kebaneco日記

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侮ってはいけない

2011年10月23日 | 折々の話題
先日、TPPに参加しているとある国の交渉担当者と、日本の政治家の会談の場に居合わせた。その国の交渉担当者は、日本にとって農業問題がTPPに参加する上での大きな障害であり、政治的に大変難しい問題であることは承知しているけれど、自分の国の例を共有させてほしいと切り出した。その国はTPP参加というより国の財政上の理由で、15年くらい前に農業関係の補助金を大幅カットした。もちろん政治的には極めて難しいことだった。が、その後の「変化」には目を見張るべきものがあった。当時存在すらしていなかった「ワイン産業」が、一大輸出産業にまで成長したことだ。農業従事者の自己改革力を侮ってはならない、とその人は日本の政治家に語っていた。また、自分は国産米の40倍もする北イタリア産の缶入りのお米をリゾット用に時々買っている、リゾットはそれでつくると何倍も美味しくてやめられない、と笑っていた。

日本だってブランド米が登場したのは、ミニマム・アクセス米が入ってくる・日本のコメが外国産米につぶされる、という状況にさらされた農家の努力の成果だし、佐藤錦のような美味しいさくらんぼや変わった名前のかんきつ類が登場し始めたのも、外国からのオレンジだのチェリーだのが安く輸入されるようになってからだ。日本の農家だって、やる気のある人たちは頑張っている。その人たちはTPP交渉参加にどういう思いをもっているのだろう?輸出できるチャンスととらえてないのだろうか?農家には補助金をだしておけばいいのだ、なんて侮ってはならないし、ぶっちゃけそれでは何の解決にもならない、と思う。

日本の農業の危機的状態は、TPPの交渉に参加するしないとは全く別の次元で、厳然と存在していると思う。過去手厚すぎると思えるほどの補助金を出しながら、農家は減り続け260万戸となり、従事者平均年齢は過去10年で10歳上昇した。つまり補助金を出せども、農家は子供に家業を継がせていない、世代交代が機能していないということだ。とっくの昔に「何かおかしい」と気付いて手を打たねばならなかったはず。しかも260万戸のうち「専業」は40万戸程度で、残りは年間15万円以上の農業収入があれば「農家」とカウントされる兼業農家。月間ではなく年間15万円って、あ~た、アルバイトじゃないんだから。そうまでして農家と名乗りたい=補助金がおいしいってことなのか(戸別補償ってそ~ゆ~ことだろ)、の~きょ~から買った農機の返済が終らなくて廃業できないのか、わかんないけど。そういう統計を取ってる時点で、現実から目をそらしているとしか思えませんがな。

農業を守るために国を閉じて食糧安全保障を、っていうのは無理がありすぎる。だってあれだけ保護しても農業従事者が減る一方なんだから。「外圧」に適応して力をつけてきた、真面目な農家の例をみんなで共有すべき時だと思うけどな。それに、農業従事者といわれている人達の主たる収入源が農業外である以上、農業以外の産業を守り育てなきゃ、農家といわれている人達の生活だっておぼつかないだろうし、そもそも消費者が豊かなにならなきゃ、いくら良いものでも売れないだろうに、と思うあたし。

知恵を使うべきは、如何にTPP交渉参加を阻止するか、ではなくて、それよりははるかに難しい、如何にTPPルールを激変緩和的に構築するか、TPP参加を活用して日本の農業(ひいては日本社会)を持続可能なものにしていくための政策に転換するか、ではないのだろうか。交渉当事者や政策決定者が、傲慢にも他国の良い例を「学ぶ」ことをせず、現場でがんばっている人達を政策で後押ししない国は、誰の生命財産も守れないと思うとるです。

TPPは関税だけの話ではないことは承知している。ひと・もの・かねの動きに関する制限を撤廃しようというのが目的なので、当然サービスも自由化の対象になるだろう。ひとつひとつに既得権益があり、それぞれを代表するたとえば医師会などがTPP交渉参加に対する反対を表明している。TPPが本当にマイナス要素しかないのかどうか、一旦交渉に参加して交渉内容の情報を収集してから判断すればいいのに、と思うkebaである。

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2 コメント

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no way (noga)
2011-10-23 11:21:03
待ちの政治では、迅速な対応はできない。停滞気味である。

現実の内容は、「世の中は、、、、、」の内容であり、理想の内容は、「あるべき姿」の内容である。これは非現実である。
日本語には時制がなく、日本人は現実 (現在) と非現実 (過去・未来) の世界を独立させて並行して言い表すことが難しい。
非現実 (理想) に向かうための現実対応策が語れない。
現実から理想へと一足飛びに内容が飛ぶ。言霊の効果のようなものか。その過程が明確にされない。

時制を考慮することなく自分の思った内容を述べようとすると、現実肯定主義派と空理空論 (曲学阿世) 派のどちらかに分かれることになる。
これでは政治音痴は止まらない。
両者は話が合わない状態に陥り、議論ができない。そこで、悪い意味での数合わせで、民主的に、物事を決するしかないことを日本人は心得ている。
だから、多数がとにかく足並みをそろえる大連立の構想には意味があると考えられているのであろう。

守旧派の世界は理想的ではないが、過不足なく成り立っている。革新派の世界は穴だらけで成り立たないことが多い。
安心と不信の背比べである。だから、政治家は静観が多く、意思決定には手間を取る。
静観には現在時制を働かせるだけで十分であるが、意思決定に至るには意思(未来時制の内容)の制作が必要になる。
意思の制作に未来時制が必要であるということは、自分が意思を作って示すことも他人から意思を受け取ることも難しいということになる。
つまり、社会全体が意思疎通を欠いた状態のままでとどまっているということである。
それで、勝手な解釈に近い以心伝心が貴重なものと考えられている。

時代に取り残されるのではないかという憂いが常に社会に漂っている。
英米人の政治哲学に基づいて次々と繰り出されてくる条約締結の提案には、ただたじろぐばかりである。
自分たちには、哲学がない。理想もなければ、それに向かって踏み出す力もない。
筋道を明らかにされることのない指導者からの励みの要請に民は閉塞感を持っている。玉砕戦法のようなものか。
だから、我々は耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ必要に迫られることになる。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812
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>nogaさま (keba)
2011-10-23 16:40:14
あたしのエントリーのどの言葉が、サーチにひっかかってるのかわかりませんが、
エントリーと全く関係のない機械的なコメント、
ご自分の十年近く前のブログエントリーへのリンク添付は、ご遠慮頂きたく存じます。

今後コメントを頂いても無視しますので、ご了承ください。
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