3足わらじのバーボン

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温泉と冬の使者

2016-10-26 00:21:51 | 日記
この日曜、月曜日は、恒例の職場の温泉旅行でした。新潟市から車で一時間ほどの距離を前提条件にして毎年行き先を選び出しているんです。

一昨年、「咲花温泉」に行ったのですが、メンバー全員が「また咲花温泉」に行きたいということで。


まずは、宿に行くまえに、「ボーリング🎳大会」という企画で、私も友人の自動車鈑金塗装の松くんも20年ぶり位に「ボーリングの玉」を持つ。
当然、スコアはメタメタの状態ではあったものの、日頃使っていない筋肉を使い、一汗かいて気分は上々。また、玉を後ろに投げる人もでたりして、危険やら爆笑やらでした。

やはり、たまには「ボーリングで普段使わない筋肉を動かす」必要性は痛感していました。

さて、今回の宿は、一昨年とは違い、「源泉かけながし」を宣伝文句にしているこじんまりした宿にしてみました。
若干ぬるま湯傾向で長い時間入浴して「身体のコリをほぐす」的な露天風呂につかるというもの。

ユバナが豊富すぎて、ゴミなんだかアカなんだかユバナなんだかほぼ区別は不能。それでも、やはり源泉かけながし。
腰の痛みや肩こりもよく日にはずいぶん良くなってたような気がしました。

今回の宿の状態や食事、温泉♨にはほぼ満足しつつも、部屋の「カメ虫」の駆除にずいぶん時間をとられてしまいました。時節や場所がら「カメ虫」は発生していても不思議はないのだけれども、結局、部屋の中に40匹もの「カメ虫」。潰したりしたら、あの特有の悪臭を発するわけなので、「ティッシュペーパー」にやさしく包んで窓の外へ逃がす。を40回繰り返したんです。

「カメ虫」は、刺激を受けると、お尻の部分から「くさい液」を噴射するんですが、「密閉した入れ物」に入れて「くさい液を噴射させる」と、自らの悪臭で自分自身が死んでしまうことがあるというのは有名な事実。つまり、それくらい「クサイ」わけです。

きっと、来年の職場の旅行時には、この今年の「カメ虫駆除」の話題が出るのは必至なんだろうなぁ。と。

新潟へ向かう帰路、「冬の使者」である「白鳥」の群れを秋の空に見ながら、まもなくやってくる「長い新潟の冬」に気を重くしながらも秋を満喫したドライブでした。




六匹のかわいいやつ。

2016-10-23 00:11:40 | 日記
私の家には六匹の亀がいる。
それぞれ、我が家にきた時期は違うのだが、一番長い期間居るのは、「日本くさ亀」の「ノラ」。
田舎道の田んぼ近くの農道を歩いていたのを拾ってきたから「野良」という名前。もう我が家に15年住んでいる。

我が家にきたばかりの頃はまだ、子供だったので甲羅や身体に黄色い線が目立っていたが、大きくなるにつれて全体が黒々とした色に変わってきた。亀に詳しい方ならもうお分かりだろうが、つまり、「オス」なわけで、身体の色で「日本くさがめ」は性別は分かりやすい。ちなみにメスは大人になっても身体の黄色線は残っている個体が多い。
人懐こくて、とてもかわいいのが「日本くさがめ」の特長。「ノラ」の他に後2匹の「日本くさがめ」が我が家には居る。


上の画像が、「日本イシガメ」の「すすき」。体色が秋の「ススキ」みたいだから「ススキ」。
下の画像がいわゆる「ミドリ亀」の「カン」。「蒲原まつり」で買ってきたので「カン」。
小さい子どものうちは、人懐こくて可愛い通称「ミドリ亀」の「ミシシッピー赤耳亀」。大きくなるにつれてだんだん「噛みついたり」結構、暴れん棒になる。
可愛いから「祭り」で「ミドリ亀」を買ってきたものの、大きくなって「乱暴」になってくると手に追えず「近くの川や沼」に捨てる人が多いようです。

日本にも「スッポン」という「有名な噛みつき亀」がいるが、このスッポンなんかよりは、ずいぶんとおとなしい「ミシシッピー赤耳亀」でも手に追えず捨てるようである。

生き物は、飼う時に「結構な覚悟」をしてから飼うべきで、「可愛いから」なんて理由だけでは、軽々しいもの。
ちゃんと、生態やエサ、寿命などをよく頭に入れてから飼うべきだろうと思う。


昨年あたりから、私の友人たちにも「亀ブーム」がきており、「日本くさがめ」を6人の友人たちが飼っている。

水替えの手間を惜しまなきゃ、とても飼いやすく可愛い「日本くさがめ」。
時に子どものうちは、「ゼニカメ🐢」としてペットショップで売られている。

そろそろ我が家のカメたちの「冬支度」の季節になってきました。それぞれの水槽に「ヒーター」の設置準備です。

「白鳥の飛来」の声を聞くと毎年、我が家のカメたちの冬支度になります。

六匹の亀たち🐢また、元気に冬を越してもらいたいものです。

ストレスと歯周病。

2016-10-18 22:53:33 | 日記
昨年夏に、首のリンパ腺が腫れて高熱が出て、結構、大変な時期を半年ほど過ごしました。原因は下顎の「親知らず歯」の根っこの部分が歯周病により腫れてしまい、親知らず歯の周囲の歯まで「グラグラ」になり、歯科ではなかなか手に追えず、口腔外科での手術なんて状況になってしまいました。

風邪なんかとは違う身体のダルさと常に「歯」が痛いので気分もすぐれず、痛みで睡眠不足になっておりました。

今年の春頃に治療のかいもあって、ようやく気にならない痛みになりましたが、割りと歯周病を軽くみていたために治療を開始するのが遅れたのが原因でした。

「歯茎が弱いなぁ」と若い頃から思っていたので、風邪を引いたりするとよく歯茎が腫れたりしていたために「慣れっこ」になっていたのもあります。

私の場合、どうやら「ストレス」がたまると「皮膚炎」になったり「歯茎が腫れたり」するようで、またまた先月末くらいから、「歯茎や歯が痛く」なってきました。

さすがに昨年の失敗を繰り返すわけにもいかないので、早々と歯科医院に行くことにして治療を開始しましたが、結局、昨年抜歯した親知らず歯の反対側下顎の親知らずを先週末に、抜歯しました。

昨年は、抜歯後に「ドライソケット」状態になり、強い痛みが3ヶ月位続いてある意味、気が狂いそうになったのですが、今回は抜歯後4日の今日の段階でもうあまり痛くない状態になっています。

抜歯後に「うがい」をし過ぎると「ドライソケット」状態になり、強い痛みが続くので、今回は「うがい」を極力せずに対応していました。
それが効をそうしたのか痛みが気にならない状態です。

私の友人の自動車鈑金塗装の松くんも「離婚」のストレスで歯周病から重度の歯槽膿漏になり、結局、50才で総入れ歯になってしまいました。

時々、スーパーのレジの女性などに「猛烈な口臭」を放っている人がいますが、歯周病がひどくなって重度の歯槽膿漏のために歯茎から膿が出てる状態なんだろうと思います。
大体、年齢的に40代後半から50代の方々が多いようです。
これもまた更年期の症状の一つなんでしょうけども。

私自身、まだ、松くんのように総入れ歯にもなりたくないし、また、女性とキスしたりエッチなことをしたりする都合上、やはり重度の歯槽膿漏になって悪臭を放ちたくもないので、現在、週一回ペースで歯科医院に通っています。

年齢的にも40代後半からは、ストレスがなかなか身体から抜けていかないようにも思います。

早め早めのストレス解消を心がけたいものです。

参考までに「モンダミン ナイトクリア」と「サンスターのGUM」が私には具合がいいようです。

素晴らしき兄弟デュオ。

2016-10-15 18:32:59 | 日記
昨日は快晴の新潟市。
昼食もそこそこに、「新潟市音楽文化会館」へ出向くことに。

楽しみにしていた「ビリーバンバン」のコンサートです。

脳出血にて倒れ、現在リハビリに頑張っている「ビリーバンバン」の兄のほう、つまり「菅原 孝さん」に対しての「応援の気持ち」とその「名曲の数々」を直接聴きたいという思いから。


ビリーバンバンのお二人にお会いするのは20年ぶり。
私がまだ30代の年齢のとき以来。
お互いにそれ相応に年月を重ねて、いい親父になっている。

コントラバスを手にして。というのが、兄の孝さんの定番スタイルだったわけだが、今回は、「脳出血のマヒ」のために、椅子に座ったままの歌唱となった。

聴いている私と隣に座る23才の彼女は、「途中で具合悪くなったりしないか」と兄の孝さんの体調を心配しながら、「兄弟デュオ」の歌声を聞き始めた。

心地よい弟の進さんの艶のある声に、兄の孝さんのハーモニーが聴こえてきた瞬間に「心配」などいらないことがすぐにわかった。
相変わらず太く「いい声の孝さん」。

会場に来ていた観客の方々もおそらく私と同じような心境だったかもしれない。

約二時間のコンサート。途中休憩を15分とったものの、元気ハツラツ「歌とトーク」をやりきった兄の孝さん。

観客は「ビリーバンバンのお二人」とほぼ同じ年代の方々が圧倒的に多かった。同じように「脳出血や脳梗塞」の後遺症を持っている方も複数見受けられた。

「俺が元気に頑張っていれば、その姿を見て、よし、俺も私も頑張ろうという人が必ず出てくる。だから、俺は元気に振る舞うんだ」と孝さんは力を込めて声を発する。

「また君に恋してる」をお二人が歌い始めた瞬間に私の目から感動の涙が止まらなくなってしまった。ふと、私の隣の彼女を見ると声をこらえて、大泣きしていた。

70年の兄弟デュオのお二人の人生の歴史が「また君に恋してる」の歌声に完全に重なって、ものすごい圧倒的な説得力を放っていた。

なにか、とても大切なものを「人生の先輩二人から」教えてもらったようなとても貴重な1日でした。

コンサート会場から出たあとも、しばらくは車を運転しながら、果たして、将来、私がもし脳出血になったりしたときに、兄の孝さんのように「皆に元気を与えられるような存在になれるのだろうか?」また逆に「オメオメと病気に負けるのだろうか?」とか色々と深刻に自問自答していました。

が、かたや、さすがに23才は、老後のことなど考えるわけもなく、「ねえ、御飯何食べる?☺」「明日はどこ遊び行く?☺」
なわけです。(笑)


レストアプロジェクト始動。

2016-10-10 23:52:14 | 日記
このブログに過去何回か、「ヴィンテージカー」や「ネオクラッシックカー」が現在、市場では「異常な高値での取引」になっていることを紹介してきたのですが、このほど、いよいよ「我々」も「レストアカー制作のプロジェクト開始」となりました。

「我々」というのは、私と自動車鈑金塗装業の「松くん」と自動車販売整備業の「渡辺くん」の3名を中心にした
ごく小規模のものですが、一応、年間12台を制作販売しようという計画です。


ご覧のような「ポンコツボロ」の車体を仕入れして、レストアし販売しようというものです。

昭和40年代から50年代までの国産車を中心にした企画です。

私自身も若い頃から「車」というものとはずっと趣味の領域を超えた付き合いをしてきました。
「自動車整備士2級」の免許を所持している他、「A級ライセンス」も所持し「自動車レース」に出場経験者でもあります。

50代半ばの年齢にしての、「我々3名」のかねてからの「やりたいこと」を実現することになりました。

先月末に、昭和48年式の「トヨタカリーナ」のポンコツを仕入れてきました。記念すべき「第1号」となるわけです。ポンコツ仕入れ価格は、15万円でレストア完了後の販売予定価格は、350万円をターゲットにしています。

久しぶりに、「目がランラン」と輝いてやる気満々の「松くん」。車体の制作は主に「松くん」で、足まわりは、「渡辺くん」。私は「エンジン」とそれぞれの得意分野で作業分担しております。

実はこの「トヨタカリーナ」は、レストア完了後の販売先はすでに決まっており、今後レストアにあたる車として「6台」の受注を受けています。
いかに、この手の車がいま人気があるかというのがよくわかります。

「7台」制作販売が完了したら、いよいよ我々3名のそれぞれの「レストアカー」の制作にかかる予定にしています。

「松くん」は、「いすず 117クーペ」。「渡辺くん」は、「トヨタ セリカ」。そして私は、「マツダ コスモスポーツ」。

それぞれの「忘れ得ぬ思い出の車」なんです。

趣味と実益を兼ねたこのプロジェクト。ぜひ成功させたいものです。