3足わらじのバーボン

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寒々とした連休初日。

2016-04-29 22:33:25 | 日記
ゴールデンウィークだというのに3月のような「寒々とした連休初日」の新潟市です。

毎年のこと、6月の「バイクツーリング」で1週間ほど仕事を休む私としては、GWは、仕事も通常で、特別これといって旅行にいくわけでもなく、普段どおりに過ごす予定です。

スケジュールとしては、連休の中盤は、東京町田の自宅で過ごすことにしていますが、前半と後半は新潟で過ごすことにしています。

唯一、6月の長距離ツーリングに向けて、体ならしとして日帰りツーリングを友人たちと5台ほどで、山形県の「鳥海山」まで行くことを前半で計画しています。

さて、「鳥海山」というと「出羽富士」とも呼ばれる悠々たる姿かたち。
「鳥海山ブルーライン」を山頂までひた走り、標高1500メートル強まで景色に飲み込まれて、崖下に落ちて行きそうな怖さを感じながら走っていきます。

今の時期、鳥海山のふもとには、「タラの芽」や「ワラビ」が沢山姿を現しています。バイクに積めるだけの量をいただいてくるつもりです。



新潟市からは、片道4時間ほどでしょうか。道中、対向車線を走る「ライダーたち」とのすれ違い様の「ピースサイン」。
「ライダーたち」にしかわからない「ピースサインの往復」は、背筋がぞくぞくするような絶対的な感動。
この「ピースサイン」、長旅の疲れを癒すとともに、また、共にゴールまで無事にたどり着こうとする「マラソンランナー」のようなお互いの心境。
「がんばれ!事故起こすなよ!」と願いながら、「ピースサイン」を返す。
ツーリングを続けている理由のひとつがこの「ピースサインの往復」。

今年は、少々体のウエイトが予定どおりに絞りきれず、履きなれた「皮パンツ」がきつくて、60000円ほどの「皮パンツ」を新調しました。が、履いてみると皮が新しいので「ゴワゴワと固く」非常に歩きにくい。愛車の黒のカワサキZZR1400にもタイヤを新調しました。
したがって、今回の「鳥海山」は、体ならしと皮パンツならし、バイクのタイヤならしといったとこでしょうか。

天候が割りと不安定な今回のゴールデンウィーク。カメラマンとしてもそこそこの腕前の私に良い景色をうまく写真にできるとよいのですが。



リラクゼーションサロン開店1ヶ月。

2016-04-26 01:05:35 | 日記
私の女友達のリラクゼーションサロン開店に引き続き、私も「直営店」として、リラクゼーションサロンを開店し、1ヶ月が経過しました。

当初は、新潟駅前に私が所有する「自社ビル」内に開店を計画しておりましたが、昨年末からの新潟駅前付近の「客足の少なさ」に究極、長岡駅前のテナントを借りて営業を開始することとしました。

スタッフは、「日本人女性二人と中国人女性一人」の計3名にてスタートしました。設備投資等の営業開始までにかかった費用は、2百万円ほど。
いま現在の売上高を平均すると、およそ4ヶ月で設備投資費用は回収できる計算になります。

このリラクゼーションサロンは、他のサロンと違って、日本人女性二人の内の一人はいわゆる「ネイリスト」、もう1名は、「柔道せいふく師」で、中国人女性は、「中国式整体師」といずれも「有資格者」であって、風俗まがいの「エッチなサロン」ではないのです。

客層は、女性客が全体の7割を占めています。
そもそも、私自身が大学生の頃に「美容師」のバイトを3年ほどしていまして、美容師資格も保持し「女性を綺麗に仕上げる」ことにいまだ興味を持っていることから、このサロンの開店につながっているわけです。

なぜまた、リラクゼーションサロンの事業展開かというと、私の場合、ひとつの仕事に執着すると「職人気質の性格」ゆえに執着もかなり深くなり、「ストレス」を溜め込んでしまう傾向があるので、あえて、いくつもの仕事の中に身をおいて神経を分散しているわけなんです。

1ヶ月の結果、どうやら、私の営業方針や目測がある程度、的を得ていたようで、営業利益も次第に上がってきています。スタッフ全員、もともと、私の女友達で3年ほど前からこの計画のために育成してきた人物なので、スタッフ間のトラブルもなくいまのところ推移しています。

来店されるお客さんたちは、ストレス社会だからか、「キャバクラの店員さん」も「OLさん達」も全身の凝りがかなり激しいようです。

もっとも、「スマホのやり過ぎ」もかなりの原因だろうとは私個人は思いますが。

続報は、またのちほど。


21年の歳月。

2016-04-23 12:40:03 | 日記
今日は、天候もよく気温の高い新潟市。早朝から、ふらっと、私の親友のもとへ向かいました。先週あたりから「寂しそうな顔」で私の夢の中に姿を現していました。

新潟県上越市旧名立町は、とても穏やかな心地よい風がふいていました。


20数年前、私も親友だった彼も「まだ若く血気盛んで正義感も人一倍強く、悪を許せない」そんな時代でした。

とある21年前の出来事で、日本の司法の世界のリーダーになるはずの彼が亡くなってしまいました。

私もそれ以来、第一線の仕事から身をひき、現在に至っています。自宅が東京町田にありながら、新潟市で仕事をしている私。もちろん、新潟県生まれだということもあるのだが、私が新潟を離れたら親友の彼が寂しがるように思えて、「いつまで、新潟の田舎で遊んでるんだ」と私に言う「当時の同僚たち」も今は皆、立派になっている。

毎年この時期に、訪れる「新潟県上越市旧名立町」。誰にも自分の本音を話さない私。いまでも鮮明に記憶している21年前の出来事。

そんな私でも、今日は「彼」と一緒に高台から日本海を見下ろす。つい「彼」に対しては「本音」と「弱音」を吐いてしまう。

風の便りで、21年前の出来事もいよいよ解決に向けて「大詰め」を迎えるようです。

一時間ほど「彼とこんこんと話して」、気分的にもスッキリしたところで、朝から何も食べていないことに気がついた。

「イカの一夜干し」と「コーラ」。
私と彼が「バイクツーリング」でよく口にしたメニュー。


しからば、「柏崎フィッシャーマンズケープ」で遅めの朝食でしょうか。





従姉妹と付き合う?

2016-04-20 20:34:19 | 日記
私の友人が、従姉妹と交際を開始するようだ。私の友人というのは、52才の日本人男性で従姉妹というのは、ひとつ年下の日本人女性。
もちろん、将来的には「結婚」も視野に入れているようです。

私の常識からすると、「いとこ」というのは、親戚なわけで、「異性」というカテゴリーには絶対に入らない。わけです。

この友人は、五年ほど前に「前妻」と半年にわたっていがみ合った末に離婚しています。
離婚の原因は、「妻が他の男に走った」ことのようでした。

離婚してから2年ほどは、気落ちして半分鬱のような彼でしたが、昨年辺りから気持ちが吹っ切れたのか、「いい女いないかなぁ。」と都度都度口にするようになりました。

先週私に、「従姉妹と付き合うことにした。」と電話がきました。
この従姉妹の女性も旦那さんと随分前に「死別」しておりました。
なにやら、以前から双方ともに「結婚願望の相手」としてお互いを意識していたようです。

今度の休みに、「シーサイドライン」をドライブし、デートするという。

いくら自分の身近に「女性がいない」からといっても「従姉妹❔かよ!」というのが私の率直な感想です。

「結構可愛いよ」という彼から「従姉妹」の写真を見せられても、正直、お世辞にも可愛いとは言えない。なんだか「鬼瓦みたいな顔してる」なんて口が裂けても言えないのだが。

この週末、「シーサイドライン」を走りながらニコニコしてる二人の顔を想像しようとするが、なかなかイメージも出てこない状況です。

私が彼に一言、「従姉妹とエッチするんだよねぇ?❔」と聞くと「当然だよ!」と言っていた彼は「しまむら」に春物のデート用ジャケットを買いにいくそうです。

さすがに、デートは、「いつもの作業用ツナギ」とはいかないようです。

私の女友達たちに、この話をしてみましたが、「えー!理解できない!」と口を揃えて答える始末。

女性は顔やスタイルじゃないと思う私でも、改めて、何気なくニコニコ笑っている私の女友達たちの顔を並べて見てみると、「皆、レベルの高い美人ばかり」のように見える。ふと、彼になんだか申し訳ないような気もしてきてしまう。

でも、やはり「従姉妹とエッチする」、「鬼瓦」には、いまだ、なかなか賛同出来ない私でした。

長岡市から届いた「ウド」。

2016-04-14 16:01:37 | 日記
昨日、10年来の顧客さんから、「ウド」の苗木と「ウルイ」をいただいた。わざわざ新潟市から五十キロほど離れた「長岡市」から持参していただいた。

この方は、今年75才になる。
奥さんは「中国大連出身」の中国人。
このご夫婦が国際結婚されたのが今から15年前になります。

いまから、5年前にこの奥さんが中国に残してきた「一人息子」を日本に迎える在留資格の取得を私がてがけました。

現在の入国管理局の法律では、親が日本に在住していて、未成年者の子女を日本に迎えるのは、比較的難解さも少なくて「在留資格の取得」が可能なのであるが、成人した子女を日本にいる親元に迎えることは、大変難しい難易度の高い「在留資格の取得」作業になります。

ここでいう「在留資格」というのは、一般的に「滞在ビザ」と言われているものの正式な名称です。

この中国に残してきた息子は既に25才になっていて、したがって難易度の高い在留資格の取得ということになります。思案した結果、親子で事業を一緒に営むという「条件」での「投資経営」という在留資格の取得作業となります。

足掛け2年の月日をかけて、ようやくこの「一人息子」が来日したのが3年前のこと。

親の子供を思う気持ちと苦労とそして多額な「在留資格取得に関する総費用、約七百万円」。そしてわれわれ事務所の知恵。

そんなことなど「お構い無し」に「日本は嫌い!」の一言で先月中旬に「一人息子」は帰国してしまいました。

その報告に「長岡市」からわざわざ「ウド」と「ウルイ」を持参して、当事務所にこの方は来てくれました。
一言、「中国人の息子が日本に来ていた期間は、自分の好きな山菜取りも出来ずに息子のわがままに振り回されていた」とこの旦那さんは私にこぼしました。
「やっと、自分の好きな山菜取りが今年からまた出来る。」と。

結果、成人した息子も気の毒なもので、20数年過ごした「中国」を離れて、何もかも違う「日本」に戸惑い、また、ストレスを感じ、「神経症」を患い、帰国しました。

このご家族のケースがすべてのケースに当てはまるとも思えないまでも、やはり、中国と日本の国の成り立ちが違いすぎるようにも思えて、「隣国」、「同じモンゴロイド」とはいえ、「外国」だということを考えてしまいます。

今年は、「山菜取り」を楽しむ。とニコニコと語っていたこのご主人、でもその笑顔の裏に「無念さ」を感じていた私でした。