泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

ご縁玉

2008-12-26 00:24:46 | 映画
 エリック・マリア、山田泉。この二人が、しっかりと、僕の心に根付くことになりました。
 この映画の存在自体、「ご縁」から知りました。ヤマちゃん(山田さんの愛称)もケンちゃん(エリック・マリアの日本での愛称)も、そのようにして出会った。
 ヤマちゃんは、乳がんのため、今年11月に亡くなりました。教師で、自らの体験から「命の授業」を行っていました。死が近づいているのを知り、彼女は憧れの地、パリに赴きます。そこで共通の知人を介して、二人は巡り会いました。ご縁があるように、と、彼女は彼に五円玉を渡したのでした。
 ケンちゃんは、昨年12月末、その五円玉を手に、本当にヤマちゃんに会いに旅に出た。チェリストである彼は、ただチェロを楽しんでもらいたくて、はるばる日本までやって来た。その様子が、このドキュメンタリー映画になっています。
 エリック・マリアがケンちゃんとなった間、ヤマちゃんは孤児院に、ホスピスに、寺に、生家に、彼を連れて行きます。彼は、そこここで、チェロを演奏する。戦争のベトナム生まれで孤児となり、フランスで育ての親を持った彼が、孤児院で、日本の子供たちのために覚えた「君を乗せて」(「天空の城ラピュタ」より)を弾き語りする場面は、人間の人間たる芯にまで届き、僕もまた思わず涙しました。
 ケンちゃんはヤマちゃんの家で、毎日、彼女のために、その子供のために、チェロを弾きました。ときには彼女のおなかにチェロを乗せて。自分のことは何も考えず、ひたすら彼女の呼吸となるために。彼女の目には、驚くほど美しい、きらきら光る水滴がたまっていく。
 チケットを頂いた、彼女の本を出版している営業さんから、僕は何度も聞いていました。山田泉のこと、本のこと。でも、正直言って、そのよさは、僕には伝わっていなかった。彼が言うから、本も大きく展開し、映画も観に行った。しかし・・・。
 この映画には、まったく作者がいません。あえて言えば、「縁」が主人公になっている。それだけに、自然な、深い、温かい、生の人と人との交流が、直に流れてきます。
 二人と、支えあう周囲の人々から、僕は何か、無形の財産を頂いた。だからこれからは、自発的に、この作品の素晴らしさを、受け取ったものを誰かにつなぎたい、と思ってこれを書いています。
 文学にも通じる芸術の含む力を、改めて捉えなおすこともできました。表現したいものは、やりたいことは、決して売名のためとか印税のためとかではない。いつだってそうだけど、行為が先にある。目の前に、僕のできることを欲している人がいて、僕にはそれができる。だからできるだけのことを尽くす。ひたすらその質と量を上げるためだけに、日々研修している。私とあなたが、その行為によって、何かを捨て、何かを得る。僕らの生にとって、欠かすことの出来ない何かを。
 僕にも、がんを患った友人がいる。彼女のために、何ができるのか、できているのか。
 また、いつでもバイオリンを持ち歩いている、バイオリンがなかったら死んでいた、と言った女性の切実さが、やっとわかった。
 ヤマちゃんにとってそれが教育であり、ケンちゃんにとってそれがチェロであり、ある女性にとってそれがバイオリンであり、僕にとってそれが本であるということ。
 一瞬一瞬が、ヤマちゃんの言うように、とてもいとしくなります。

江口方康監督/渋谷ユーロスペースにて/10時半からのみ
山田泉著/「いのちの授業」をもう一度/いのちの恩返し/高文研

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 一人でいられること | トップ | よいお年を »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

映画」カテゴリの最新記事