六尺四〜五寸(約192〜195cm)


偉い所は奴隷解放に尽力を尽くしました。

面白い所は大声を出す「クマおやじ」

頭にかつらを乗っけていました。

 


アメリカの軍艦に乗って日本にやってきたペリー総督

は、江戸幕府に沢山のお土産を持ってきました。

当時の科学技術の先端の役立つものでした。

国立科学博物館に展示されています。

 

 

 

久里浜に初上陸した時の絵です。

1852年7月14日(6月9日)幕府が指定した久里浜に

に護衛を引き連れ上陸、戸田氏栄と井戸弘道に

に大統領の親書を手渡した。

 

 

 

沖合にペリーの軍艦が2隻停泊しているのが

見えます。

 

沢山の小舟に認証の旗が昇っています。

防塞を考えた場所です。

 

 

 

 

真中に立っている人が洋装だと分かります。

4人いて一人はペリー総督でしょうか?

手に大統領からの親書を持っていた。

 

ここでは具体的な協議は執り行われず開国の要求を

したのみで、湾を何日か測量した後、

幕府から翌年までの猶予を求められ、

食料など艦隊の事情もあり、琉球へ寄港した。

 

これだけ整然としていれば、それだけでも威嚇

になりますよ。

 

靴と靴下と草履と足袋の違いがありました。

日本は親指が独立していました。

 

 

 

1854年

献品の内 小蒸気車運転の図

ペリー献上の献上蒸気機関車模型の運転の光景

 

 

 

 

アメリカを亜国と呼んでいます。

模型の事を蒸気車の雛型

献上と書く立ち位置が凄いです。

横浜で試運転

我使節に示す

 

此時代我邦初て

気車の運転のテンが

車に専となっています。

 

 

レールまで引いて人が乗り運転をしています。

お侍さんまでも乗っています。

これが火車でした。

 

 

 

 

ペリー日本来航の一年前の考え。

 

①任務成功のためには4隻の軍艦が必要で、

その内3隻は大型の蒸気軍艦であること。

 

 

②日本人は書物で蒸気船を知っているだろうが、

見ることで近代国家の軍事力を認識できるだろう。

 

 

③中国人に対したのと同様に、日本人に対しても

「恐怖に訴える方が、友好に訴えるより多くの利点

があるだろう」

 

 

④オランダが妨害することが想定されるため、

長崎での交渉は避けるべき。

 

ところがこの蒸気船を親指の出ている足袋で

直ぐに飲み込んでしまった草履でした。

 

ちなみにペリーは酒に飲み込まれていたと

いうことでした。

 

 

 

 

1856年

ペリーが持参してきた模型の蒸気機関車

を横浜応接所で陸揚げをしている様子。

 

「ペルリ提督日本遠征記」から

 

 

 

 

 

この模型は火事で失ってしまった。

ホントに火車になってしまった?

(冗談です)

すみません、滑り過ぎました。

レールを敷かないでください。(笑)

 

 

 

歴史はメリーゴーランド!

日本の新幹線が走るのをアメリカの人が待望しているなんて!

 

 

 

 

土日はこの通りの混雑ですが、会場が広いので

大丈夫でっす。

円形に動く大型機関車美しいデコイチとその説明を熱心に皆

聞いています。

そして大きな汽笛が会場に響き渡ります。

一日2回のデモンストレーションあり。

 

大宮鉄道博物館から

 

まだ続きがあるでっす!

ここまでのお付き合い有難うございました。

 

 

 


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