気仙沼つばきマラソンのナンバーカード(アスリートビブス)が届きました。
大会まであと二週間。今日は23キロ走って、走り込み完了。あとは疲れをとり、調整します。
気仙沼へは4年半ぶり。今回は父も行く予定で、コロナのこともあって宿泊は父のいとこの方のお世話になることにしました。
いつもおいしい海の幸を送ってくれる方達。私はお世話になりっぱなしで、マラソンで元気な姿を見せ、できるだけ話を聞いてくることぐらいしかできません。
書く仕事でお返しできたらという思いは常にあります。おいしいもの、新鮮で栄養のあるものを送り届けることで。
それは気仙沼の方達だけではないのですが、ある意味、私の中で普遍的になって、創作に集中できる動機ともなっているのかもしれません。
もう数えきれないほどのマラソン大会に出てきました。で、思うのですが、マラソン大会に出て完走するって、それも一つの作品なんだなと。
大会を目指して準備して、今の最高の自分を作り上げて、結果を出す。それが試合というもので、競技でコンテストで試験で、それはアートでもあって、結果は作品でもあり、生き様でもある。
一人だけでマラソン大会を作ることも味わうこともできません。多くの関係者の仕事、ボランティアの方達の協力、それに応援、出会い、その土地、その土地で生まれた食べ物や風景や道もランナーを支えます。そこまでしてランナーたちを受け入れて、招いてくれるのは、もちろんお金を落とすからでもありますが、それは副産物で、人は人と会いたいし、人は人が最高のパフォーマンスをする姿を見たいし、できるならともに、その夢の実現の手伝いをしたい。お世話をすることでお世話する人が元気になる、というのは逆説のようですが本当のことです。
だから僕は行って、父の荷物持ちもして、父を中心に生まれるであろう昔話の花々をできる限り咲かせて記憶する。謙虚に、ありがたくお世話になり、語りに耳を傾ける。私が元気で走れているから気仙沼大島にも行ける。元気でいられるのは、気仙沼の方達や両親との確かなつながりがあるからこそ。お互い様です。
私のルーツを、根っこを太める旅ランでもあります。
父は大島出身で、戦後の食糧難の中、父の父は戦死して戻ってこず、親戚やいとこたちと協力して生き抜いてきたことが父たちの根底にはあります。そして父の父は船乗りだった。船頭でした。
私の中で、ずっと前から星空を見たい、という願いがありました。海の上に浮かぶ星空。できれば大島の砂浜から見上げたい。今まで機会に恵まれませんでしたが今度こそ、叶うといいな。
あと安波山に行きたいとも思っています。気仙沼湾が見渡せる、昔から海の安全を祈ってきた場所。
以上のような、気仙沼大島には、個人的な思い入れがふんだんに含まれています。
が、レースはレースで、その復習と予習もしておきます。
気仙沼つばきマラソンは、コロナによる中止が2年続けてありました。通常は春開催ですが、今年は異例の秋開催。
私が参加したのは今まで4回。
2013年、第30回大会、1時間56分9秒。
2015年、第32回大会、1時間47分47秒。
2017年、第34回大会、1時間44分54秒。
2018年、第35回大会、1時間44分31秒。
見事に、着実に、タイムは前進しています。
コースは、私が記憶している限り、10回のきついアップダウンがあります。
コース図はきましたが、高低差が記されていません。断面図まで入っていればもっと親切になるのに。
折り返しに入る激長上り坂と、ラストのだらだら上り坂がポイントでしょうか。
いかに全身、特に腕振りを利用して上り坂を克服し、下り坂でどれだけリラックスしつつタイムと体力を稼げるか。
走りがいのありすぎるコースですが、今回の目標は自己ベストの更新、具体的には1時間44分を切ること。
1時間44分を切るには、平均で1キロを4分55秒のペースを継続する必要があります。
1キロ5分弱は、無理なく走れるペースですが、あのアップダウンがあるので、体力も技もメンタルも必要とされます。
今からシュミレーション。マラソンもまた準備の力が問われます。
結果は想造の産物でもあります。小説と同じように。
大会まであと二週間。今日は23キロ走って、走り込み完了。あとは疲れをとり、調整します。
気仙沼へは4年半ぶり。今回は父も行く予定で、コロナのこともあって宿泊は父のいとこの方のお世話になることにしました。
いつもおいしい海の幸を送ってくれる方達。私はお世話になりっぱなしで、マラソンで元気な姿を見せ、できるだけ話を聞いてくることぐらいしかできません。
書く仕事でお返しできたらという思いは常にあります。おいしいもの、新鮮で栄養のあるものを送り届けることで。
それは気仙沼の方達だけではないのですが、ある意味、私の中で普遍的になって、創作に集中できる動機ともなっているのかもしれません。
もう数えきれないほどのマラソン大会に出てきました。で、思うのですが、マラソン大会に出て完走するって、それも一つの作品なんだなと。
大会を目指して準備して、今の最高の自分を作り上げて、結果を出す。それが試合というもので、競技でコンテストで試験で、それはアートでもあって、結果は作品でもあり、生き様でもある。
一人だけでマラソン大会を作ることも味わうこともできません。多くの関係者の仕事、ボランティアの方達の協力、それに応援、出会い、その土地、その土地で生まれた食べ物や風景や道もランナーを支えます。そこまでしてランナーたちを受け入れて、招いてくれるのは、もちろんお金を落とすからでもありますが、それは副産物で、人は人と会いたいし、人は人が最高のパフォーマンスをする姿を見たいし、できるならともに、その夢の実現の手伝いをしたい。お世話をすることでお世話する人が元気になる、というのは逆説のようですが本当のことです。
だから僕は行って、父の荷物持ちもして、父を中心に生まれるであろう昔話の花々をできる限り咲かせて記憶する。謙虚に、ありがたくお世話になり、語りに耳を傾ける。私が元気で走れているから気仙沼大島にも行ける。元気でいられるのは、気仙沼の方達や両親との確かなつながりがあるからこそ。お互い様です。
私のルーツを、根っこを太める旅ランでもあります。
父は大島出身で、戦後の食糧難の中、父の父は戦死して戻ってこず、親戚やいとこたちと協力して生き抜いてきたことが父たちの根底にはあります。そして父の父は船乗りだった。船頭でした。
私の中で、ずっと前から星空を見たい、という願いがありました。海の上に浮かぶ星空。できれば大島の砂浜から見上げたい。今まで機会に恵まれませんでしたが今度こそ、叶うといいな。
あと安波山に行きたいとも思っています。気仙沼湾が見渡せる、昔から海の安全を祈ってきた場所。
以上のような、気仙沼大島には、個人的な思い入れがふんだんに含まれています。
が、レースはレースで、その復習と予習もしておきます。
気仙沼つばきマラソンは、コロナによる中止が2年続けてありました。通常は春開催ですが、今年は異例の秋開催。
私が参加したのは今まで4回。
2013年、第30回大会、1時間56分9秒。
2015年、第32回大会、1時間47分47秒。
2017年、第34回大会、1時間44分54秒。
2018年、第35回大会、1時間44分31秒。
見事に、着実に、タイムは前進しています。
コースは、私が記憶している限り、10回のきついアップダウンがあります。
コース図はきましたが、高低差が記されていません。断面図まで入っていればもっと親切になるのに。
折り返しに入る激長上り坂と、ラストのだらだら上り坂がポイントでしょうか。
いかに全身、特に腕振りを利用して上り坂を克服し、下り坂でどれだけリラックスしつつタイムと体力を稼げるか。
走りがいのありすぎるコースですが、今回の目標は自己ベストの更新、具体的には1時間44分を切ること。
1時間44分を切るには、平均で1キロを4分55秒のペースを継続する必要があります。
1キロ5分弱は、無理なく走れるペースですが、あのアップダウンがあるので、体力も技もメンタルも必要とされます。
今からシュミレーション。マラソンもまた準備の力が問われます。
結果は想造の産物でもあります。小説と同じように。
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