久しぶりに「バーボン」のロックを飲んだ。思えば、30年も折々に嗜んでいた「I.W ハーパー」。
飲み会や友人たちと「酒」を飲むときには絶対に口にしない、私「1人」でショットバーで飲む「愛用」の酒。
昨年の秋以降の「極度のストレス」からくる「歯茎の腫れ」による手術などにより、バーボンはおろかビールもほとんど飲まずに1年が過ぎた。
酒というものは、飲まなきゃ飲まないでも「支障」もなく、また、飲みたいともやがて思わなくなる。
古くからの女友達が、今月誕生日だった私に、「誕生日プレゼント」として、バーボンも持参してきた。
この彼女は、兵庫県の財閥の名家の娘として生を受け、お嬢様としてすくすくと育ってきた。
私との出会いは、「神戸の東灘区」のとある「バーのカウンター」だった。それももう25年ほど前のこと。
当時、私は、最初の家内と長男を「不慮の事件」で亡くしていて、生活は荒れに荒れて、毎日、飲んだくれては、街のヤクザたちと喧嘩ばかりして警察にも随分世話になったりしていた。
とある日、例によって、飲んだくれて「道に横になっていた私」を拾って車に乗せて自分の自宅に連れ帰ったのが、この彼女だった。
私はこの彼女とはこの時には初対面だと思っていたのだが、一方の彼女は、「神戸の東灘区」のバーのカウンターで、1人、殺気だった目付きで「ラーク」の煙草を燻らせて、「バーボンのロック」を口にしていた私の後ろ姿を何回となく見ていたそうだ。
「あんな飲み方してたら身体を壊す」と彼女は心配に思って私を見ていたのだと。
また、何故だか「私がこの人を助けなきゃ」とも思っていたと。
沢山、いろんな話を、まだ少女だったこの彼女と話をした。
やがて、それをきっかけに私は、「飲んだくれ」から立ち直ることになる。
つまり、この彼女に助けられたわけだった。
この時から、毎年、私の誕生日近辺に、二人で「ショットバー」に出向き「バーボン」を飲むことにしている。
昨年は私の体調不良から、見送った「バーボン」。を2年ぶりに二人で口にする。
「飲んだくれてた」私をかばって助けたために、両親の激怒を買い、名家から「勘当された」彼女は、のちに芸能界では皆が名前を知る「大女優」になる。
家から勘当されたから、今の私があるのだと、彼女は私に感謝の意を話す。
私も彼女に会わなければ、今の自分は存在しないはず。
女房でも彼女でもないし、一度も恋仲になったこともないのだが、間違いなく私の一生に大きな節目をくれた彼女。
男と女ってのは、単なるオスとメスではないと確信を持って語れるのも私と彼女の関係性があるからこそ。
我々お得意の「ツーフィンガー」の「バーボンのロック」。
お互いに胸が痛くなるような「記憶」の中での、この二人の「乾杯」が来年も、いや、毎年、未来永劫続くことを
願って。
じんわりと「しみわたる」バーボンの香りでした。
飲み会や友人たちと「酒」を飲むときには絶対に口にしない、私「1人」でショットバーで飲む「愛用」の酒。
昨年の秋以降の「極度のストレス」からくる「歯茎の腫れ」による手術などにより、バーボンはおろかビールもほとんど飲まずに1年が過ぎた。
酒というものは、飲まなきゃ飲まないでも「支障」もなく、また、飲みたいともやがて思わなくなる。
古くからの女友達が、今月誕生日だった私に、「誕生日プレゼント」として、バーボンも持参してきた。
この彼女は、兵庫県の財閥の名家の娘として生を受け、お嬢様としてすくすくと育ってきた。
私との出会いは、「神戸の東灘区」のとある「バーのカウンター」だった。それももう25年ほど前のこと。
当時、私は、最初の家内と長男を「不慮の事件」で亡くしていて、生活は荒れに荒れて、毎日、飲んだくれては、街のヤクザたちと喧嘩ばかりして警察にも随分世話になったりしていた。
とある日、例によって、飲んだくれて「道に横になっていた私」を拾って車に乗せて自分の自宅に連れ帰ったのが、この彼女だった。
私はこの彼女とはこの時には初対面だと思っていたのだが、一方の彼女は、「神戸の東灘区」のバーのカウンターで、1人、殺気だった目付きで「ラーク」の煙草を燻らせて、「バーボンのロック」を口にしていた私の後ろ姿を何回となく見ていたそうだ。
「あんな飲み方してたら身体を壊す」と彼女は心配に思って私を見ていたのだと。
また、何故だか「私がこの人を助けなきゃ」とも思っていたと。
沢山、いろんな話を、まだ少女だったこの彼女と話をした。
やがて、それをきっかけに私は、「飲んだくれ」から立ち直ることになる。
つまり、この彼女に助けられたわけだった。
この時から、毎年、私の誕生日近辺に、二人で「ショットバー」に出向き「バーボン」を飲むことにしている。
昨年は私の体調不良から、見送った「バーボン」。を2年ぶりに二人で口にする。
「飲んだくれてた」私をかばって助けたために、両親の激怒を買い、名家から「勘当された」彼女は、のちに芸能界では皆が名前を知る「大女優」になる。
家から勘当されたから、今の私があるのだと、彼女は私に感謝の意を話す。
私も彼女に会わなければ、今の自分は存在しないはず。
女房でも彼女でもないし、一度も恋仲になったこともないのだが、間違いなく私の一生に大きな節目をくれた彼女。
男と女ってのは、単なるオスとメスではないと確信を持って語れるのも私と彼女の関係性があるからこそ。
我々お得意の「ツーフィンガー」の「バーボンのロック」。
お互いに胸が痛くなるような「記憶」の中での、この二人の「乾杯」が来年も、いや、毎年、未来永劫続くことを
願って。
じんわりと「しみわたる」バーボンの香りでした。