敗戦翌年 13歳 昭和21年の今ころは
食糧難が一番ひどかった
母が毎日買い出しに出かけ
近郊の農家で何か分けてもらっていたが
じゃがいもも底をついたようで

一里以上歩いても分けてもらえないことが度々あった
山菜もまだ芽を出していない
飢えをしのぐのに食べたのは
じゃがいも の澱粉カスだった
近くにあった澱粉工場から分けてもらったが
腐りかかっているのか 臭い匂いがする
お団子にして食べるのだが
喉を通らない
それでも空腹には勝てず鼻をつまんで食べた
暖かくなってウジがわいていることもあった
乾燥した粉の時もあったが
じゃりじゃり砂交じりで もっとひどかった
!さんの亡くなったご主人は 東京で戦災に遭い
一家で 道北の僻地に開拓に入られた
やはり澱粉カスで飢えをしのいだと
一番いやだったと 語っていたそうである
今は加工され家畜のえさになっているが
思い出すと
いやな臭い匂いが鼻についてくる

icloud の写真の削除の方法は
Tさんが教えて下さった 感謝!
いろいろ 試みている
今日も肌寒い
相変わらず だまし だまし
有難く食事をいただいているが
体重が39.3kg