今日のニュースは、オバマ大統領の広島の訪問に関することで持ちきりだったようですね。昨日から「バタバタ」していた私は、夕方にそのニュースを目にしました。
広島の地にたったオバマ大統領の心中は想像すらできず、きっと、ものすごい複雑な緊張感に包まれていたのであろうし、当然、それを迎える側の日本の政府関係者全員の心中たるや想像を絶する緊張感に包まれていたのだと思う。
日本の外交力の高さと日本とアメリカの関係性に、今日のこの出来事に対して「危機感」を感じたのは、「中国と韓国」だっただろうし、特に
「日本に対する戦後補償」を主張し続けていた韓国は、「国際社会から取り残されたような」アゼンとする出来事だったのかもしれない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/12/9036c6b773fc0ac2ccef3445ee0d718d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/50/189875c32fa384ba80173eb784ae7c16.jpg)
日本にとっては「戦争」は、もう2度とあってはいけないものだろうし、ましてや、この「原爆」の威力はどの国とて人類を滅ぼしかねない「地球上から廃除すべきもの」であるという認識は誰しもがあるはず。
私の友人の中には、かつて「軍国主義」だった日本の「実力」を高く評価してほめたたえている人間も何人かいる。
しかし、この「ほめたたえている人間たち」の身内、親族内には「戦死者」がいないということが紛れもない事実が現実としてあるように思う。つまり、悲劇の「実感がない。」のだろうと。思う。
身内に戦死者が複数いる私には「戦争」などというものは、「2度と繰り返すべきものではない。」、「人間同士の殺しあい」など愚かな行為以外なにものでもない。という思いが強い。
さて、全く、話変わって、今日、5月27日は、個人的に私自身にとっては、「生涯、死ぬまで忘れ得ぬ日」なんです。
今年で私の2番目の家内が旅立って「まる9年の月日」が流れました。
その関係で、仕事を中断し、昨日から、とんぼ返りのように、「新潟と神奈川県と東京町田を往復」しておりました。一般の主婦とは全く違う仕事をしていた家内の「墓参り」と「墓参りに来てくれた方々」との応対に慌ただしい2日間でした。
今日の「鎌倉」は、穏やかな日和で「湘南の海」がよく見えました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/e7/8480bb97f6cb842109f5566eae3d2a96.jpg)
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家内の「ベージュ色っぽい、大きな墓石」の前に座って語りかけることわずか30分。
毎年のことではあるけれど、まるで、私が「統合失調症」にでもなって「幻聴」が聞こえてるのかと思うほどに、「私の語りかける言葉に家内の返答が聞こえてくる。」。
霊の存在を実感している私。
私だけかもしれないが、男というもの、女の何処に惹かれるのかと常々考えるのだが、9年の歳月を経て「容姿の記憶」が薄くなっても、なお、絶対に忘れ得ぬ「声」と「匂い」。
「もうそろそろ、私のことを気にしないで、再婚でもしたら?」
と家内の「ちょっと鼻にかかった、やわらかい声」が聞こえるのと「ちょっと甘い柑橘系」の家内の匂い。
「一緒にいて、落ち着ける声と匂いを持った女性がいたら、老人になる前に再婚でもするよ」と答える私。
次に「鎌倉」に来るのは「お盆」になるだろうか。
人類にとっては「歴史的な日」となった今日。
私にも「生涯忘れ得ぬ日」の5月27日が今年もまた、たおやかに過ぎて行きます。
広島の地にたったオバマ大統領の心中は想像すらできず、きっと、ものすごい複雑な緊張感に包まれていたのであろうし、当然、それを迎える側の日本の政府関係者全員の心中たるや想像を絶する緊張感に包まれていたのだと思う。
日本の外交力の高さと日本とアメリカの関係性に、今日のこの出来事に対して「危機感」を感じたのは、「中国と韓国」だっただろうし、特に
「日本に対する戦後補償」を主張し続けていた韓国は、「国際社会から取り残されたような」アゼンとする出来事だったのかもしれない。
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日本にとっては「戦争」は、もう2度とあってはいけないものだろうし、ましてや、この「原爆」の威力はどの国とて人類を滅ぼしかねない「地球上から廃除すべきもの」であるという認識は誰しもがあるはず。
私の友人の中には、かつて「軍国主義」だった日本の「実力」を高く評価してほめたたえている人間も何人かいる。
しかし、この「ほめたたえている人間たち」の身内、親族内には「戦死者」がいないということが紛れもない事実が現実としてあるように思う。つまり、悲劇の「実感がない。」のだろうと。思う。
身内に戦死者が複数いる私には「戦争」などというものは、「2度と繰り返すべきものではない。」、「人間同士の殺しあい」など愚かな行為以外なにものでもない。という思いが強い。
さて、全く、話変わって、今日、5月27日は、個人的に私自身にとっては、「生涯、死ぬまで忘れ得ぬ日」なんです。
今年で私の2番目の家内が旅立って「まる9年の月日」が流れました。
その関係で、仕事を中断し、昨日から、とんぼ返りのように、「新潟と神奈川県と東京町田を往復」しておりました。一般の主婦とは全く違う仕事をしていた家内の「墓参り」と「墓参りに来てくれた方々」との応対に慌ただしい2日間でした。
今日の「鎌倉」は、穏やかな日和で「湘南の海」がよく見えました。
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家内の「ベージュ色っぽい、大きな墓石」の前に座って語りかけることわずか30分。
毎年のことではあるけれど、まるで、私が「統合失調症」にでもなって「幻聴」が聞こえてるのかと思うほどに、「私の語りかける言葉に家内の返答が聞こえてくる。」。
霊の存在を実感している私。
私だけかもしれないが、男というもの、女の何処に惹かれるのかと常々考えるのだが、9年の歳月を経て「容姿の記憶」が薄くなっても、なお、絶対に忘れ得ぬ「声」と「匂い」。
「もうそろそろ、私のことを気にしないで、再婚でもしたら?」
と家内の「ちょっと鼻にかかった、やわらかい声」が聞こえるのと「ちょっと甘い柑橘系」の家内の匂い。
「一緒にいて、落ち着ける声と匂いを持った女性がいたら、老人になる前に再婚でもするよ」と答える私。
次に「鎌倉」に来るのは「お盆」になるだろうか。
人類にとっては「歴史的な日」となった今日。
私にも「生涯忘れ得ぬ日」の5月27日が今年もまた、たおやかに過ぎて行きます。