泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

うれし涙

2015-12-28 15:48:48 | エッセイ
 
今年を振り返って思い出すのは、2つのうれし涙でしょうか。
 一つは、春、大学卒業で池袋の書店のアルバイトを辞めた人へのプレゼント。
 本(スティーブン・キングの「ゴールデン・ボーイ」)と、簡単なメッセージをお渡しした。
 受け取った人は、「うれしい」と言ってぽろぽろ泣かれた。
 もう一つは、父の日。野鳥好きな父へ、「野鳥の歌」という野鳥の鳴き声を集めたCDと、簡潔な手紙をプレゼント。
「久々に感動した!」と言いながら、父は泣いた。
 その他にも、3月に投稿し、あえなくぼつとなった小説「涙の芽」を読んでくれた調布の元バイトさんも、主人公と自分が重なり泣いたと言う。
 今、目の前の人だけを思い、自分にできることは何なのか考え、差し出した言葉。それによって目の前の人は泣けた。
 それが、一番うれしかった。
 それは、たまたまできたことではないと思う。
 僕は学生時代、さんざん泣いた。
 大学を卒業しても泣いた。
 そのとき、目の前には精神科医がいて、カウンセラーがいた。
 彼女、彼が、やはり今の私と同じように、目の前の人の力、喜びになりたくて働いていた。
 だから僕もそうなりたいと思った。
 その方法として、最終的に文章を選んだ。
 その文章で、目の前の人の役に立てた手ごたえを感じた。
 カウンセリングで身に着けた自律訓練やフォーカシングや、またランニングによっても、集中する術を得たのだと思う。
 小説にしても、これでもかという推敲を重ねることで、その大事な一つを浮き上がらせることができつつあるのだと思う。
 でも、マラソンで4時間切りを達成できず失格したことが象徴するように、もう一歩、という詰めの甘さも感じた。
 小説でも結果はまだ出せていない。
 それでも、自分の歩んできた道は間違っていない。もっと創意工夫と経験を重ねること。
 分かち合う喜びを感じた、あるいは再発見した年でもありました。
 何十年かぶりで、山寺に行き、また高尾山にも登った。
 調布から富士見に異動し、猫たちとも会った。
 猫に私がごはんをあげるのも、彼、彼女らが喜ぶのを見たいから。
 来年は、自分自身がうれし涙を流せるように。
 みなさま、今年もお世話になりありがとうございました。
 どうかよいお年をお迎えください。

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