3足わらじのバーボン

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

レビー小体型認知症とは?

2016-08-27 00:58:41 | 日記
先頃、私の友人が「レビー小体型認知症」と診断された。

私の事務所の職員も「レビー小体型認知症の疑い」で一時、行方不明になったりしたが、この職員の事ではない。

ちょっと聞きなれない認知症だと思う方も多いかもしれません。
実際、「アルツハイマー型」が認知症の中では有名で、メディアでもよく取り上げられている。

上の図解のように、同じ認知症でもだいぶ様子が違う。症状や進行具合も違う。




この友人、昨年の夏頃までは特に体調も悪くなく、元気に仕事をしていたのだが、秋頃になると、「歩き難い」、「足の腿が上がらない」、「よく転ぶ」と私に訴えるようになってきた。それと、「立ち眩み」がするとか「下痢」、「めまい💫」がするといった自律神経症状も良くいうようにもなっていた。
でも、まだ、この頃は、頭の記憶力も特には異常があるようには私には感じられなかったのだが、冬になる頃にはより一層、足の不自由さが増してきたのと、いよいよ、もの忘れが、目につくようになってきた。
それと、気になったのは「頑固」、「わがまま」、「やりっ放し」と精神面での異常な感じがこの頃より増えてきた。

私は、そういう症状を見ていながら、もともとこの友人は、割りと身の回りの管理もだらしなくて、また、かなりわがままな性格だったので、一般的な「老化」だと軽く考えていた。

今年の初頭に、自宅で倒れていた彼を私が病院に担ぎこんだ。
医師の診断は「下痢が長期化したことによる衰弱での心不全」だということで、1ヶ月半の入院と精密検査となる。

色々な精密検査を実施し、特に内蔵にも異常はないので、まだ、この段階でも、「心不全と衰弱」という診断。栄養をつけてれば良くなるという治療方針に変わりない。

1ヶ月半の入院から、とりあえず職場復帰した彼だが、どうも体調が思わしくない。というより悪くなっているようにも見える。
「大丈夫?」と聞く私に、彼は、「自分の家に知らない人たちが時々遊びにくる。民生委員みたい。」という。
「いつ頃から?」と聞くと「半年くらい前から」だと。

この話を聞いた私がようやく「ハッと」気がついた。「きっと幻覚が見えてるんだ」、「レビー小体型認知症だ❗」。
気付くのが遅かった。確かに足腰の動きは「パーキンソン症状が出てる。」

元精神科医の私が「気がつくのが遅かった。」なんというとんでもないドジをしてしまった。

そんなこんなしているうちに、彼が自宅からいなくなってしまった。
徘徊である。家に戻る道がわからなくなってしまい、保護されて今は「病院に入院」している。

最近では、「レビー小体型認知症」の進行を遅らせる薬も開発されたが、効果はどの程度かわからない。

健康的だった昨年の彼の姿を思い出すと、哀れなほど別人のようになってしまった。

「認知症」とは、「頭のボケ」というイメージが強いが、「レビー小体型認知症」は、足腰の「パーキンソン症候群」が概ね「頭のボケ」よりも先に症状として出てくるようだ。

つまり、「パーキンソン病」だと診断された人が後に「レビー小体型認知症」だと診断が変わるケースも多いようだ。

入院後の彼は、投薬が効果を表しているのか幾分か回復しているようではあるが、あまり思わしくはない。

メディアでも、「レビー小体型認知症」をもう少し取り上げて一般的な認識度合いを上げて欲しいとも思う。

身近にいる「家族」、「友人」などが「レビー小体型認知症」に対する認知度合いが増えれば、初期の症状のうちに医師も対応できれば違った方向性になるように思う。

高齢化社会。ひと昔前は、「認知症が発症する前に寿命で亡くなっていた。
いまでは平均寿命も伸びた半面、「認知症」が多い。
果たして、長く生きて「認知症」になるのと、その前に「老衰」で亡くなるのとどちらが良いのだろうか。

その本人も、きっと「認知症」になる前にこの世を去りたかったように思います。

今後の彼の回復を祈っております。




今年の夏は何本?

2016-08-26 00:36:52 | 日記
今年の夏の暑さ、毎年夏の終わり頃になると「もうこの暑さいい加減にしてくれ❗」的にキレ始めてくる。

冬は冬で、「もうこの寒さいい加減にしてくれ❗」となるのだから、勝手な言いぐさといってしまえば、それまで。

7月の初めから、今現在までのおよそ2ヶ月間で、「食べたソフトクリーム🍦の数」おおまかに数えてみると、「150本」くらいになる。


大体、毎日最低でも1本は食べてる気がする。

この「ソフトクリーム」にはまったのは、最近、私のブログに時々登場している「23才の女性」の影響に間違いなくて、事の発端は、この女性と二人で出向いた「道の駅」の、ジャージー❓だったか、ガンジー❓だったかの牛の牛乳で作った「ソフトクリーム」を7月の初めに食べたことから始まる。

23才といえば「子供」だから、私のようなオジサンも「子供」に付き合った「飲食物🍴😋🍷」になりがち。だから暑い☀日は「ソフトクリーム」になる。この女性本人は、「デート👫」してるつもりなのだろうが、私は明らかに「子守り」してるようなもの。

ところが、そんなこんなで何回かあちらこちらで「ソフトクリーム」を食べてるうちに、「それぞれに味がかなり個性的に違う」ことに気づきはじめる。

こうなると「探索」というか「捜索」というか「美味しいソフトクリーム」を探し始めることに「火🔥」がついてしまう。

観光地や道の駅では、必ず買って食べる。200円弱の値段のものは、なんとなく「水っぽくて直ぐにとける」。
でも、サークルKのレジ脇で作ってるものは、150円程度のリーズナブルさでも、「しっかりした食感とジャージー牛っぽいミルクの味」で美味しい。1日で、5本サークルKで買って食べた日もあった。そもそも年中「アイスクリーム」を食べてる私なので、今年の夏は、「ソフトクリーム」にはまってしまった。

昨日も、仕事の用向きで、「新潟郊外の弥彦神社」の近くに行くと、「お菓子屋さんの店先にソフトクリーム🍦の垂れ幕」が下がっていた。300円と書いてある。

早速、「バニラ1本」買って食べてみると、濃厚なミルクの味とトルコアイスクリームのような粘りのある「個性」のあるソフトクリームだった。



このペースでいくと、この夏は「ソフトクリーム200本」は確実なラインになってきた。

実際のところ、ファミレス🍴🏠でも、カラオケ🎤🎶でも「似たようなアイスクリーム」を食べてるから、アイスクリーム消費量は相当な数になるはず。

「白牛乳」を全く飲まない私であるが、その他の乳製品には割りと目がないという変人でもある。

ソフトクリームといえば「バニラ」。その他の味は「邪道」。なんてこだわってる。

東京から新潟の私のもとへ、一途に毎週1回は、やってきたいとセガム「この女性」の熱意に免じて、月1日くらいなら「付き合ってやるよ。」と言ってはみたものの気分的にはやはり「子守り」。割りと疲れるものです。
まあ、本来ならかなり贅沢な悩みなんでしょうね(笑)

八方塞がりの今年。やはり・・。

2016-08-23 01:27:10 | 日記
今年の年始に最寄りの神社へ参拝に出向いた。どうやら今年は「八方塞がり」の年のようだということで厄除け祈願に。
迷信のようだが、無視も出来ずに。

8月の現在、確かに今年は年始から色々と「八方塞がり」を実感するような出来事がやたら多かったと思います。

体調が年始からずっと低迷しているように思うし、また、プライベートでも業務上でも予想すらしないようなトラブルが結構続いた気がする。


ただ、私の考え方は後々振り返ってその時のトラブルを思い返して見ると、割りと「必要なトラブル」だったということが多いので、悲観的にはあまりならない。

いわゆる「災い転じて福となす。」という思想を幼少期のころから、祖父母から耳にタコができるくらい聞かされていた。

世の中に、「神」がいるか「仏」がいるか実体が見えないからなんともいいがたいものの、天文学的に考えるならば「十二支」や「厄年」、「八方塞がり」などは一理あるように思っている。

特に今年は、目立って「えー。この人ってこんな人だったの⁉」とガッカリするような局面が割りに多くて、私のほうが良心的に物事を考えていてもそれを逆手にとられて不快な思いをするケース。しかも、私としては割りと親しくしていたつもりの人間関係での出来事なわけ。

それが、またまた、「神」から警告を受けたように自分勝手ながらそう思ってしまう。この相手とはあまり深入りした付き合いをしないほうがいいよ。っていう感じの警告⚠でしょうか。

その半面、当初はあまり深入りしたくないなぁ。と思っていた相手のフトコロの深さや人間の器の大きさを感じて思わず「見習わなきゃ!」って好感触に思うこともある。

「八方塞がり」の年というのは、自分のこれから生きていく道のりに、必要な人間や物事と不必要な人間や物事をそれぞれ振り分けて私に再認識させてくれる年のように思う。

数年前から、我が「新潟の事務所」の取り扱い業務の見直しを事務所内で検討してきた。
国際親善、日中友好、在日の外国人たちの手助けなど。ボランティア精神もあって、ヤリガイを持って業務を進めてきたのだが、いまから20年前と現在は、外国人や外国人を家族にもつ日本人の考え方やそれを取り巻く状況も大きくかわってきました。最近では「空しさ」さえ感じることがあります。

価値観の多くが「お金」なのでしょうか?人間同士の信頼関係が最重要項目の価値観だと思っている私や私の事務所の職員たちは、来年に向けて「取り扱い業務内容」と「人員構成」の大幅な見直しにかかることにしました。

いずれ、このブログにて、「取り扱い業務の変更」についてはお知らせする予定でおります。

「八方塞がり」の年を有意義に過ごしたいものです。







蕁麻疹の原因は❔

2016-08-18 01:03:41 | 日記
先週末からの「お盆」の墓参りであちこち慌ただしく睡眠もあまりとらずに動いていたんですが、14日の夜あたりから、身体のあちこちの特に皮膚の軟らかいような部位に細かい「赤い発疹」が沢山出てきた。ヤバい。

「あーっ。蕁麻疹だ❗」と思ったのだが、あまり痒くない。手のひらや足を中心に無数に発疹が出ているので、もしかしたら、夏によく流行する「手足口病」かなとも思い、「お盆明け」に友人の「皮膚科」に行ってきました。

結果、どうやら、「ストレスと疲労がたまりすぎた結果、免疫力が下がり、蕁麻疹が出た」ようです。つまり、体力的にも、いつまでも若くはないということでしょうか。

確かに、6月の上旬から「事務所内の人間」関係で普通ではおきないような出来事がおきてしまい、私自身の神経や体力をかなり疲労させたということはありました。

それにしても、五十数年の人生の中で、「蕁麻疹」にかかった記憶もなくて、ちょっとビックリしてしまいました。

幸い、顔など「目につく」ところにほとんど発疹が出ていないので、仕事をする上ではあまり支障はないものの、この蕁麻疹に伴う「身体のだるさ」と痒さには少々手こずっております。


話かわって、このお盆中に、病気で自宅療養している友人のお宅にお見舞いに行ってきました。
この友人とは30年来の付き合いなのですが、「脳梗塞を2回」発病したこの友人は、自力で歩くこともままならず、また、話す言葉もロレツがうまく回らず、それに右目は脳梗塞の後遺症からくると思われる「白内障」になってしまい、ハツラツと元気一杯だった以前の彼とは全く別人のようになっていました。

私が「蕁麻疹が出て困ってる」と彼に話すと、「俺も蕁麻疹ぐらいの程度の病気だったらいいんだけど、脳梗塞なんていっこうに良くならないし、悪くなるばかりだから、ほんとに生きてるのが嫌になるよ。」と。

今年、確か彼は62才になったはずだけれど、それにしては、ずいぶんと「老人」のように見えてしまう。

水分の摂取制限をして、サウナに入り汗を出し、身体をシェイプしようとしたのが、「脳梗塞の発症」の原因だったと彼は言う。
なので、私にもしきりと「おまえも夏なんだから水分をちゃんととれよ❗」とうるさいくらいに言う。

彼の「老いたような衰弱した姿」をみれば、当然、私とて言われるまでもなく「水分補給」を気にしはじめる。

療養中の彼も大変だと思うが、それに付き添っている家族も大変だと思う。

まだまだ。暑さが続くこの夏。
このブログをご覧のみなさんも「水分補給に気をつけて脳梗塞や熱中症」にならぬように留意してくださいね。
今は、脳梗塞を発症しても早いタイミングで対処すれば、後遺症も少なくて済みます。
いつもとは違う身体のフラツキや手足の動きの悪さなどの体調の変化があったときには、速やかに医療機関への受診をおすすめします。

それにしても、軽い病気である「蕁麻疹」でも私には痒くて・・・。けっこうナンギではあります。が。(苦笑)



進む高齢化社会と近未来。

2016-08-11 15:50:33 | 日記
今年も間もなく「お盆」をむかえます。
生まれ故郷の「佐渡島」の先祖代々の墓参りから始まって、神戸、鎌倉と3ヶ所のいわゆる身内の墓参りということで、お盆の3日間は、船、新幹線、飛行機✈、高速道路を車でと、あらゆる交通機関を利用してのあわただしい3日間になります。

その他、私の仕事上でのお付き合いのあったお客さんの「新盆」も今年は新潟県内で3ヶ所あります。
糸魚川市、新潟市、柏崎市。

なかなか身体ひとつで、それぞれのお墓参りもままならないので、今年は先週辺りから、早々と「お客さん関係」に墓参りについては、すでに出掛けておりました。

20年ほど前には、「お墓参り」に出向いた客先のお宅には「たくさんの子供、若夫婦」がいらしたもんですが、最近は「高齢者」ばかりが目につきます。お盆のお墓参り自体、最近は「簡素化」しているのか、親族全員が集まることもないようです。


私の仕事上のお客さんとなると、「外国人」も多いわけで、日本人のご主人が高齢で亡くなったあと、外国人の奥さんが「家を相続」するケースも多々あり、でも結局、亡くなったご主人の身内の方は、奥さんが外国人ということで、きまってやがて疎遠な付き合いになってきます。

そういうお宅に「仏壇参り」に伺うと「ポツン」と外国人の奥さん一人だけの「お盆」。

結局、日本人の旦那さんが亡くなったあとは、大概5年以内には「家を売却」して本国に帰るか、日本にいる同じ国の友人を頼って引っ越してしまいます。

いちまつの寂しさを感じるものの、結局、少子高齢化がまねいた「日本の最大の問題点」を見るような思いです。

経済状態が良くないのも、いわゆる「納税の働き頭」たる若者が少ないこと、また、その若者たちを「育成する側の社会」も「ブラック企業」も数多くて、若者も「夢も希望」もなくなって社会から外れて行ってしまいます。

バブルの時代に「浮き足だった」ツケが今に影を落とし続けています。

日本にやってくる外国人は、大概、「ジャパンドリーム」を夢見て来日していますが、実際の日本は「頭でっかちの下半身が今にも折れそうな」体型。

長年、私と一緒に仕事をしてきた人間たちも「高齢者」になってきました。

「痴呆」、「徘徊」、「車椅子」、「度忘れ」、「年金支給日」、「亡くなった」、「介護施設」、「紙オムツ」、「デイサービス」などなど。
日常会話のほとんどに毎日のように登場してくる単語。

私の知り合いにも、「子供から見捨てられた」人がいます。痴呆が始まり、足が不自由になり、わがままばかりいう親を「施設に入れる費用がない」ことから、親との連絡を絶った50才台の息子さんもいました。

結局、自分自身が生きていくのも「いっぱいいっぱい」の息子さんには、「親の介護」は無理だったのでしょう。

経済大国と言われた「日本国」も遠い過去の話。

私の友人の中にも、「日本は、公務員のために庶民がせっせと働いて納税して、その庶民がなんらかの事情で働けなくなるとすぐさま財産の差し押さえをしてきて、庶民を壊れた機械部品のように簡単に切り捨てる。どれほど公務員が偉いんだろうね。」と怒っている人も年々増えてきています。

東京新宿の「ホームレス」の人たち。
なんからの事情で、そういう生活になったのだろうが、新潟から東京町田の自宅に帰る私の道すがら、目にはいる「ホームレス」の人たちの数も増え続けているように見える。

「経済大国」ではなく、「ホームレスの高齢者」というのが、今の日本なのではないでしょうか。

働いている庶民が、「小さな夢」を見れるような、あるいは高齢者が安心して老後の日々を送れるような、そんな「文明国として当たり前」の時代がこれから先の日本には果たしてくるのでしょうか。

私の友人の「中国人たち」が私に、「日本に期待しても無理だから中国に移住しよう。」と誘ってきます。

なので、日本人の旦那さんが亡くなった「中国人の奥さん」から、「中国に帰ろうかな?」と相談を受けたときには「そのほうがいいよ。」と返答しています。

本当は「日本にいたほうがいいよ。」と日本人の私は、言いたいのですがね。残念でなりません。