hey is imamura-blog

日常の中に俺があり、俺の中に日常がある。それは矛盾の中にひそむ真実である。真実を記録する。それは事実になる。

カモン

2005年08月23日 21時06分35秒 | Weblog
昨日は映画音楽のデモを午前中に録った。
イメージを実際に形にするのは時間がかかる。
ドラムをリズムマシーンで打ち込み、ベースを重ねる。それからギター。
最後に歌をいれる。全てひとりでやるとザーとやっても一曲4~5時間かかる。
子供が隣で寝ているなか、でかい声で歌うのだが、もちろん上手くいくはずがない。遠慮がちになる。俺も父親だ。ミニスタジオが欲しい。書斎も兼ねる。
高樹マリアのDVDをずらりと並べる。夢のような話だ。
映画監督の卵、青柳君と渋谷で待ち合わせ楽曲を聴いて頂く。
「これでいかせていただきます」うん、良い反応である。
今回の映画音楽の話は仕立屋、西条氏の仲介で実現した。感謝である。
青柳君の映画は卒業制作として、学校のコンクールで発表するらしい。
総制作費120万。ぜひグランプリをとっていただきたい。
グランプリをとったあかつきには、下北沢の映画館にて上映されるらしい。

その日渋谷の帰り、我が家の自転車置き場の隅にギターのソフトケースを
発見する。チャックを開けると中身が入っていた。
謎のメーカーのストラトキャスターだ。カビだらけのボディを丹念に磨く。
微妙な位置に貼ってあるエアロスミスのステッカーもはがし、いざ弾いてみた。
素晴らしい!の一言。フェンダーのビンテージのサウンドや。
ちょいと歪ませるとナント、ブランキージェットシティーの曲、カモンの
イントロのギターと同じ音がした。俺はしばらくベンジーになったつもりで
ギターを弾いてみた。窓を開けていたので、何処からかのぞかれていたら
ただのアホだったに違いないが、音が良いので許せ。
ちょうど我がハートブレイクキラーズはレコーディング期間に入った。
ギター、シロービシャスにもビンテージサウンドを体感して頂くべく、次回のスタジオにでも持っていってみよう。音が良すぎて、彼はクラプトンになってしまうかもしれんな。楽しみである。

オータムサンセット

2005年08月20日 23時29分32秒 | Weblog
皆さん水飲んでますかー。
最近、運送業にバイトを転職して、一日2㍑ほど水を飲むイマムラです。
バイトが終われば、帰り道の途中にあるファミマに立ち寄り、350のモルツを
クピクピ呑みする。最高であります。

さて、今俺は焦っている。
なにを焦っているかというと、友人の西条氏の紹介で映画学校に通う学生さん
の卒業記念映画の音楽を担当させて頂いたからである。
台本を送ってもらい、それをイメージして曲を作る。
バンドで試してみたが、なんかパッとしなかった。
よって、俺のソロ活動とすることにした。
締め切りも次のバンドの練習に間に合わず、俺ひとりでエムティーアールで
レコーディングせざるを得ない状況になった。
俺は作曲家である。
自分でイメージした曲をまずはバンドに持っていく。
バンドに合わなかった場合、それを個人として記録する必要がある。
それは俺に限らず、シロービシャス、マサーシームーンら、メンバーにも
同じ事が言えるのである。バンドで出来ん事は他でやる。
表現の場は必ずしも一つで無くてはならない訳ではないのである。
と、言うわけで映画音楽は俺がやる。
向井君のまねだ。規模の大小は関係ない。やるかやらんか、それだけである。
ギャラはもちろん発生しない。
アマチュアの作品には商品価値が付かないのがこの世界の掟なのです。
まあ、そのために、冷蔵庫やら洗濯機やらを水をがぶがぶ飲みながら運ぶのだが。

今日、バイトの配達途中、夕焼け空がとても秋だった。
夏は短く、終わりがけの夕方が俺は好きだ。
「ああ、昼間暑かったなあ」など言いつつ、夏の思い出に耽るのがたまらん。
季節もまた旅行ににた感覚である。
終わった後にその時の楽しさがこみ上げてくる。
青春や郷愁にもにている。
まあ、何にしても、楽しい時間の最中には、楽しさを感じれないたちなのだろうか。
とにかく今日の夕方は最高だった。
それだけでいい。

俺は何処へ行く

2005年08月17日 23時08分05秒 | Weblog
日曜日、ライブ。
デイジーバーにて。良い感じでできた。このバンドを3年やっているが、
やっと良い感じで出来るようになった気がしている。
まだまだ課題は山積みだが、この感じである。悪い意見半分、良い意見半分。
前は七対三だった。「お前30歳だぞ。もっと焦れ」との声もあるが、
こればかりはひとりでやっている物ではないので、歩調を合わせねばならん。
しかし、シビアな世界。モタモタしているとおいてっちまうぜ、と言う気持ちで
やっている。子供がいるので暇がないなどの言い訳はなしである。
俺がやらなければ誰がやるんだ、の気持ちでやっていかなければいかん。
バンド内競争であります。

月曜日、嫁の実家に泊まり。
嫁の実家は横浜にある。
ゆーっくりさせて頂いた。嫁の父は生粋のスペイン狂で、クラシックギターを
製作したり(全国アマチュアギター製作銅賞)スペイン料理でおもてなしを
してくれたりする。実にこじゃれた父である。

火曜日、嫁の実家で嫁の歯が痛み出す。
親知らずである。皮肉にも実家で親知らず。ばたばたと笹塚に帰り、
医者に行かす。ビーバーか。と思うほど腫れておりました。
よって、予定していた友人を招いての餃子パーティーを中止した。

水曜日、本日。嫁の誕生日。
誕生日プレゼントに、主婦の味方、電子レンジをプレゼントしようと(財布の紐は
嫁が握っているためプレゼントもなにもないが)笹塚ラオックスに行ったが
休み。バーグを喰らい帰る。

そして明日、明後日と仕事は休み。
大型連休である。盆休みだ。特に何をしようとか考えていない。
のんびりとした二十代最後の夏の終わりをを堪能しようじゃないか。

俺は今の生活に特に不満はない。
少しばかり金がないだけである。
しかし、村上先生も言っているが、そんなことはそう長くは続かないのである。
人間、同じ場所に立ち止まることは出来ないのだ。
子供はすくすくと育つ。
俺も歳をとる。
時間はすぎていく。
そんな中、やりきれない思いを押し殺し、先に進まざるを得ない。
何者かが背中をぐいぐいと押し続ける。
俺は何処へ行く。いや、何処へ行かされる。
ここまで来たら是非、音楽で飯をくっている方向へ行かされたいものである。
まあ、こんな事、やあやあ言っとる暇があるならガッツリやれ。である。
考えながら一歩を踏み出しては遅い。スピードが遅すぎるのだ。
背中を押す何者かが、しびれを切らすまでが勝負やな。
引き続きガッツリいくかー。


ZERO&NOT

2005年08月08日 23時18分13秒 | Weblog
昨日はライブ。
ケーブビーであった。良いライブが出来た。賛否両論だが、本人達が良いライブと
思っているのでいいじゃないか。と思った。
「おれらは裸になってロックンロールをやるだけですわ。ほんま」とドラムス
マサーシームーンがエムシーの時、虫の鳴くような声で言ったが、ほんまその通りである。
別に無理をしてバンドをやっているわけでもないし、間違っているとも思わない。
まあしかし、飯を食うためには結果がついてくるし、そこは18歳の時の柔らかな脳みその
感じで柔軟に物事を見つめなければいけない。
実際、俺はナガブチではないので、「これが俺だ。文句あるのか」と言ったところで、
ギャラが出るわけでもないし、若者達が熱狂するわけでもないのだ。
約10年の東京生活で培ってきたコネクションだ何だをバサバサ切り落として
今に至るわけだからしょうがない。
一流のシェフは常にお客を意識している。
かといって、自分の舌には絶対の自信を持っていて媚びない。
自分の一番の得意料理を心得ているし、お客が何を評価しているかを知っている。
俺たちも一流シェフにならなければいけない。
お客が何を求めているのかを知り、シェフのお薦めも「美味い」と言わせなければいけない。

今日、ヤフオクで落としたCDが届いた。
俺が中学生の頃、熱狂していたバンドのCDである。
レプリカという名のバンドだが、もう誰も知らんだろう。
そもそも当時、あまり売れているバンドではなかった。
俺は東京に出てきて金に困ってそのCDを売った。愚か者である。
そしてこの年になって無性に聞きたくなった。
俺はこの手の作業をよくやる。
福岡の実家に帰ったときは、昔よく遊んだ公園でポーとしたり、母校に通学路を通り
歩いて行ってみたり。
当時と変わらぬ風景に体をなじませることで、忘れていた当時の感覚を思い出すことが
できる。
レプリカのCDを聞くことで色々な思いがこみ上げた。
どんな思いかは書かない。
ごく個人的な、いとおしいヒミツのような物だ。
俺はこれからも青春時代に執着し生きていくだろう。
しかし一つ、忘れてはいかん事実がある。
忘れていた当時の感覚を思い出すことはできるが、取り戻すことはできん。
しわくちゃの顔で、ナミダをながすことしか出来ないのだ。
ZERO&NOT。
レプリカのCDのタイトルである。
決して悲しい事ではない。そうだろう?井浦。

安めぐみの愛らしさに気づいたら三十路の扉が開く。

2005年08月04日 22時59分50秒 | Weblog
ジョーアルコール氏のブログに影響を受け、書き込みを毎日しようと
心に決めて何日経っただろうか。
しかし、運送屋はハードで、毎日帰りが10時近くなるので、疲れるわい。
何日かぶりに書き込む。
まあ、今日一日で何か面白いことがあったかというと、特にない。
明日は仕事休みだ。
バンドの練習だからだ。
2時間。
楽しみだ。練習を楽しみだと感じることは良い傾向だ。
いつまでもこの気持ちでいれることを願う。
っちゅうか、楽しみじゃなくなったら、バンドなど速攻
ヤメや。
特に面白くない文章や。
また次回。おやすみ。

あの日の空も同じ色だったぜ。

2005年08月02日 00時19分54秒 | Weblog
ご無沙汰しております。
また久しぶりに書いております。
ジョーアルコール氏のブログなどを覗いては「俺も毎日書かねば」などと
思いつつ、ついルービーを飲んで一日が終わる・・・なんて日々が数日続いて
おりました。前にも書いたが、これは日記ではない。立派な表現である。
日々の生活に何かをみつけつつ、それを文章で表現するのである。
それを怠ってはいけないのだ。アーティストなのですから。ぐうたらはもうやめや。

土曜日、母が上京。孫の顔を見にやってきた。
同時に従兄妹のももちゃんも青春十八切符で上京。
わが子を囲みわいわい賑やかな日々だった。
中心があると物事はわかりやすくシンプルになる。
今、俺の中心は娘の和葉であり、和葉を中心として全ての物事は動く。
母が和葉に会いに来て、それに伴い俺は仕事を3日休んだ。
わざわざ来てもらってなんだが、俺なりに親孝行ができたと思う。
孫の顔をみせる。世の中で一番の親孝行だと思う。
幸せに教訓はない。
なぜなら、「幸せ」になるための「教訓」であるからだ。
幸せとは満たされた明確な「答え」だからだ。
俺は答えを知っている。それはここでわざわざ書くことでもあるまい。

先日、分身、大橋綾介と長電話をした。
十代の頃の話をした。
「あの頃、俺たちは受け入れられない事に対して明確な拒絶をしていた。
今の俺たちは受け入れられない事を無意識のうちに受け入れていることがある」
と彼は言った。
はっとする。たしかにあの頃の俺は自分で物事の良し悪しを小さな世界観なりに
判別し、嫌な物事ははっきりと拒絶した。
歳をとり、社会を知る。システムを知る。
ああ、いつのまに俺はぼやけてしまったんだ。輪郭がぼやけた。まさにこれだ。
自分の物差しで世界をみて何が悪いというのだろう?
いつのまに社会だったり、他人だったりの物差しで世界との距離を測っていたのだろう?それをやりすぎて、俺はある事を忘れてしまったのだ。
自分自身が不確かな存在であることは当たり前として、その自分なりの世界観、
それが表現であり、アートなのである。
今の俺よりも十代の俺のほうが紛れもない「表現者」だった。
自分に疑いをもってはいけない。
「調子に乗っとるぐらいがちょうどいい。調子に乗っている奴は強い。」
と彼は言った。そして、電話を切った。
俺はふと思う。
あの日の空も同じ色だったぜ。
何も変わってはいない。ただ、忘れていただけさ。言い訳かもしれんが。
忘れたことは思い出せる。
これは「教訓」である。
あの日、あの場所で語った夢をつかもうじゃないか。
それはきっと遠くはない未来にやってくるに違いない。
俺もお調子者ですから。