今年に入ってから、何回か、このブログでご紹介した、「脳梗塞」を発症した私の友人の事です。
「脳梗塞」を発症してから、割合と早い時間で私が担ぎ込んだ病院で緊急処置を受けたものの、2ヶ月の入院治療と2ヶ月の通院リハビリの結果は、残念ながら「やはり後遺症が残ってしまった。」というのが、正直なところだと私は強く実感している。
彼の入院中にピンチヒッターを務めていた私は「この2週間ほどの彼との業務打ち合わせ」で精神的に疲れてしまい、このブログの更新をする気力や時間がなくなっていた。
私なんかよりもはるかに「頭脳明晰で行動的」だった彼は、やはり「もう戻っては来なかった。」
業務打ち合わせをしていても、5分前に話した内容をすぐに忘れてしまうし、私の話してる内容を理解していないので、すぐに「休憩し、遊び」たがる。まるで、小学5年生くらいの「子供」と話してるようだ。
弁護士である彼の「法律上の知識や記憶」は依然、健在なのだが、今、実際におきてるトラブルとその法律知識を結びつけることが全くできていない。
外見的には、以前とさほど変わらないように見えるのだが、やはり「頭のなか」が明らかに前とは違う。
病院での「知能指数検査結果」がやはり「小学校高学年」程度だというのも納得できる。
精神科医師だった私の医学知識を持ってしても、彼と話してるときのなんとも言えない疲労感と絶望感は私にも相当なストレスを与えているようである。
彼には「奥さん?のような彼女」が20年前からいたのだが、その彼女は、先週、置き手紙を自宅に置いていなくなってしまった。「私には、もう面倒は見きれない」とその手紙には書いてあった。
その彼女の気持ちもわからんでもないけれど、やはり「薄情さ」を感じざるを得ない。
人の目を全く気にしない私は、普段の足に「中古のwagonR」を気に入って喜んで使っているし、そういう節約家の私とは全く違い、彼は、この彼女と見栄を張ったかなりハイソな生活をしていた。
普段、足に使っている車でさえ、「メルセデスベンツ」で、ガレージにはそのベンツの10倍以上の値段の高級車が鎮座している。
それだけ、その彼女にいい生活をさせてきた彼がいざ「病気」で倒れたらリハビリ中の彼を置いてきぼりにして「いなくなってしまった。」
私は、ガンの家内と10年闘病を伴に闘い、最後は、その家内の心臓が止まるのを私の腕の中で確認して「先に行って待ってなよ」と「あの世へ見送った。」壮絶な10年だったが、その時は出来る限りのことを家内にしたつもりでも、まだまだ色々できたんじゃないかと、いまだに「悔い」が残っている。
だから、この彼女が「いなくなった」ということが、あまりにも腹立たしい。また、そんな女を選んだ彼のバカさ加減にも腹立たしい。
これが私の亡き家内や、今の私の女友達たちだったら、百パーセント私と「死なばもろとも」。私は、よい女房とよい女友達たちをもったものであるとつくづく思ってしまう。
昨日も脳梗塞の彼と業務打ち合わせをしながら、「おまえがいままで守ってきたものはなんだったんだろうね。」とついつい彼の顔を見ながら思ってしまう。
「俺はおまえが死ぬまで必ず見届けるし、死ぬまで親友だ」と落ち込む彼に伝えた。
嗚咽とともに、止めどなく涙を流し、私の顔を見ながら何回もうなずく彼を見捨てることなど、自身のプライドにかけて、私は、絶対にできない。
むろん、そんな薄情な考えを私が持っていたとしたら、亡き家内も今の私の女友達たちも皆、私から離れて行ってしまう。
男のプライドとは、「地位や名声やお金儲け」だろうか?私には、そんなペラペラな薄っぺらな自己満足などいらない。
この週末、亡き家内の命日。あの世へ送り出してから、10年になる。
自分の事は、さておき、被災地に出向いてボランティア活動をしたり、福祉施設やアフリカの餓えに苦しむ子供たちなどに、惜しみ無く手を差し伸べてきた誇らしい私の家内。
あまりにも手を差し伸べすぎて、私達夫婦が着るものや食べるものにさえ困ったことも多々あった。
でも、そんな時でも「俺たちの役割や生き方は、これでいいんだよ」と二人でニコニコしてパンをかじっていたそんな日々のあたたかい記憶。
私のプライドとは、そんな誇らしい家内のプライドが認める「唯一の男」であり続けることです。
「脳梗塞」を発症してから、割合と早い時間で私が担ぎ込んだ病院で緊急処置を受けたものの、2ヶ月の入院治療と2ヶ月の通院リハビリの結果は、残念ながら「やはり後遺症が残ってしまった。」というのが、正直なところだと私は強く実感している。
彼の入院中にピンチヒッターを務めていた私は「この2週間ほどの彼との業務打ち合わせ」で精神的に疲れてしまい、このブログの更新をする気力や時間がなくなっていた。
私なんかよりもはるかに「頭脳明晰で行動的」だった彼は、やはり「もう戻っては来なかった。」
業務打ち合わせをしていても、5分前に話した内容をすぐに忘れてしまうし、私の話してる内容を理解していないので、すぐに「休憩し、遊び」たがる。まるで、小学5年生くらいの「子供」と話してるようだ。
弁護士である彼の「法律上の知識や記憶」は依然、健在なのだが、今、実際におきてるトラブルとその法律知識を結びつけることが全くできていない。
外見的には、以前とさほど変わらないように見えるのだが、やはり「頭のなか」が明らかに前とは違う。
病院での「知能指数検査結果」がやはり「小学校高学年」程度だというのも納得できる。
精神科医師だった私の医学知識を持ってしても、彼と話してるときのなんとも言えない疲労感と絶望感は私にも相当なストレスを与えているようである。
彼には「奥さん?のような彼女」が20年前からいたのだが、その彼女は、先週、置き手紙を自宅に置いていなくなってしまった。「私には、もう面倒は見きれない」とその手紙には書いてあった。
その彼女の気持ちもわからんでもないけれど、やはり「薄情さ」を感じざるを得ない。
人の目を全く気にしない私は、普段の足に「中古のwagonR」を気に入って喜んで使っているし、そういう節約家の私とは全く違い、彼は、この彼女と見栄を張ったかなりハイソな生活をしていた。
普段、足に使っている車でさえ、「メルセデスベンツ」で、ガレージにはそのベンツの10倍以上の値段の高級車が鎮座している。
それだけ、その彼女にいい生活をさせてきた彼がいざ「病気」で倒れたらリハビリ中の彼を置いてきぼりにして「いなくなってしまった。」
私は、ガンの家内と10年闘病を伴に闘い、最後は、その家内の心臓が止まるのを私の腕の中で確認して「先に行って待ってなよ」と「あの世へ見送った。」壮絶な10年だったが、その時は出来る限りのことを家内にしたつもりでも、まだまだ色々できたんじゃないかと、いまだに「悔い」が残っている。
だから、この彼女が「いなくなった」ということが、あまりにも腹立たしい。また、そんな女を選んだ彼のバカさ加減にも腹立たしい。
これが私の亡き家内や、今の私の女友達たちだったら、百パーセント私と「死なばもろとも」。私は、よい女房とよい女友達たちをもったものであるとつくづく思ってしまう。
昨日も脳梗塞の彼と業務打ち合わせをしながら、「おまえがいままで守ってきたものはなんだったんだろうね。」とついつい彼の顔を見ながら思ってしまう。
「俺はおまえが死ぬまで必ず見届けるし、死ぬまで親友だ」と落ち込む彼に伝えた。
嗚咽とともに、止めどなく涙を流し、私の顔を見ながら何回もうなずく彼を見捨てることなど、自身のプライドにかけて、私は、絶対にできない。
むろん、そんな薄情な考えを私が持っていたとしたら、亡き家内も今の私の女友達たちも皆、私から離れて行ってしまう。
男のプライドとは、「地位や名声やお金儲け」だろうか?私には、そんなペラペラな薄っぺらな自己満足などいらない。
この週末、亡き家内の命日。あの世へ送り出してから、10年になる。
自分の事は、さておき、被災地に出向いてボランティア活動をしたり、福祉施設やアフリカの餓えに苦しむ子供たちなどに、惜しみ無く手を差し伸べてきた誇らしい私の家内。
あまりにも手を差し伸べすぎて、私達夫婦が着るものや食べるものにさえ困ったことも多々あった。
でも、そんな時でも「俺たちの役割や生き方は、これでいいんだよ」と二人でニコニコしてパンをかじっていたそんな日々のあたたかい記憶。
私のプライドとは、そんな誇らしい家内のプライドが認める「唯一の男」であり続けることです。