泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

となりのトトロ

2009-02-24 15:56:28 | 映画
 時間があり、外出するにも寒く、運動するにも疲れがあり、読み書きもするのですがいまいちで、以前からもう一度しっかり観ようと思っていた『となりのトトロ』を、レンタルして観ました。
 これを書くために、インターネットでこの映画について調べたのですが、裏話や都市伝説も出てきました。一通りそれも読みましたが、人は噂話が好きなのですね。「実は・・・」 原作があり、似通った(同じではない)事件もあり、それは悲惨で、あえてここでは取り上げません。わかったようなつもりになるけど、それ以上ではない。そもそも作品を、それぞれが感じるのがいいのであって、一つの固定化した解釈を共有することが怖い。いじめもまたしかり。悪意を発散させるには、スポーツや祭りがあるではないか。心は一筋縄ではありません。
 さて、以前に観たのは何年前でしょうか。「トトロ」があまりにユニークなので、そのイメージばかりが残っていたのですが、よく観ると、不安がしっかりとすくい取られていました。お母さんは、入院していたのですね。結核のためで、病院の名前が七国山病院。僕の実家の近くにあるのは八国山で、新山手病院が現存しています。草壁一家が引っ越した「お化け屋敷」にもモデルと言われる家があり、それは残念ながら最近焼失してしまいました。ここにも悪意を感じます。が、それはさておき、トトロを思いついた淵の森も含めて、当然のことながら、監督の経験や想像が、複雑に絡み合い、統合されて作品に仕上がっています。「トトロの森」という名前の森もありますが、それだけがトトロなのではなかった。トトロと言われるような(それもメイが勝手につけた)存在が、誰の心にもある、そこを打った、だから大ヒットになった、ということなのでしょう。また様々な解釈を生むような深さ、言い換えれば幅があることも確かでしょう。
 で、お母さんですが、思うようには回復しない。週末に帰ることになってサツキとメイ姉妹を喜ばせますが、体調が悪くなり、延期になってしまう。そこでメイは病院にトウモロコシを届けに行こうとするけど迷子になってしまう。サツキも走って探し回るけど見つからない。そこでトトロにお願いに行く。サツキに抱きつかれてトトロの頬がぽっと赤くなるのを見逃しませんでした。トトロも男なんですね。ガオーを吠えると猫バスがやってくる。「めい」行きになり、一目散に探し当てる。二人の願いを叶えに病院にまで行く。お母さんの笑顔を見て、二人はほっとして家に帰る。心配していた隣のおばあちゃんとカンタというサツキの同級生と合流する。エンディングでは、「お化け屋敷」に来たお母さんと姉妹がそろってお風呂に入っています。ハッピーエンド。
 トトロとは、人知を超えた奇跡なのではないでしょうか。僕らの力の及ばないもの。でも、そこから人も来て、帰っていくところ。トトロは、その象徴なのだと思いました。絶望にあっても希望を失わないこと。お父さんが新居に移った夜、森の闇や風に震える古びた家の風呂で、あえて笑ってみせるシーンがあります。子供も釣られて笑ってしまう。すると不思議と不安が消えていく。
 宮崎作品を観て、安心できると言った人がいました。僕もそうだと思った。
 でも、単純に楽園を描いているのではありません。深刻な病気や自然破壊を、決して見ないようにはしていない。今ある問題を飲み込んだ上で、登場人物たちが活躍している。そこに、観客の希望も刺激されるのではないでしょうか。
 それと、やはり絵がすばらしいです。音楽もまたすばらしい。
 人物や自然と、絵と音が見事に合っている。統合された姿、調和した地球、破壊が進むと修復しようとする動きが自然に出てくる。それがそのままドラマの筋書きになっているようです。そして観る者もまた、癒えていく道を辿るのではないでしょうか。それぞれの道において。
 お父さんは、設定では32歳なんですね。僕と同い年です。考古学という専門に没頭しつつ、大学で非常勤、また翻訳のバイトもしているようです。病の妻を気遣いつつ、娘たちと存分に遊び、必要な知識も伝えていく。決して否定はしない。ただ修正していく。信じていく。森に感謝していく。
 そんなお父さん。いいなあ。
 なれるかなあ。

宮崎駿監督/糸井重里他/東宝/1988

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 殺人犯罪学 | トップ | 自殺の心理学 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

映画」カテゴリの最新記事