振り向けば大宮の夜が明ける。 少し変わった角度から眺めるの!

大宮在住。
伸び行く大宮市、
その時々の目に留まったことなどを楽しくユーモアも交えて
書きたいと思います。

生涯を通じて変わることなく持ちこたえられる能力はない。ショーペンハウワー

2020-05-30 10:03:00 | ブログ

こんにちわ、今回はショーペンハウワー「幸福について」

「A  一般的な見解と忠告」を現代風簡潔にしました。

 

 

などて砕くか、なが心

悠久の計画に耐ええぬものを

ホラーティウス

(などての意味…どうして、なぜ)

(心流しの意味 気が長い)

(解釈が二通りありますので、ご自由

に訳を)

 

人生というものは、出発点に立てば、果てしなく長いものに見えるが

最終地点から振り返ってみれば、非常に短いものに見えるという。

私達の心眼(物事の大事なところを見通す力)の避けることのできない

視覚上の錯覚にある。

 

この錯覚が偉大な事業を成し得る。

この錯覚がなければ偉大な事業は成就しないだろう。

だから、錯覚にもそれなりに良い効能もある。

 

努力の目標としていたものをやっと手に入れても

それがもう時代遅れで適さなくなっている。

労作の準備に年月を費やすうちに、いつの間にかそれを仕上げる気力が

無くなってしまう場合もある。

 

そういう理由で、長年の苦労と何度かの危険を冒して得た富を

自分で享楽できず、しまいには人のために働いた事になり、

自分の得た地位でさえももはや望めない。

遅すぎた念願成就である。

また逆に、念願成就を達成した人でも、遅れて行く場合もある。

業績とか制作とかいう物は、時代の好みが変わったとか?

それに興味を持たない新しい世代が台頭したとか?

他の人に抜け道を作られ先回りされたとか?

(誰にも心当たりが?)

 

人の一生に万端の準備を整えるという計画は何であろうと、最大の愚行の一つである。

 

完全な一生を送る人など指折り数えるしかない。

たとえ、長生きをしたところで計画遂行には短すぎる。

計画遂行は、思ったよりもずっと暇がかかるのが常だ。

 

ましてや計画というものは、人のすべての営みの常として、

多くの失敗の危険や障害にさらされるので目標達成をできることは、滅多にない。

(おじ様強い、力尽きないでね)

 

最後にすべてが達成できた場合でも、

時の経過と共に、自分自身に起こる変化という現象を度外視し計算外にして

いたという訳だ。

 

私達の能力が生涯を通じて変わることなく持ちこたえられるものではないという事を

考慮することが大事だ。

 

(限界突破?こら~^)

(何か妥協点を見いだせと聴こえる?)

(ショーペンハウワーおじ様の忠告に逆に振るい立つものがあれば

あなたは遂行の道を歩くわ)

きっとよ!

 

 

 

この世では教訓は得られても幸福は得られないと望みを捨てて悟りを得る習慣がつき、

それで満足をするようになり学ぶことよりほかはには何の幸福も感じない

ペトラルカ

というようになる。

 

このような人は、自己の願望、志望を追求しても、それは外観だけの遊戯半分の追求で

あって、その境地はひたすら教化を期待するに至る。

こうなると沈思瞑想的な天才的な風格が備わる。

 

この意味からすればひたすら黄金を求めて火薬、磁器、医薬を発見し、自然法則まで発見

した錬金術師の運命が私達の運命だと言える。

 

旅人の目には、遠くから見えた景色が歩くに連れて近づくと違う姿に変化する。

そのように、人生もまた同じようなものである。

人の願望も同じようなものである。

始めに求めていたのとは全然違う物やそれ以上に勝るものを見つけることがよくある。

また求めていた物が初めの道では見つからなかったのに、全く別の道で見つける事も

少なくない。

特に享楽や幸福、喜びを求めて、その代わりに啓発や洞察、認識が見掛け倒しの無常の

財宝の代わりに恒常の真実の財宝が与えられる場合が良くある。

 

(すなわち心の中で金の錬金術師になりなさい)

(現実には金を持てなくても心の中でいくらでも大きな金塊は製造できる、持てる)

はい、眼に金塊を焼き付けます。

すると心眼が開きます。

 

 

ショーペンハウエルおじ様の忠告を簡潔にお送りいたしました。

 

ショーペンハウワー「幸福について」

「A  一般的な見解と忠告」の第11回目最終になります。

ブログ簡潔現代版カメレオン風仕立てでした。

至らないところはお許しを下さいませ。

 

 

 



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