泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

トラタのりんご

2023-05-06 13:30:00 | 読書
 昨日は子どもの日でした。
 絵本、読んでますか?
 私は、子どもの頃、最寄りの図書館の靴を脱いで上がれる子どもの本の島で、飽きずに過ごしていたことを覚えています。
 子どもに絵本を買ってあげたい。でも、何がいいのかわからない。そういうお客さんも少なからずいます。
 子どもに伸ばして欲しい力とはなんでしょうか?
 想像力、共感力、自己肯定力、学力、計算力、運動能力、表現力。あげれば切りがありません。
 私が今までで一番苦しかったとき、もっとも救ってくれたのが、私を理解しようとしてくれる人の存在でした。言ってみれば「理解力」。
 自分自身が自分のことをわからなくなっているとき、上から目線の「お言葉」でも、ありきたりの「常識」でも、あるいはなんらかの神がかった「教え」でもなく、今の私を理解しようとしてくれる人が何より大切でした。この経験があればこそ、人を理解しようとすることの重大さを学び、自ら実践する(カウンセリング、のち創作)ようにもなったわけです。
「わかってほしい」から「わかりたい」へ。いつまで経っても「わかってほしい」気持ちはあります。なくなることはない。でも、そこを満たしていけば、「わかりたい」気持ちも強くなってくる。ある人を「わかりたい」と心から思えたとき、人は「大人になった」と言えるのかもしれません。
 で、「トラタのりんご」。
 この絵本を読むと、「もっと知りたい」気持ちが動き出します。
 この絵本では「りんご」を、なのですが、「りんご」は、もちろん、ある一つの象徴であって、知りたい、わかりたい気持ちは、人に向かう気持ちと同じ。
 私もトラタと同じく、りんごが大好きで、毎日食べているのですが、この絵本を読んで少しりんごのことを調べました。
「サンふじ」以外にもたくさんの種類(日本で二千種、世界で一万五千種!)がありました。
 さらにりんごは、八千年以上前からあり、四千年前には人によって育てられていた。
 もう、人と共にあった、と言っていい果物です。
 以前、日本で「ムンク展」が開催されたとき、もちろんあの有名な「ムンクの叫び」もあって、興味深く拝見したのですが、晩年になって描いた「庭のリンゴの樹」という絵があり、大変好きになりました。で、買ったカレンダーにあったその絵の複製を、今でも部屋に貼って時折眺めています。
 いい絵なんです。
 人と共に生きてきた、そして食べられてきたりんごだから、人にとっていろんな意味も込められてきたのでしょう。
 それでいて身近にある。いつもの食卓にある。その果実を、もっと知りたくさせてくれるのがこの絵本。
 色彩が独特で、力強い。特に光の表現は、今まで見たことのない新鮮さが保たれています。
 好きになるのはりんごじゃなくてもいいわけです。ただ、もっと知りたい、わかりたい、という気持ちを育てることが、人の健康のためにも必要だと思います。
 知りたい、わかりたい、の反対はなんでしょうか?
 無関心、そしてレッテル貼りになるのではないでしょうか?
 知りたい、わかりたい気持ちが止まってしまったら、思考停止となり、見えないものに名前をつけて中身を確認もせずにわかったつもりとなって終わる。
 わかったつもり、は、謙虚さも失わせていく。レッテル貼りは、捏造にもつながっていく。相手を無視した自作自演の横行にも憎悪していく。
 単純なこと。でも、とても大事なこと。
 絵本は、絵と物語で、人として共有したいことを伝えてくれます。
 絵本は、子どもだけのものじゃありません。かつての子どもたちも、いつ読んでもいいものです。

 nakaban 作/岩波書店/2023

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