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泡盛なかゆくい

第一期・泡盛マイスターがお届けする、沖縄やアルコールに関する日々雑感。

ミード(蜂蜜酒)

2005年10月13日 | その他
蜂蜜を水と酵母で発酵させるミード(蜂蜜酒)ですが、なんとその歴史はブドウで作られるワインよりも古いのだとか。ワインは紀元前5000年頃に誕生したそうですが、このミードはさらに古い歴史を持っていて、すべての酒の起源とも言われています。原料は蜂蜜と水だけで作れることから、ヨーロッパでは家庭で仕込まれることも多いそうです。

ある日、ドイツのドクターディムース社のミードを、そごうデパートで見つけたので買ってみました。

さすがに蜂蜜を原料にしているだけあって甘口ワインという感じなのですが、軽く冷やしてからグラスに注いで飲んでみると、蜂蜜のやわらかい香りに混じってフローラルブーケの華やかなニュアンスが感じられます。蜂蜜そのものは立派な健康食品で、健康維持に有効な栄養素を多く含んでいます。香りの癒しと健康的なお酒ということで、会社から帰宅してすぐにちょろっと飲むと良いかもしれません。こういうときは、グラッパを飲むときに使うような小ぶりのグラスがちょうどいいですね。ちょっと甘いと感じたのなら、ソーダで割ってみたり、リキュールを足してみたりしても良いでしょう。黄金色のキレイな液体で今宵の疲れを癒してみてはいかがですか?
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もし僕の言葉が泡盛であったなら

2005年10月02日 | その他
「もし僕らの言葉がウィスキーであったなら」。これは新潮文庫から発刊されている村上春樹さんの本です。
アイラとアイルランドを旅して、蒸留所やパブを訪ねまくってさまざまなウィスキーに出会って書かれたエッセイです。この本に登場するウィスキーについて、実際に飲めばその世界観がストレートに理解してもらえるのだけれど、村上春樹さんは作家としてそれを言葉で実現しようと挑戦しています。私はこの本をたびたび鞄に入れては、通勤の電車内でページをめくり、行ったことがない遠い国に想いを馳せたりしています。もちろん、家に帰ったらほぼ間違いなくラフロイグを飲まずにはいられなくなるのですが。

このエッセイの中で、アイルランドのパブでタラモア・デューを飲む老人が象徴的に描かれています。この老人のエピソードを読むと、私はいつも、那覇の国際通りから横にのびる竜宮社交街に入ったところにある餃子屋さんで見かけた老人のことを思い出します。

何年か前のその日、私は父と沖縄を二人で旅していました。たぶん4、5回目の沖縄旅行だったと思います。「小桜」でさんざんよくしてもらったものの、そのままホテルのベッドへ戻る気にもなれず、「親父、今日はハシゴしようか」とその餃子屋に行ってみることに。小さい入口から中を覗くと、カウンターが数席。先客に90歳は過ぎてるだろうなと思われるご年配の老人がひとり座っていました。親父と私がカウンターに着いて泡盛を飲みながら餃子をつついてしばらくすると、その老人は静かに店を出て行きました。自分たちが店にいる間も、その老人はほとんど口を開きませんでした。

「あのおじいちゃんね、毎月これぐらいのときに、ふらっと来て一杯だけ飲むのよ」とカウンター越しにお母さんが話してくれました。「もう何十年になるかしらね。若い頃から、ずっとそう。前に聞いたときは、何件かハシゴして馴染みのお店に顔出しては、一杯ずつ飲んで回るんですって。一時期、身体壊して見かけなかったけれど、ここ何ヶ月かはああやって元気な顔を見せてくれるのよ」

どこか人少ない通りにある小さいお店の歴史をちょっと垣間みたような感じになりました。昔はもっとにぎやかだったのよ、とお母さんが懐かしむようにしていたのが印象的で、きっとそうした時代をあの老人と過ごしてきたのだなと思いました。老人が店をでるときに、小さく「じゃあ」と言いました。それが唯一、私が耳にした彼の言葉でした。

その店で飲んだ泡盛は、いわゆるごく普通の一般酒だったのですが、とびきり旨かったと今でも思います。お酒は、何を飲むかというよりも、誰とどうやって飲んだかが重要なんだなと思ったりもします。このブログでは、これからもいくつかの泡盛や他のお酒についても書いていこうと思っていますが、私はきっと、もし僕の言葉が泡盛であったなら、と思いながら書くのでしょうね。
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