3足わらじのバーボン

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

目眩に冷や汗の正体とは?

2016-07-29 01:16:59 | 日記
最近、このブログに時々登場している「23才の女性」が、友人のことで相談があるという。

その友人というのは、自分の仕事仲間で、同じ「23才の女性」だということなのだが、3ヶ月ほど前から、「時々目眩と立ち眩み、心臓の動悸、冷や汗」の症状が出てくるという。

仕事が忙しくて、休みは月に2回程度で、夜昼なく仕事をしているらしいのだそうで、「少し休んだら?仕事のし過ぎじゃないのかな?」と当初は私はそのように返答していた。

先週になってから、「症状が悪くなっている」というので、詳しく症状を聞いてみると、どうやら「パニック障害」になっている可能性が高い。


「電車の中」、「バスの中」、「高速道路」、「人混み」、「エレベーター」、「トンネル」、「橋」などが苦手になり、「動悸がして、気が遠くなって今にも死にそうになる」という。

本来なら、しばらく仕事を休んだらいいのだろうが、彼女たちの仕事柄休みを取るわけにもいかないようだ。

実は、私も20代の前半の年齢のころに、「パニック障害らしきもの」を患っている。

50才を過ぎた今現在も完全には治っていないように思う。私が患った頃はまだ、「パニック障害」なる病名もはっきりとは確率されてはいなくて、「自律神経失調症」だろうなんて医師からは診断されていた。という私もその頃は、精神科を専攻していた「医大生」だったので、自分でもそう思っていたのだが。

やがて、数年の後に、「パニック障害」なる症状が頻繁に「メディア」でも紹介されるようになり、その時点でようやく「私の症状がそれ」にぴったり当てはまることがわかったという、なんともお粗末な「医大生」だったわけなんですね。

話を戻して、この彼女に「心療内科」への受診をすすめるとともに、これ以上症状が進むとなかなか完治するのも難しいように思えることから、「仕事を変えるなどして、少し環境を変えるように」話しました。

「パニック障害」なるものは、なった人しかわからない「大変重とくな症状」が出てとてもつらいものです。

この彼女のまだ長い将来をかんがえると現在の仕事を辞めるのも仕方ないように思いました。

それにしても、この彼女の相談を私に持ち込んだ「23才の女性」の意外な一面を見たように思いました。
もっと、バサバサした性格で、おおざっぱで、自分中心の性格なのだろうと思っていたら、「面倒見が良くて、思いやりがある」という今時の若い女性にしては、古風で「なかなかいい娘」だなぁ。と見直したりしていました。口先だけで、「心配している」のではなくて、親身になっている様子に好感が持てたりしました。まだまだ、人を見る目があやふやな私です。

憂慮すべきは、どうも最近、時代が良くないのかなんなのか、不況が長続きしているせいなのか、あるいは個人主義が加速しているせいなのか「心療内科」や「精神科」に通院する人たちが、増え続けているようです。

この日本、もう少し、将来に「夢」を持てるような世の中になってくれると良いのですが、「結婚」にしろ、「仕事」にしろ、「子育て」にしろ、「老後」にしろ。

どんどん、「心療内科」や「精神科」の病院が増えてきていることに、危機感を感じているのは私だけではないと思いますがね。




梅雨明けの新潟市。

2016-07-25 16:26:14 | 日記
先週の「梅雨明け」から連日、気温30度をこえる「暑い新潟市」です。



私が20代の年齢のころは、自家用車に「クーラー」がついているのは、いわゆる「高級車」に限られていたわけで、排気量2000CCクラスから上のクラスが主。

今では、「軽自動車」にもほぼ80%以上のエアコン装着率です。なんとも楽な時代になったのもあり、また、それに慣れている私もいて、なかなか、炎天下に「外」で過ごすという時間も少なくなってきました。

というわけで、身体が鈍るのを防ぐ目的として、休日は、炎天下に「海釣り」。平日の夜は、週三回「スポーツセンター」で「ジム」や「軽いランニング」をしています。

先日、いつもの「海釣り場」でサバやアジを釣っていたわけですが、私の近くに「良く日焼けした」男女が釣りをしていました。

十センチほどの「アジ」を釣っては、「キャッキャ」と喜んでいるこの男女に、「いつも、釣りに来るの?」と質問してみたら、「ヨク ワカラナイ ハジメテ」と変な日本語。
「海は初めて?」と聞くと「ハジメテ❗」という。

この段階で、「黒グロと日焼け」していたのではなくて、「ジグロ」なんだということを理解した私。

この「ジグロ」の二人は、「アジ」を「酸っぱ辛くカラアゲ」にすると美味しいと、「英語」で私に話しかけてくる。
「そうだった。フィリピンでは酸っぱ辛いんだった。」とそれも美味しそうと納得したものの、いままで、「海釣り場」で外国人に出会ったのは初めて。やはり、国際化が進んでいます。


私の釣った「アジ」50匹を彼らにすべて「あげて」、「また、ここで会いたいね。」とその場を去ろうとする私に、「缶コーヒー☕」を5本「お礼に」くれた彼ら。
「夜の飲食店」とかではなくて、ホントにまた「ここで」会いたいものです。




この三連休は「座骨神経痛」にて。

2016-07-19 00:07:22 | 日記
通常、三連休となると、東京町田の自宅に帰っているところなんですが、先週の木曜日あたりから、「座骨神経痛」の症状が腰と左足の全体に出始めて、歩くのもしんどいし、かかとは痛くなるしで、「新潟」で大人しくしてようと思っていました。

座骨神経痛は、私の場合、20代の年齢のときから、1年に1度くらいの割合で発症するので慣れっこにはなってるのですが、それにしても毎回思うのは、単に痛いんじゃなくて、シビレや感覚異常が腰から足にかけて広く出てくるので、つらいものです。

というわけで、先週末から大人しくしてようとしていた私ですが、そういう時に限ってなぜか「電話が鳴る」ものです。

私の家内の妹から、「今日明日は仕事休みだから、これから新潟に遊びに行くよ❗」。
神奈川県の平塚が自宅の妹。この電話の5時間後には、もう新潟に到着する。
愛車のカワサキGPZ900Rという大型バイクで「忍者のように」高速道路をすっ飛んでやってくる。
このバイク、ライダー達からは、「ニンジャ900」という有名な通称がつけられている。

てなわけなので、大人しくしてもられないので、痛み止を飲んで、「妹」を出迎えることに。

新潟に到着するやいなや、「信濃町のソバ食べに行こうよ❗」。

二人で私の車に乗り、いざ、「高速道路」で長野県信濃町へ向かう。
私も家内も妹も、この信濃町のソバがとてもお気に入りなことで楽しみだったのか、痛み止が効いたのか、さして痛みが出ずに「信濃町の黒姫物産館」に到着し、いつもながらの「もりソバ」を食べてまた「痛み止」を飲む。



ゆで卵が「3個110円」と「もりソバ」。ベストマッチ。というか定番。
素朴なソバの味。ソバらしい味。とても美味しい。

ただ、バイクに乗り、この「もりソバ」を食べるために、平塚市からやってきた「家内の妹」。
その妹の満足そうに「もりソバ」を食べている顔を見ているうちに、私のほうも気が紛れたのか、帰路の新潟市まで「座骨神経痛」がおさまっておりました。

が、しかし、そんな甘いものではなくて、その日の夜中2時、足が痛くて目を覚まし、朝まであまりの痛みで「一睡も出来ず」でした。

足がシビレて、痛い。かかとも痛い。オシリも痛い。腰も痛い。
「座骨神経痛」予防には、ストレッチ運動が必要なんですが、この3ヶ月ほど忙しさにかまけてサボっていました。

さぁて、明日から「ストレッチ、ストレッチ❗」。

気分転換の「アジ釣り」。

2016-07-11 17:27:50 | 日記
この6月から、公私とも「トラブル」やら「人間関係」やらで、いささか疲労感があったので、気分転換に昨日、新潟市日和山海岸へ「釣り」に出ました。
友人間の情報交換では、十センチ弱のサイズの「サバの子供」と「マメアジ」が釣れているということだったので、新潟の自宅マンションの「海水魚水槽」に入れて飼育する数匹を釣れば良い程度に「軽く考えて」現地へ向かいました。


ちょうど「お昼時」だったので、コンビニでオニギリ🍙とコーラを買って、釣り場で食べようと。

竿に仕掛けをセットして、海へ投げ入れ、「さぁ、オニギリ🍙」と思っていたら、もう竿に当りが出ている。

いわゆる「サビキ」という仕掛けなので、釣り針が6本ついている。
仕掛けを引き揚げてみると、「マメアジ6ぴき」がかかっている。
いわゆる入れ食い。

結局、釣り場に二時間いたのだけれど、オニギリ🍙は食べる時間もなく、温かくなった「ペプシコーラゼロ」を半分ほど飲んで、「マメアジ150匹。

元気の良い「マメアジ」を20匹をバケツに活かして持ち帰り、後の130匹を「唐揚げ」用に持ち帰りました。

我が家の「海水魚水槽」には、昨年、釣った「先輩のマメアジ」が既に五匹入っていて、一気に水槽内が手狭な感じになってしまいました。

釣りというものは、「前日からしっかりと支度すると釣れず」という感じがあり、昨日のように「フラッと」出かけると「大漁」になってしまうことがよくあります。

普段、食べているような「魚」を「水槽で飼う」というのが、若い頃から趣味の私。

水槽にいる魚達は、皆、私に馴れていて「可愛いもの」です。

「水槽のタイやアジを見ながら」、スーパーで買ってきたタイやアジの刺身を食べるなんて、「水槽内で私にナツイテいる魚達はどんな心境だろうか」と思いながら、この日、大漁だった「マメアジのカラアゲ」を食べておりました。

いつもながら、こんなに旨い「アジのカラアゲ」は、どこにもない。なんて思って満足してました。

フランスより戻った友。

2016-07-10 00:41:01 | 日記
先月の18日、19日にかけて、フランスのサルテサーキットで、歴史ある「ル・マン24時間自動車レース」が行われた。


世界の三大レースの1つでもあるこの有名なレースで、今年、悪夢というか、茫然自失としてしまう出来事が起こってしまいました。

このレースでは毎年、世界の有名な自動車メーカー達が、「走る芸術品」とでもいうべき、「レーシングカー」を持ち込み、「24時間をいかに速く、いかに燃料を使わずに走る」というただ単に速いだけでは勝つことのできない過酷なレースでもあり、ある意味緻密はレースでもあります。

自動車大国の日本といえども、60年を超える、長いル・マンの歴史のなかで、「日本車」が総合優勝したのは、「1991年のマツダ787B」のただ1台だけ。

今年の「ル・マン24時間」では、序盤から、ポルシェなどと互角以上の走りを見せていた「トヨタ」。

レースの終盤戦、23時間を経過した段階で、「トヨタ」が先頭を走り、ポルシェなどを従えて横綱のような走行をしていた。
誰しもが、「マツダ」以来の「日本車の総合優勝」を確信していた。

23時間57分、つまり、あと3分で24時間となり、トヨタが総合優勝となるその時に、想像もできないような出来事が「ル・マン史上に刻まれる」ことになった。

「トヨタ」のドライバーから、「突然の無線がピットクルー」に入った。
「ノーパワー!ノーパワー!」。
パワーを失って、スピードがみるみる落ち初め、やがて停止してしまう。

「トヨタ悲願の初優勝」が、この瞬間に「ガラガラ」と音をたてて崩れる。

このレースは、24時間走りきらなければ完走扱いとはならない。

その脇を「ポルシェ」が走り去り、首位が「トヨタ」から「ポルシェ」に入れ替わる。

「こんなことがあってもよいのか。」と、がく然としている「トヨタ」、「ポルシェ」の両陣営。

私の30年来の友人が、当日、この「トヨタ」の技術陣営の中にいて、当然、この時に「悪夢」に遭遇していた。

1991年、当時、私は本職の他に「趣味と実益」を兼ねて、マツダのロータリーエンジンに没頭していた。
その頃、この友人も、「トヨタ」に没頭していた。

マツダのロータリーエンジンは、13回のル・マン24時間挑戦の末に、名だたる自動車メーカーのトップに立ち、総合優勝をした。



この時点で、私は、本職に舵を切りなおし、自動車レースから離れたのだが、友人は「トヨタ悲願の初優勝」を「重く肩にのせて」ひたすら、レースカーの開発に当たっていた。

今年の5月、「今年は、良い車が出来上がった」と彼から電話があった。
「もしかしたら」、と私は思っていた。

栄光をつかむ寸前に「ドン底」に落ちたような心境の彼は、レースが終わってから直ぐに「日本に帰国」しなかった。というより、気持ちの持って行き場所がなくて帰国できなかったというのが正しいかもしれない。

今週、帰国した彼を「空港に出迎え」た。私も彼も「目を見合せるだけ」で何の言葉も出てこない。

20分の沈黙のコーヒータイムの後、彼が「我々には、マツダのように風が吹かなかった」。えっ、と聞き返す私に「神風が吹かなかった」と。

毎年、この時期に行われるこのフランスでのレース。
何故だろうか、日本車にはなかなか「勝利の女神が微笑んでくれない」。

あたかも、「また来年、顔を洗って出直してきなさい」と言ってるように。

彼との別れ際に、「どうするこれから?」と聞く私に、「決まってるだろ!山は頂上まで登るものだろ!」

なんだろう、別れ際に去っていく彼の後ろ姿に、「来年の初優勝」の「チェッカーフラッグ🏁」が見えたような気がしました。