黄昏どき

老いていく日々のくらし 心の移ろいをありのままに

戦争のない平和な世界を

1945年夏 カラフトマス

2021年08月12日 | 戦争

76年前の1945年(昭和20年)夏

カラフトマスは大豊漁だった

 

樺太豊原市に住んでおり女学校一年生

戦局が悪化してきたことを子供心にも感じていた

食料も自給自足と言われ空き地はすべて畑になり

学校でも勉強したのは4月だけ

原野を開墾し麦やジャガイモを植える作業ばかりだった

 ソビエトが参戦したら樺太は陸の孤島になる

我が家も郊外に土地を借りて母は畑作業に行く毎日だった

 

鉄道管理局に勤めていた父は 

カラフトマスを大量に買ってきた

大きな箱に10匹ぐらいも入ったのを何箱も

(記憶では200匹ぐらい)

 

母と二人でさばいて いくつもの大きな樽にどぶ漬けにして

父が掘った8畳間位の防空壕に貯蔵した

 

春ニシンも大豊漁だったので

すしニシンや身欠きにしんも大量に作られて貯蔵されていた

8月9日ソビエトが参戦 樺太島民に危険が迫ってきた

 

13日から婦女子の疎開がはじまり

15日敗戦

我が家は父を残して北海道へ命からがら引揚げてきた

 

 

ひとり残された父 大空襲や何度も危険な目に遭った

 

住んでいた鉄道官舎はソ連将校の宿舎となり

父は片隅にひっそり暮らした

 

 

防空壕に貯蔵された大量のカラフトマスやニシンは

すべて没収されソ連兵のご馳走になったそうである

 

 

父は3年後の11月やせ衰えて帰国したが

苦労したことをあまり語らないまま68歳で亡くなった

 

 


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