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kebaneco日記

日々の出来事、考えたこと、行った場所、見たもの、なんかを記録してます

ハッピーエンドでいいのかな?

2009年03月15日 | いろいろ
先週の仕事の資料を読んでいたときのこと。父親による本の読み聞かせを広めようと尽力している人の意見として、最近子供が読む本の結末をハッピーエンドにする動きがあり憂慮しているというようなことが書いてあった。

決して覗かないでくださいね、といわれたのに約束が守れず永遠の別れになってしまうとか、うそをついたばっかりに狼に食べられちゃうとか、たった一度っきりの失敗ですべてを失ってしまうとか、そういう話が子供の心に残すインパクトを大人が奪ってよいのか?問題は謝れば許してもらえてよかったね、めでたしめでたしで終わってよいのか?理不尽な結末、理解不能の極端な悲惨さ、そういう表現が子供の心のどこかに残ることも大切ではないのか?というような意見だった。

ハッピーエンドへの書き換え?そんなことが起こっておるのか、そりゃイカンじゃないか!

確かに最近の教育ってヘン。徒競走をみんなで手をつないで「みんな一番」にしてみたり、ちびくろさんぼのタイトルが変えられたり。徒競走以外に自分を認めてもらえる場のない子供たちはど~すりゃいいのか?とか、差別意識はコトバを口にしなければ芽生えないとでも思ってるのか?と激しく疑問なことばかり。小手先でど~にかしようという浅知恵まるだし。

確かに謝られたら許そうと努力する気持ちを情操教育を通じて涵養することも必要かもしれない。でも、謝って済むなら警察は要らない!語った言葉・やってしまった行為には取り返しの付かないこともあるのだってことを教えるのは、誰でもない親の仕事だろ~がとも思った。

親としては、自分の子供は被害者にこそなれ、絶対加害者にはならないと思いたいだろう。だから、わが子がなにかされたときに謝られたら許せる「こころの広い子」に育って欲しいと思うだろう。だけど子供って人間としての経験が浅いわけだから、悪気が無くても誰かに迷惑かけたり嫌な思いさせて育っていくものだと思う。だったら、「こころの広い子」よりも、自分の行動が他人にどういう影響を及ぼすのか・どう迷惑するのか・どういう風に受け取られるのかを想像できる「視野の広い子」に育てるほうが大切では?そのほうが加害者にならないで済むと思うんだけど。

そういうことを極端な例で教えてくれる児童書や絵本を使えば、子供が嘘をついたり約束を破ったり人を傷つけたりしたときに、それがいかに取り返しのつかないことになりうるかを、うまく伝えられるのではないか。でもそれが消えつつあるって、そりゃ一大事じゃないの!と思ったkebaざんす。

写真は内容とは全く関係ない、八芳園のお庭。

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4 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (クラリス)
2009-03-15 16:54:57
おかしな方向に向かっているのですね~~。
色んな角度からこれは良いこと、これはいけないことなど等子供なりに判断していくのが社会性を身につけるうえでも大切なことだと思いますがねぇ。
皆をぬるま湯に漬け込んでふやけた人間ばかりが作りたいのかな。
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Unknown (ちらり~ん)
2009-03-15 16:57:59
>・・・想像できる「視野の広い子」に育てる・・・

しかり!
確かに答えは幾通りもあり、それに至る過程と想像力が大事だと常々思っているので、規格統一されたエンドになるのは憂慮すべきことですね。

ウーム、しかしこれだけ的確にしっかりと意見を伝えられるkebaさんの表現力に感心しています。

願わくば、こんなに豊富な言葉を持って考える力のある子供が育つといいなぁと思います。
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漬けるなぁ~~ (keba)
2009-03-16 06:59:58
>クラリスさま
日本って資源もないしこれから人口も減っていくわけだから、

>皆をぬるま湯に漬け込んでふやけた人間ばかりが作りたいのかな

じゃぁ困りますよね、唯一毎年再生産されている資源って「国民」なんだから・・・
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Unknown (keba)
2009-03-16 07:05:47
>ちらり~んさま
自分にも言えることだけど、やっぱり自分の痛みだけは「現実」なので、自分が他人に及ぼしているかもしれない痛みも、「現実味」を帯びて感じられる人になるのは難しい。
想像力って、夢想とかなにかを作り出すアイディアになるとかだけじゃなくて、人の痛みを思いやるのもそうだと思うんで、その想像力は涸らしてはいけないなぁと思ったのでした。
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