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中国との関係が悪化している、と言われるけど、ほんとにそうなの?
中国たたきが目立てば目立つほど、中国に関心を持つようになりました。
初めて「テレビで中国語」も観ました。壇さんがいい味出してました。また学びたいと思います。
もともと、高校から大学にかけて、マージャンばかりしていた私は、イー、リャン、サン、スー、ウー、リュ―、チー、パー、キューと、1から9まで数えられる。立直をリーチと読んだり。
好きな梅だって中国出身だし、先月行った気仙沼大島には、中国から嫁いだ方もいる。
小学校で英語が必修になったり、アメリカより(右)が強いけど、左(中国)にも目を向けないと、バランスを崩してしまう。
そんなこんなが絡まって、魯迅にたどり着きました。
彼は父を早くに病気で亡くし、医者を志して仙台に留学した。
授業の合間、ニュース映画で彼は見た。ロシア軍のスパイを働き、見せしめに日本軍に首を斬られる祭典を見に大勢集まった中国人たちを。
それ以来、彼は思った。医学など肝要でない。愚弱な国民は、たとえ体格がよく、どんなに頑強であっても、せいぜいくだらぬ見せしめの材料と、その見物人になるだけだ、と。
精神の改造こそ肝要。それができるのは、文学。
仲間を募って雑誌「新生」を発行しようと努める。
しかし、仲間だったはずのものたちは一人去り二人去り、果たせなかった。
そこから続いた長い寂寞。
鉄の扉を叩いたのは、やはり友でした。
「かりにだね、鉄の部屋があるとするよ。窓はひとつもないし、こわすことも絶対にできんのだ。なかには熟睡している人間がおおぜいいる。まもなく窒息死してしまうだろう。だが昏睡状態で死へ移行するのだから、死の悲哀は感じないんだ。いま、大声を出して、まだ多少意識のある数人を起こしたとすると、この不幸な少数のものに、どうせ助かりっこない臨終の苦しみを与えることになるが、それでも気の毒と思わんかね」
「しかし、数人が起きたとすれば、その鉄の部屋をこわす希望が、絶対にないとは言えんじゃないか」 (12頁15行-13頁4行)
そして書かれた主人公たちは、みな貧しい。日本で言う公務員試験に落ちた者が、それでも読書人の振りをしたりして痛い。
逆に富める者たちは、革命におびえている。
混沌。誤解の果てに人が殺されたりする。人に食われると確信する狂人もいる。
物語は鏡だと、改めて思った。
書いた結果、数人が起きたのだと思う。起こされたことを、恨んではいない。そうでなければ、今まで残ってはいない。
魯迅著/竹内好訳/岩波文庫/1955
さすが文学部出は違いますね(念のために・・・決して皮肉ではありません)。
私も魯迅を読んでみようと思います。
良い本を紹介してくれてありがとう。
春から夏へ、だんだん暑くなっていきますね、
菊田君は元気にしていますか?
僕は何とか元気に過ごしております。
私たちの母校に、魯迅は留学に来たじゃないですか。魯迅の師、藤野先生は、もっとも敬愛する先生の一人だったそうです。
そんな事実も知っていて、心のどこかにあったのでしょう。そしてこのタイミングだったと、やはり感じます。
私は元気です。昨日も18キロ走りました。
私は、なんかもう、文学なのですね。絶体絶命でやるしかありません。
田中君も、より田中君となれますように。