約ひと月くらいでしょうか。この小説の世界にどっぷりと浸っていました。
この本もまた知り合いになった出版社の人のすすめで。
本は向こうからやって来るのか。
今、何を読むべきか? は、けっこう大事な問いだと思ってますが、この本は、今、読むべきだったと、読み終えて思います。
この小説を積んでいる本屋はほぼないでしょうが、今、ベストセラーとなっている最新の文学作品となってもおかしくない。それほどの新しさを感じました。
舞台は1930年ごろのアメリカ南部。書かれたのも1932年ごろ。なのに、現代にも通じる。いつまでも新鮮さを失わない、それが優れた作品の特質なのかもしれません。
リーナという若くて貧しくて美しい女性がいました。その女性は、ある男と恋に落ちました。そして、身籠りました。
しかし、父となるはずの男は、いい仕事を見つけるためと言って、リーナと別れました。お腹の子が大きくなっても、男からの便りは来ない。
リーナは、わずかな情報を元に、旅に出る。お腹の子を大事に守りながら。その男、バーチと、必ず一緒になるものと信じて。
ジェファスンという街の工場にリーナの探しているバーチがいる、はずだった。ヒッチハイクしながら辿り着いたリーナを待っていたのは、名前は似ているけど別人の中年男。まじめだけが取り柄のような中年の小男、バイロンは、リーナを愛してしまう。リーナは拒む。他の男の子を孕んでいると知りながら求婚までする。リーナは受け入れられない。しかし、静かに微笑んでいる。
バイロンは、元牧師のハイタワーを頼りにしていて、何でも話すようにしていた。ハイタワーも巻き込まれていく。リーナの出産の手助けまでして。
このようなリーナだけの物語なら明るく牧歌的とも言えますが、影となるような人物も重要な旋律を奏でています。
ジョー・クリスマスという男。この名前からしていわくがある。
クリスマスは、リーナが探しているバーチの元同僚。バイロンとともに製板工場で働いていた。
宿なしのバーチを、クリスマスは自分が住んでいる小屋で同居させる。そして闇の仕事も分け合う。禁酒の時代に闇酒を売ること。
クリスマスとバーチの住む小屋の所有者はバーデンという中年の女。このバーデンは、代々黒人の相談事に乗ることを仕事としていた。
そう、黒人と白人が、まだまだ明確に区別されていた。奴隷制はなくなっていたとはいえ、人々の心にはきつく印が残されていた。
クリスマスは、後で明かされることですが、私生児で、その父は黒人だった(らしい)。「らしい」としか言えないところが悩ましい。そしてクリスマス本人が一番に苦しんだところ。それゆえに、彼を産んだ娘の父は、彼を孤児院に入れてしまう。出産のとき、彼を産んだ女も死んでしまった。
クリスマスは孤児院でも問題児と見做され、早々に養子縁組されてしまう。その養父となった男のしつけがまた苛烈。
この養父の教育方針は、ほとんど聖書の曲解や妄信によっています。ここに、宗教二世問題が現れています。これは元牧師のハイタワーにも通じるものがあるかもしれません。
目の前の子の叫びよりも、妄信の神の教えを聞いてしまうということ。跪いて祈り、神に赦されることを乞うべしと強いること。
クリスマスは、養父の執拗な鞭打ちの刑に耐える一方で、復讐心を養っていった。その機会は来た。18歳のとき、恋人と慕っていた女性と踊っているところに養父は現れ、迷いなくクリスマスは椅子で養父を殴り倒す。仲間だと思っていた恋人の一味にも逃げられる。放浪の旅が始まる。
やっと落ち着いたと思っていたジェファスンの小屋で、受け入れて食事の世話までしてくれたバーデンと肉体関係を持つ。子供ができたとバーデンは言うが嘘だった。バーデンもまた「病んでいた」のかもしれない。バーデンの仕事をクリスマスに分けようとまでする。36歳になっていたクリスマスと年上の彼女。クリスマスが真に生きるチャンスだったのかもしれない。
でも、受け入れられなかった。バーデンもまた「お祈り」を強要したから。どうしてもできないクリスマスを、ついに彼女は持っていたピストルで撃とうともした。が、不発。逆に、バーデンは、クリスマスに殺されてしまう。
クリスマスはまた逃げる。逃げて逃げて逃げて、最後に街に戻ってくる。ふらふらと。無防備に。あっという間に捕まってしまう。
そこで現れるのがクリスマスのおばあちゃんとおじいちゃん。クリスマスを孤児院に入れた張本人。その祖母は、娘を亡くしてもいるので、とにかく孫を守ろうとした。爺さんに勝手に孫を取られたと思っており、爺さんを監視することを怠らない。バーデン殺しで無罪となるように、バイロンを通じてハイタワーにアリバイ工作のお願いまでする。結局は、叶わなかったのですが、その愛情というのはしっかりと伝わってきました。
で、リーナとバーチとバイロンはどうなったのか?
長い小説ですが、細部がリアルで名場面の連続なのでまったく飽きません。描写と物語が見事の融合している。
バイロンは、知り合いの保安官を頼って、リーナとバーチを二人きりで再会させます。そしてこれでもう僕は去っていいんだと思う。
かつてクリスマスとバーチが暮らした小屋で再会したリーナとバーチとその幼子。遠くで見守っていたバイロンは、バーチが脱兎の如くに走り去っていくのを目撃し、騾馬で追いかける。バーチに追いついたバイロンは、何もいう間も無く殴られる。そして貨物列車に乗って去っていくバーチを見る。
バイロンは諦めた。工場の仕事も辞め、リーナについていく。リーナはまた旅に出る。バーチを探して、ではもうおそらくなくて。
リーナに始まり、リーナで終わる。間に、ものすごい質量・熱量のドラマが入って。
さまざまな解釈もできるのでしょう。タイトルがすべてとも思えます。「八月の光」。まさに。
リーナと生まれたばかりの赤子に代表される人類は、いつも旅の中にある、希望を宿して、と僕は読んだ。
いや、人類の代表は、悩みながらためらいながら、最後には勇気を振り絞って、リーナを助け続けることを選んだバイロンなのかもしれません。
リーナとその子は、いのちそのもの。大地の恵みであり、自然の豊穣さの象徴なのかもしれません。
読書の秋、秋の夜長にぴったりの一冊です。
フォークナー 著/加島祥造 訳/新潮文庫/1967
この本もまた知り合いになった出版社の人のすすめで。
本は向こうからやって来るのか。
今、何を読むべきか? は、けっこう大事な問いだと思ってますが、この本は、今、読むべきだったと、読み終えて思います。
この小説を積んでいる本屋はほぼないでしょうが、今、ベストセラーとなっている最新の文学作品となってもおかしくない。それほどの新しさを感じました。
舞台は1930年ごろのアメリカ南部。書かれたのも1932年ごろ。なのに、現代にも通じる。いつまでも新鮮さを失わない、それが優れた作品の特質なのかもしれません。
リーナという若くて貧しくて美しい女性がいました。その女性は、ある男と恋に落ちました。そして、身籠りました。
しかし、父となるはずの男は、いい仕事を見つけるためと言って、リーナと別れました。お腹の子が大きくなっても、男からの便りは来ない。
リーナは、わずかな情報を元に、旅に出る。お腹の子を大事に守りながら。その男、バーチと、必ず一緒になるものと信じて。
ジェファスンという街の工場にリーナの探しているバーチがいる、はずだった。ヒッチハイクしながら辿り着いたリーナを待っていたのは、名前は似ているけど別人の中年男。まじめだけが取り柄のような中年の小男、バイロンは、リーナを愛してしまう。リーナは拒む。他の男の子を孕んでいると知りながら求婚までする。リーナは受け入れられない。しかし、静かに微笑んでいる。
バイロンは、元牧師のハイタワーを頼りにしていて、何でも話すようにしていた。ハイタワーも巻き込まれていく。リーナの出産の手助けまでして。
このようなリーナだけの物語なら明るく牧歌的とも言えますが、影となるような人物も重要な旋律を奏でています。
ジョー・クリスマスという男。この名前からしていわくがある。
クリスマスは、リーナが探しているバーチの元同僚。バイロンとともに製板工場で働いていた。
宿なしのバーチを、クリスマスは自分が住んでいる小屋で同居させる。そして闇の仕事も分け合う。禁酒の時代に闇酒を売ること。
クリスマスとバーチの住む小屋の所有者はバーデンという中年の女。このバーデンは、代々黒人の相談事に乗ることを仕事としていた。
そう、黒人と白人が、まだまだ明確に区別されていた。奴隷制はなくなっていたとはいえ、人々の心にはきつく印が残されていた。
クリスマスは、後で明かされることですが、私生児で、その父は黒人だった(らしい)。「らしい」としか言えないところが悩ましい。そしてクリスマス本人が一番に苦しんだところ。それゆえに、彼を産んだ娘の父は、彼を孤児院に入れてしまう。出産のとき、彼を産んだ女も死んでしまった。
クリスマスは孤児院でも問題児と見做され、早々に養子縁組されてしまう。その養父となった男のしつけがまた苛烈。
この養父の教育方針は、ほとんど聖書の曲解や妄信によっています。ここに、宗教二世問題が現れています。これは元牧師のハイタワーにも通じるものがあるかもしれません。
目の前の子の叫びよりも、妄信の神の教えを聞いてしまうということ。跪いて祈り、神に赦されることを乞うべしと強いること。
クリスマスは、養父の執拗な鞭打ちの刑に耐える一方で、復讐心を養っていった。その機会は来た。18歳のとき、恋人と慕っていた女性と踊っているところに養父は現れ、迷いなくクリスマスは椅子で養父を殴り倒す。仲間だと思っていた恋人の一味にも逃げられる。放浪の旅が始まる。
やっと落ち着いたと思っていたジェファスンの小屋で、受け入れて食事の世話までしてくれたバーデンと肉体関係を持つ。子供ができたとバーデンは言うが嘘だった。バーデンもまた「病んでいた」のかもしれない。バーデンの仕事をクリスマスに分けようとまでする。36歳になっていたクリスマスと年上の彼女。クリスマスが真に生きるチャンスだったのかもしれない。
でも、受け入れられなかった。バーデンもまた「お祈り」を強要したから。どうしてもできないクリスマスを、ついに彼女は持っていたピストルで撃とうともした。が、不発。逆に、バーデンは、クリスマスに殺されてしまう。
クリスマスはまた逃げる。逃げて逃げて逃げて、最後に街に戻ってくる。ふらふらと。無防備に。あっという間に捕まってしまう。
そこで現れるのがクリスマスのおばあちゃんとおじいちゃん。クリスマスを孤児院に入れた張本人。その祖母は、娘を亡くしてもいるので、とにかく孫を守ろうとした。爺さんに勝手に孫を取られたと思っており、爺さんを監視することを怠らない。バーデン殺しで無罪となるように、バイロンを通じてハイタワーにアリバイ工作のお願いまでする。結局は、叶わなかったのですが、その愛情というのはしっかりと伝わってきました。
で、リーナとバーチとバイロンはどうなったのか?
長い小説ですが、細部がリアルで名場面の連続なのでまったく飽きません。描写と物語が見事の融合している。
バイロンは、知り合いの保安官を頼って、リーナとバーチを二人きりで再会させます。そしてこれでもう僕は去っていいんだと思う。
かつてクリスマスとバーチが暮らした小屋で再会したリーナとバーチとその幼子。遠くで見守っていたバイロンは、バーチが脱兎の如くに走り去っていくのを目撃し、騾馬で追いかける。バーチに追いついたバイロンは、何もいう間も無く殴られる。そして貨物列車に乗って去っていくバーチを見る。
バイロンは諦めた。工場の仕事も辞め、リーナについていく。リーナはまた旅に出る。バーチを探して、ではもうおそらくなくて。
リーナに始まり、リーナで終わる。間に、ものすごい質量・熱量のドラマが入って。
さまざまな解釈もできるのでしょう。タイトルがすべてとも思えます。「八月の光」。まさに。
リーナと生まれたばかりの赤子に代表される人類は、いつも旅の中にある、希望を宿して、と僕は読んだ。
いや、人類の代表は、悩みながらためらいながら、最後には勇気を振り絞って、リーナを助け続けることを選んだバイロンなのかもしれません。
リーナとその子は、いのちそのもの。大地の恵みであり、自然の豊穣さの象徴なのかもしれません。
読書の秋、秋の夜長にぴったりの一冊です。
フォークナー 著/加島祥造 訳/新潮文庫/1967
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