hey is imamura-blog

日常の中に俺があり、俺の中に日常がある。それは矛盾の中にひそむ真実である。真実を記録する。それは事実になる。

帰郷。

2005年04月28日 14時10分10秒 | Weblog
本日よりゴールデンウィークを利用して、帰郷する。
実家に帰るのは・・なんだかんだで1年半ぶりになる。
しばし音楽のことは忘れて、のんびりとしてこようと思う。
行き詰まったらその場から離れる。
そして外野からぼんやりと内野をながめる。
今までもそうしてきた。
これからもそうして行くだろう。
冷静にならんと見えない物もあります。
真鍋の肌荒れが気になる。
彼女もしばらく故郷でゆっくりしたほうがいい。
いってきます。

LIFE

2005年04月26日 00時23分06秒 | Weblog
中学2年生の時の担任、徳安先生には当時色々なことを学んだ。
放課後の教室で、相対性理論の話やら、さだまさしの素晴らしさやら、
どきどきするような話をたくさん聞いた。
やっと女の子と手をつないだ、ぐらいの俺たちに徳安先生はある漫画を
すすめてくれた。「百億の昼と千億の夜」という名の漫画であった。
上京後、エヴァンゲリオンが流行。作者の参考文献の欄にその漫画の名があった。
それからさらに数年後、分身、大橋綾介が文庫マンガで発売されたので
買って読んだと聞き、俺もそれを買ってみた。
先生に紹介されて、約10年後、やっと俺はそれに出会った。
内容は・・・・・・。
簡単に書くと、俺らの人生は全て弥勒(神のボス)によって決められている。
じゃあ俺たちは何のために生きているのか?みたいな疑問マンガであります。
俺は読み終えたときゾッとしたよ。
それを中学二年の俺たちに薦めた徳安先生が俺たちに託したメッセージを
10年後に解釈しました。
自分の生きる道は自分で決めているようで決めていない。何者かによって
歩かされている。俺たちは生かされている。しかし自分の意志は大切である。
自分の意志で歩け。生きろ。
中学二年の俺たちに向けてのニヒリズム。最高のはなむけの言葉やね。

いやしかし、今日の神戸での列車事故は衝撃でした。
以前、福岡に地震が来たときにも書いたが、覚悟はいつでも
しておかんといかん。まあ、天災も事故も防ぎようがないのだが・・・。
今を精一杯生きようよ!などと、爽やかさんはさておき、(実際、今日も精一杯
生きたなあ・・なんて寝る前に思うほど毎日は満たされていない)
生活の中から、一ミリの「ほのぼの」があればそれで十分であったりするんじゃないか。
LIFE IS・・・・・・。


ベースマスター

2005年04月22日 00時12分34秒 | Weblog
ルーリードの「ベルズ」というレコードがある。
一曲目がいい。
ツーコードではねた感じのベースラインで、ピアノやらホーンやらが
入ってきて、ルーリードがへにゃへにゃと歌う。
79年の音楽。なんとシンプルでかっこいいのだろうか。
俺の中では「新しい音楽」の位置にあったが実はそうでもない。
ただ単に俺が音楽に対しての欲が薄かったが為に知らんかっただけだったのだ。
「知らない」ということは危険なことである。
音楽を創る以上、ジャンルを問わず、あらゆる音楽を網羅せねばならない。
当たり前の事である。例えばゴルファーはあらゆる偉大な先人達のフォームを研究する。
ラーメン屋の大将は他店のラーメンを食べ歩く。
俺は新旧問わず音楽をより多く聴くべきなのである。
今までも心がけてきたが、足りなかった事に気づく。今年30歳である。
遅い・・・・事はない。
何かを始めるに当たって、遅い、はない。早いはあるが。
先日、友人の篠田が新しい音楽をもって家に来た。
デートコースペンタゴンロイヤルガーデン。
久々のヒットであります。
元々影響されやすいが、今回はたまげた。
彼らは完全なインストプロ集団である。
心の揺れすらもバンドサウンドで表現できる。
歌はいらんのか!と思うが隙がない。歌を必要としていない。
上手いこと、歌+これはできんのか?
できるはず。俺なりにではあるが。もう既にやっている人間もいるかも
しれないが。
世の中にはまだまだ激アツ音楽があふれているのだろうか?
聞きたい欲が湧いてきた。
タワーレコードに行こう。
試聴コーナーを巡ろう。
そこには無料のヒントが山のようにあるに違いない。
そして・・・・・やる。俺がやる。
やるしかない。書くばっかりではなくやるしかない。


東京

2005年04月19日 00時37分36秒 | Weblog
四月中旬。
暑くなったり、寒くなったり。
毎年のことだが四月とは境目の季節なのだろう。
気温が安定してきたと思えば、雨が降り続く梅雨の訪れであります。
税金の督促状が来た。
家計が火の車です。と区役所に電話した。
そもそも税金が高すぎるなどとグチをこぼしてもみたが、国家権力には
さからえん。結局、分納することになった。
一家の大黒柱なら税金ぐらいちゃんと払え。みたいなニュアンスの事を
区役所の人がとてもやさしく丁寧な口調で言った。
くるりのDVDを観ている。
俺は彼らの「東京」という曲が好きだ。
それには衝動的な激しさと、我ら田舎侍が誰しも抱く郷愁が上手いこと
共存している。
永チャンの「東京」の100倍良い。
たかじんの「東京」の90倍良い。
俺は東京に出てきてから十数年、このテーマで曲を書くことが多かった。
田舎侍の開き直りと、郷愁がいり混ざる感じ。
別に新しいもんでもなく、ただそれに執着してしまう自分が居る。
満たされた表現。満たされなかった表現。
どれも名曲やと自負する。
しかし世に出ることなく曲たちは風化する。
音源は中古CD屋を経て、そして酔っぱらいの酒の肴にでもなって
フリスピーになり消えてなくなる。
次はこの感じを曲にするべきか。暗い。暗いな。
やらなければ。
そう言いながら俺は今年三十路を迎える。
時はおもいのほか高速で加速する。
日に日に可能性は失われていく。
次の若者がわさっと出てくる。出てきている。
マイペースでなんか走れない。
後ろから新たな田舎侍達がせまってきているのだから。


終わりの先にもきっと終わりがあるのだろう

2005年04月17日 01時42分52秒 | Weblog
いやしかし先週は疲れた。
締めくくりは木曜日のライブだったが、まあ、のれんに腕おしみたいな
ライブだったなあ。全力を尽くしたが、空回りした感がある。
クビがつった。
何か栄養が足りん時にどこかがつるらしい。
若さという栄養か。
「勝ち組は勝ち組としかつるまない」と篠田がいった。
確かに。勝ち組は負け組に電話番号を教えてくれない。
俺は色々な勝負に負けてここに至る。今年30歳。
しかし、全ての勝負に負けたわけではない。
まだ勝負付けの済んでいないカードはあるのだ。
あきらめん限り、可能性は無限に広がるのである。
それはバンドである必要はない。
それは一つの手段ではあるが。
様々なフィールドで勝負をしてみたい。
欲張りではあるが、そう思う。
最近、悪い傾向だが、不安で不安でたまらん。本音である。
それぞれの世界観。どんな世界観であっても評価されるべきである。
しかし、そこには確実に結果がつきまとう。
共感した人数。具体的な結果だ。
俺たちの世界観はどうだろう。結果が伴っていない。
何年音楽をやってきたんだ?自己嫌悪。ではない。結果だ。
ふと見渡せば周りには立派にごく個人的な世界観で飯を喰っとる人々がいる。
今、ソカベケイイチDVDを観ている。
演奏終了後、我が子をステージで抱き上げた。
単純に、うらやましかった。
なんてきれいな歌を歌うのだろう。
いい音楽はいいのだろう。
ジョニーサンダース、ビートルズ、ラモーンズ、おくだたみお、ジェットシティー、
テレビジョン、クラッシュ、レッチリ、色々・・俺が好きな音楽。書ききれないぐらいの
好きな音楽家たち。
全て心地のよい音楽。ジャンルを問わず。答えはすでに知っているはずなのだ。
明日は天気が良さそうだ。
府中競馬場に家族で出かけよう。
少しだけ馬券を買おう。
当たったらビールを飲もう。
芝生に寝転がって。ごろごろと。何も考えずに。


無力。

2005年04月14日 00時48分43秒 | Weblog
俺は3ヶ月に一度ぐらい無力になる。
何も手に付かず、めまいがし、胃が痛くなる。
朝起きると背中と肺の下あたりがつったような痛みがあり、
何も上手くいかないんじゃないか?と思うようになる。
そんなときは布団にくるまりひたすら寝るしかない。
本日バイトも遅刻した後、早退した。
これは何なんだろう?と分析する暇がない時や、パチコンで大負け
したときに起きる。無力。脱力。虚無。
と言うことで、ブログも丸々一週間さぼった。
連載小説は来週からあらためることにする。
今はいくらか気分がマシなので、一週間の出来事を簡潔に表記する。
 
四月八日(金)
今村竜也初のソロライブ決行。評価は思いのほか良かった。
今度イベント誘うよ。などの声もちらほら出た。
ジョンレノンのカバー、「ラブ」のラブイズタッチ・・・の部分が良かったと
バイト先の今吉さんに言われ、ジョンレノンとオノヨーコのアルバムを多数借りる。
四月九日(土)
バイトの花見。芝公園で行う。
ギターを持参。大いに唄う。子供達が集まってきて
蛙の歌などの歌を歌う。
後、アメリカ人がやってきてニルバーナを歌う。
バイトの仲間達と歌う。そして爪が割れる。
四月十日(日)
死天さんらと代々木公園で花見。
「昔リーゼントが踊っていたあたりで集合」とメールがあったので
おそらくこのあたりだろう、とその場所に行くと現役リーゼントが踊っておりました。
四月十一日(月)
篠田と飲む。
大橋、仕事の接待後、泥酔状態で現る。深夜一時。
カフェでお茶をする。そしてディスカッション。
議題は「村上春樹のアフターダークについて」
篠田とトランスバンドを組む。
四月十二日(火)
バイト終了後、バイト先の野々瀬君の靴を買いに下北へ行く。
彼の足は31センチあるので、アメリカからの直輸入をやっている
靴やにしか彼の足にあう靴はない。
結局、下北には31センチのナイキエアフォースワンはなかった。
靴屋に聴くところによると東京にはないそうだ。
四月十三日(水)
ギブ。寝込む。
そして明日はライブです。

連続ブログ小説。第三話

2005年04月07日 00時36分42秒 | Weblog
                第三話 千葉パンク

ガンズ、モトリー、スキッドロウ、ミスタービッグ、アイアンメイデン、ハノイロックス
、レッチリ。邦楽はレプリカ、ユニコーン、米米クラブ、リンドバーグ。
18歳の俺の好きだった音楽である。
正直、パンクロック自体を否定する感もあった。
演奏は限りなくテクニカルであるべきだと思っていたし、歌は美しくなければいけなかった。
間違った音楽を聴いていたとは思わない。
しかし、あの頃の俺はあまりにも音楽的世界観がせまかった。
それでいて、誰よりもベースの腕前だけは自信があった。
高木史郎の音楽的世界観は俺と対極にあった。
彼もベーシストだったが、ルート、三度、五度を主にシンプルなベーシストであった。
正直、へたくそが。と思っていた。
レベルがまるで違う。と思っていた。
が、今思えば、ただの価値観の違いである。
俺は素早くあらゆる音数をならすことを美学とし、彼は素早くダウンピックで
8ビートをならすことを美学としていた。
ただ、それだけのことだ。

トゲ玉男ライブの後、俺はやっちんにバンドのメンバーを紹介してくれと頼んだ。
後日、俺は笹塚ビッグエコーに出向く。
「こいつは一週間ばかり前に博多から上京してきたタツヤ。日本のロックを変えに
来たらしいよ。」
「ふうん。よろしくね。指弾き?」
やっちんをはさんで向かい側にいる男。
背丈は俺よりいくらか低い。
「ゴウって呼んでよ。とりあえずスタジオ入ろっか。千葉だけど。」
ごうくんは当時から顔がやたらと広かった。
現、ジュニアーというバンドで活躍中。山田ごうとの出会いである。
俺は彼のバンド、ニップスに加入する。
ジャンルは・・・観たことも聞いたこともない、「スカ」であった。 
つづく。

アウトドア派

2005年04月05日 00時27分56秒 | Weblog
三連休の最終日の日曜日、あまりにも天気が良かったので家族で
新宿御苑へ出かけた。南口を出てウインズ方面へのんびりと歩く。
さすがの行楽日和。祭りか、と思うほどの人々が御苑に集結していた。
京王デパートのデパチカにて、パンやらコロッケやらを買いこみ入園。
入園料200円とるだけあって素晴らしい。ターフは美しく狩りそろえられ、
ゴミひとつ落ちておりません。
酒類の持ち込み禁止、との看板が出ているにもかかわらず、
皆さんゴザをひいて宴会やっとったぞ・・・。
なんや。缶ビールでも買ってくればよかった。と思う。
いやしかし、抱き合っているカップルやら、ボールで遊ぶ子供達やら、
酔っぱらって踊る学生さんやら、やたらスローで歩く老夫婦やら、いなり寿司を
喰らう家族やら・・。コンクリートジャングルの東京にもこんなにも幸せが
溢れているのか!と感動。そして裸足になりイギリス式庭園の広大な芝生に
寝ころぶ。娘も転がす。
芝生だらけになって俺も転がる。
嫁も転がる。
この転がる感じはなんと気持ちがいいことか。
今村家は一生転がり続ける。
転がり落ちないようにきをつけよう。
ローリングストーンズ風に転がるのだ。
そして月曜日、例によって・・・バイトを遅刻した。
現実逃避をしすぎた。いつものことだ。気にしない。気にしない。

消えた日記

2005年04月03日 01時47分32秒 | Weblog
長々と書いた日記が消えた。
村上春樹の事と、倉木まいの事を延々と書いた日記が消えた。
ショック。
思い出して書く気力がない。悲しみのあまり。
なぜ消えたのか?
不適切な表現でもあったかな。
あったなら倉木まいの下りだろうか。
しゃーないなあ・・・・。
まあ、簡単に書くと、俺は村上春樹にむちゃくちゃ影響されて
インテリ思考が強くなった事と、物事の確信は直接的には伝わらん
ということと、倉木麻衣が黒人バンドを従えている姿が、直接すぎて
怪しげと言うこと。だったかなあ・・・・・・・・・・・。

サヨナラ

2005年04月02日 12時22分09秒 | Weblog
ビリーさんとは何年か前に一度だけお会いしたことがある。
酔っぱらった俺が、「俺もベーシストです。がんばります。」と
握手を求めると、「俺もがんばるよ」と力強く握手をしてくれたのを思い出して
いる。彼は俺のことを憶えていないかもしれない。
が、俺はその時思ったことがある。
好きなことをやって大成した人間に、悪いひとはいない。
そんな純粋なパンクロッカーがまた一人この世をさってしまった。
ご冥福をお祈り致します。
本人は憶えていないかもしれんが、固い握手を交わしたいじょう、
俺は彼の意志を引き継いだ。やるしかない。改めて、
「俺もベーシストです。がんばります。」と言いたい。