泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

紅葉狩り

2008-12-06 21:19:14 | エッセイ
 紅葉がきれいになりました。
 思わず見とれてしまう。
 その「思わず」がいいのでしょうね。
 思わないからこそ、元気になる。心が、いつしか澄んでいく。絡まっていたものたちが、ほぐれていく。単純に、自分もまた命なのだと、思わなくても感じている。生命力が、戻ってくる。
 新宿御苑に行ってきました。多くの人たちが、紅葉狩りを楽しんでいました。
 意識的には(子供の頃、行ったらしい)、入園料を払って、自分の足で歩いたのは初めてでした。そこだけ、空気がきれいなのがわかった。子供たちが、風になっていた。ビルのない都会は、清々とします。
 写真を撮っている人も多かった。僕が十月桜を撮ろうとしていると、オバタリアン(古いか)が、「ちょっとごめんなさい」と言いつつ、僕をぶっ飛ばした。そんなことも初めてだったけれど、まあいいか。それが世間の厳しさというものですね。
 銀杏もよかったけど、紅葉がすごかった。太陽が、分厚い雲から見え隠れ。光の差す一瞬、赤らんだ葉たちは、確かに燃えていた。限られた命を使い切ること、を、身をもって示していた。自然に触れると、いつも落ち着くだけでなく、我を忘れさせるほどの美しさに、私が洗われます。そして、元気を引き出されるとともに、私が問われます。あの紅葉たちのように、僕もまた全力で日々を生きているか、と。だから自然は、お手本でもあるのですね。
 僕の作る作品たちが、人を引き付け、魅了するだけのものを持っていれば、我を忘れさせるほどの美しさ、面白さが備わっているなら、その間に、その人の自然な力、その人のその人らしさも引き出されているはず。
 ところで、先週紹介した山茶花たちは、府中市にある東京農工大学の農学部の畑で撮影しました。まだ大丈夫だと思います。国分寺から府中行きのバスに乗って、十分くらいでしょうか。
 山茶花に会いたくなって、ネットで調べたら、出てきたのです。確かに、ネットは便利です。夜調べて、次の朝には、目的地に行っていたのですから。
 それにしても、こんなにも自然が美しかったとは。驚くばかりです。
 やっと目覚めたということなのでしょうか。曇りが取れてきたのでしょうか。
 存在、というものが、そのまま、ずどん、と入って来ます。それはやはり、僕の作る防御が、まゆが、限りなく薄くなった、必要としなくなった、ということなのでしょう。それは、僕と接した他者のみなさんの、受容、やさしさのお陰です。
 僕以外の存在が、僕以外の存在も、いとおしい。自分の延長として。今を生きる仲間として。
 この感覚が、やっとつかみ始めた、僕の新世界です。
 大事に、大事に、育てます。

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
紅葉 (かもかも)
2008-12-07 11:47:20
こんにちは 初めまして
突き飛ばしたオバタリアンです(ウソです)
自然が好きです(都会も好きだけど)
光り・影・風・音・葉の緑・紅葉
見ている 感じている
そこに居るだけで
癒され元気が出ます
いろんなこと考えます(いい方向に)
いい方向 (きくた)
2008-12-07 20:57:30
コメントありがとうございます。
そうですね、自然の中にいるだけで、触発されて、心身がいい方向に向かっていっているのかもしれません。
つかみかけたいとしいものへ (E・T)
2008-12-08 08:12:25
・・・思わないからこそ、元気になる
あたりから始まって、

・・・この感覚が、やっとつかみ始めた、僕の新世界です。
大事に、大事に、育てます。

で終る流れに、静かな、それでいてしなやかになってきた、きくたさんを感じます。
それはあくまで安定であって、決して決して固定ではないのです。
静かに、しなやかに (きくた)
2008-12-08 11:13:43
「安定」と「固定」の違いが、やっとわかります。
静かに、しなやかに、いとしいものたちとともに、葉を、根を、伸ばしていきたいです。

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